PFIの大前提4

 

 

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タイトル: 181 . PFIの大前提4

お名前: 岩井國臣

投稿日: 3/31(06:42)

 

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「ふるさと創生」の新たな展開を目指して

 

 

 介護保険や年金など医療福祉の問題は、専ら、財政の問題として議論されているのかも知れないが、実は、少子高齢社会にあって、お年寄りが精神的にもイキイキとどう生きていくのか、・・・そのような高齢者の生き様に関する問題は、財政問題とともに現下における喫緊の課題でなければならない。高齢者問題については、経済的な側面ばかりでなく精神的な側面もともに重要であるということだ。 

 もちろん、そういった高齢者の生き様に関する問題も、時代の流れの中で考えなければならない。当然のことであろう。今、時代は高度情報化とグローバル化に向かってものすごい勢いで動いているが、そういう新しい時代において、お年寄りは果たしてそういう新しい時代をイキイキと生きていけるのか。私のいう意味は、貢献できるのかという意味である。社会的に貢献できないようではイキイキと生きるとは到底言えないだろう。だから、私の問題提起は、お年寄りは、高度情報社会に貢献し、また国際化に貢献できるのか・・・という問題提起でもある。 

 結論を先に言おう。できるかというような・・・そんなことではなくて、むしろ、お年寄りの参画がないと、本当の意味での高度情報社会はやって来ないし、本当意味での国際貢献はできないということだ。

 もちろん、私たちの助力というか社会システムとしての助力がないといけないのだが、・・・お年寄りの生活体験と感性がないと、創造的な情報は到底生まれてこないと考えられる。・・・それでは薄っぺらな情報社会にしかならない。

 また、草の根国際交流も、お年寄りの参画を前提に考えていかないと、地域の伝統的な文化は到底相手に伝わらないだろう。 

 情報社会については、一寸後回しにして、・・・先に、草の根国際交流にお年寄りの参加が絶対条件である・・・、そのことを地域文化の観点から述べておきたい。 

 

 まず、「漂泊の旅」から話を始めよう。旅には漂泊の旅や放浪の旅のほかいろんな旅がある。観光旅行、温泉旅行、研修旅行、修学旅行、写真旅行・・・等等。四国八十八カ所めぐりなど巡礼の旅もある。最近はグリーンツーリズムやトレッキングという旅も増えてきている。

 湯治場やセカンドハウスで長期滞在をするようなものは、普通、旅とは言わないのかも知れないが、広い意味では旅に含めていいだろう。あたかも別人になったように、非日常的な生活をある一定期間楽しむという意味で、「漂泊の旅」に含めて考えていいかも知れない。

 いずれにしろ、いろんな旅があるものだ。しかし、私たちは、風流を愛する国民として、もともと「漂泊の旅」に惹かれているのだと思う。 

 村は、普通、定住の人々が中心であるが、「漂泊の人」なくして村の生活は成り立たなかった。獅子舞、薬売り、修験者、旅の芸人・・・等等、「漂泊の人」と村人との交流の歴史は長い。「ふうてんの寅さん」のような香具師(やし)なども村の祭りにはなくてならない人たちであった。金魚売りも来たし、鋳掛けやも来た。いろんな人が来て、村の生活が成り立っていたのだろう。村の発展に必要な新しい農業技術もこういう人たちがもたらしたものだろう。百姓というのは、その字が示すように、本来、手広く手工業を営んでいたのである。そういう手工業の技術も「漂泊の旅人」がもたらした。

 また、その地域の文化はそういう人たちによって外に伝えられたのである。文化の受発進、・・・その担い手は「漂泊の旅人」である。 

 

 21世紀の我が国の在りようを考えたとき、私は、勿論いろんな施策と相まってだが、「漂泊の旅」を推奨し、「漂泊の旅人」を増やしていかなければならないと思う。外国人を含めてだ。

 21世紀は、知的産業の時代である。インターネットの時代における知的な仕事は、個性豊かな人たちとの交流が不可欠であるし、楽しみながら仕事するというリゾートオフィスが向いている。

これらは、広義の意味における「漂泊の旅」である。「放浪の旅」ではない。ましてや旅行というものでもない。「漂泊の旅」なくしてこれからの我が国における知的産業は成り立たないように思う。 

 昨今いろいろと草の根国際交流ということがいわれるが、21世紀の我が国の在りようを考えたとき、極めて大事なことだと思う。これからの国際社会において、私たち日本人は、言葉の壁をどうのりきるかという問題はあるけれど、第二の開国をしなければならない。閉鎖的心の解放だ。私たち自身のために、・・・私たち日本のために草の根国際交流というものを画策しなければならない。

 また、逆に、発展途上国のこれからの発展のためにも、草の根国際交流の果たすべき役割が大きいのではないかと思う。先端技術だけでなく、我が国の伝統産業技術など我が国の文化が発展途上国のこれからの発展に大きく寄与するということはないだろうか。草の根の国際交流において、我が国の伝統産業技術をはじめとする日本文化が外国人に伝わっていくということは極めて大事なことである。 

 今、過疎地域は、五全総で「国づくりのフロンティア」などと言われながら、過疎に悩んでいる。時限立法である過疎法の延長がなされたが、根本的に何も変わっていない。これで過疎地域の苦しみが解消されるとは到底考えられないのだ。 すでに、島根の講演などいろんなところで話しているように、過疎地域の活性化のためには、私たちは地域活充化といっているので、そういう風に言い直すが、・・・過疎地域の活充化のためには、地域文化の発信ということが基本的に大事である。・・・・地域文化の発信がないと何も始まらない。

 リゾートオフィスを中心とした知的産業の担い手の育成というものを考えたとき、草の根の国際貢献を考えたとき、過疎地域の活充化というものを考えたとき、それぞれの地域の歴史と伝統・文化のすべてを、・・・・どんなささやかなものであっても、それらを地域として発進する必要がある。それらを外国人に伝える必要がある。伝統・文化の博物館を作れというのではさらさらない。

それでは生きた形で伝わらない。日常生活の中で息づいた伝統・文化こそ大事なのである。 

 国というものは先端的な技術だけで成り立っているのではない。底辺において、いろんな伝統・文化が地域を支え、そして国を支えている。そして大事なことは、伝統・文化というものは博物館に入れるのではなく、日々それを使うことで生きている、・・・そういうことでなければならない。国策として、日頃からそれらすべてを何らかの形で守り活かすことが必要で、・・・そのような施策を全国各地で展開しなければならない。農山村は守らなければならない。農山村地域の伝統・文化は守り生かさなければならないのだ。そのときに、お年寄りの役割は誠に大きい。私たちは、そのことに想いを新たにしなければならない。 

 お年寄りの活躍を大前提として、草の根国際交流も活発に行われるようになる。草の根国際交流によって、我が国の国際貢献は大きくなるし、また地域文化との交流が行われ、新しい時代に向けて地域は再び息づいてくる。草の根国際交流によってはじめて、地域の活性化が可能になるのではなかろうか。 

 旅にはいろんな旅がある。企画された研修旅行もいいだろう。しかし、文化移転というものを考えたとき、全く個人レベルの、しかも何となく長期にわたってそこに居着くような