タイトル: 147 . Re: カール・セーガン 科学と悪霊を語る

お名前: 岩井國臣

投稿日: 5/25(11:50)


 

第13章 事実にこだわること

 

 似非科学や迷信が売り込む“トンデモ話”には代表的なところで次のようなものがあ

る。(以下はあくまでも例であって、網羅的なリストではない)。占星術、バミューダ・トライ

アングル、雪男、ネス湖の怪獣、幽霊、「凶眼」(その視線に触れると災難にみまわれるとい

う)、「オーラ」(あらゆる人の頭のまわりを取り巻いているという多色の光のカサで、色は人そ

れぞれだ)。テレパシー、予知、テレキネシス、千里眼などの超感覚的知覚(ESP)。十三は

「不幸」な数字だという考え(このためアメリカでは、まともなオフィスビルやホテルでも、十

二階の次は十四階になっていることが多い−わざわざ危険を冒すことはあるまいというわけ

だ)。血を流す像、切断されたウサギの脚をもっていると幸運が訪れるという考え、ダウジング、自

閉症者のコミュニケーションが促進されるという主張、厚紙のピラミッドの内部にカミソリを入

れておくと切れ味が鈍らないという考え、その他「ピラミッド学」のさまざまな教義。死者から

の電話(コレクトコールは一例もない)、ノストラダムスの予言。訓練されたプラナリアの死体

をすりつぶして、訓練されていないプラナリアに食べさせると、訓練内容を学習させられるとい

う話。満月の夜には犯罪が増加するという話。手相占い、数秘学、うそ発見器、彗星占い、茶の

葉占い、「奇怪な」子供が生まれるのは何かの前兆だという考え。(これに加えて、内臓、煙、

炎や影や排泄物の形による占いや、お腹のゴロゴロいう音による占いが流行したこともあった

し、いっときではあったが対数表による占いもあった。)イエスの礫刑など過去の出来事の「写

真」、流暢にしゃべるロシアの象。感覚の鋭い人(ゆるく目隠しをされると、指先で本を読むこと

ができる)。エドガー・ケイシー(一九六〇年代に、失われた大陸アトランティスが浮上すると

予言した)をはじめとする予言者たち、(眠っているときに予言する人もいれば、起きていると

きに予言する人もいる)。いかさま食餌療法師。幽体離脱体験(たとえば臨死体験など)は現実

の外的経験だとする考え。いかさま信仰療法師、ウィージャ・ボード(1)、ゼラニウムに感情

のあることがうそ発見器でわかったという主張、かつて溶け込んでいた分子を水が記憶している

という説、顔の造作や頭のでっぱりぐあいから性格がわかるという説。「百匹目の猿」など、何

人かが信じたことは現実になるという主張。人間が自然発火して炭になるという話、バイオリズ

ムの三サイクル、永久機関、無尽蔵のエネルギー(こうした話はどれも、懐疑的な人が詳しく調

べられないように、あれこれ理屈がついている)、ジーン・ディクソンらプロ超能力者のはずれ

まくる予言(ディクソンは、一九五三年にソ連がイランに進攻すると予言し、一九六五年には人

類初の月着陸でアメリカがソ連に負けると予言した)(*)。一九一七年に世界は終わりを迎え

るという「エホバの証人」の予言。ダイアネティックス(2)、サイエントロジー(3)、カル

ロス・カスタネダと「呪術」、ノアの箱船の残存物を発見したという主張、「アミティヴィルの

恐怖の館」などお化け屋敷のたぐい、現代のコンゴ共和国の熱帯雨林を、小型のブロントザウル

スが歩き回っているという主張、等々。(ゴードン・スタイン編集の『超常現象百科事典』に

は、こうした主張の多くが徹底的に論じられている。)

 

 似非科学の主張には、そう簡単には検証できないものがある。たとえば、幽霊やブロ

ントザウルスを探しに出かけたところで、おいそれと出くわせるものではない。もちろん、見つ

からなかったからといって存在しないということにはならない。 証拠の不在は、不在の証拠では

ないからだ。

 

 ある主張が虚偽かどうかは、証拠を調べてみるまでわからない。なにしろ科学におい

ては、もっと奇妙なことがしょっちゅう起こっているのだから。

 ここでもやはり大切なのは証拠がどれだけ確かなものかという点だ。証明をするとい

う重荷は、もちろん、その主張をした者の肩にかかっている。ところが似非科学信者のなかに

は、こんな見え透いたことを言う連中いるのである。「懐疑主義などは足手まといだ。真の科学と

は疑ったりせずに調べてみることなのだ」と。

 

 アメリカ人の四人に一人ほどは、テレパシーらしきものを経験したことがあると信じ

ている。

親しい間柄だったり、いっしょに暮らしていたり、日ごろから相手の感じ方や、連想す

ること、思考パターンなどを読み取ろうと練習しているような人たちのあいだでは、相手の言い

そうなことを予想できる場合がある。しかしこれは単に、普通の五感に加えて、共感、感受性、

知性などが働いたからにすぎない。超感覚のように思えるかもしれないが、「テレパシー」とい

う言葉で表されるのは、これとは別のことである。

 

 奇術師のジェイムス・ランディはこれまでも、千里眼やテレパシー、心霊治療などの

インチキを暴いてきた。超能力でスプーンを曲げられると称する連中が、れっきとした理論物理

学者に調査を依頼して、スプーン曲げは新しい物理現象だと結論させたこともあった。このとき

ランディは、スプーン曲げは簡単なトリックと巧みな指図だけでできることを示したのだった。

ランディは科学界でも広く認められ、マッカーサー財団の助成金(いわゆる「天才助成金」)も

受けた。

ある批評家はランディのことを、「事実、事実と、事実にこだわりすぎだ」と言ってこ

っぴどく叩いた。しかし私は、同じことが我が国や人類全体に対しても言えたらいいのにと思っ

ている。

 

 ランディは、心霊治療師に対しては、その主張を裏付けるようなきちんとした医学的

証拠を出すように迫る。地方自治体や連邦制府当局に対しては、詐欺やインチキ医療行為を取り

締まる法律を強化するように要請し、ニュースメディアに対しては、問題をはぐらかしていると

叱責する。またランディは、心霊治療師たちが、患者や地域住民のことを馬鹿にしきっているあ

りさまも暴露した。たいていの心霊治療師は確信犯で、キリスト教の福音主義やニューエイジの

言葉やシンボルをたくみに利用し、人間の軽信性を食い物にしてボロ儲けしているのである。

 

 科学と心霊治療には二つの大きなちがいがある。第一に、ときにまちがいやインチキ

も出るにせよ、科学に効力のあることは誰も疑わないということだ。一方、心霊治療による「奇

跡」の癒しの中に、体の自然治癒力を超えるものが一つでもあるかどうかは大いに疑わしい。第

二に、科学においてインチキや誤りを暴くのは、ほぼ例外なく科学それ自体だということ−つま

り科学という学問分野には、自己管理ができるということだ。科学者たちは、インチキや誤りは

いつ起こってもおかしくないことを承知しているのである。一方、心霊治療師が同業者のインチ

キを暴くことはまずない。

 

 心霊治療を受けたことで、重い病気による痛みや不安が軽くなることもあるだろう。

だが、もともとの病気の進行が食い止められたわけではない。もちろん、痛みや不安が軽くなる

のはありがたいことだ。信仰や祈りによって病状が軽快したり、治療による苦痛が和らいだりす

ることはあるだろうし、多少は命を伸ばすことだってできるかもしれない。しかし、当時最も痛

烈な批評家だったマーク・トウェインは、「クリスチャン・サイエンス」と呼ばれる宗教につい

て次のように述べた。この宗教は、暗示の力によって肉体と命を「完全なものにした」かもしれ

ないが、祈りに頼って医療を受けなかったために死んだ人のことを考えれば、それくらいではと

うてい引き合わない、と。

 

 懐疑的な吟味は、あくどい商売や“トンデモ話”を根絶やしにするための道具になっ

てくれる。 こういう商売の犠牲になるのは、いつも決まって弱い立場の人たち、(自分を守る力

が弱く、思いやりを必要とし、希望がもてないでいる人たち)だ。また、政治が腐敗しているの

に打つ手も打てないでいるような社会では、こと思うにまかせずいらだっている人や、心に隙の

ある軽率な人、無防備な人たちもいいカモになる。集会、ラジオやテレビ、印刷物、電子メディ

アによるマーケティングなどが、“トンデモ話”を国民に吹き込むお先棒をかついでしまうこと

もある。

しかし、懐疑的な吟味をしていれば、そんな事態にいち早く気づくことができるだろ

う。

 “トンデモ話”や詐欺やペテン、軽率な考えや願望などが「事実」という仮面をかぶ

っで登場するのは、心をめぐるあいまいな助言や奇術のたぐいだけではない。不幸なことに、政

治、社会、宗教、経済の分野にも、これらはさざなみのように行き渡っているのだ。しかもその

事情は、どこの国でも同じなのである。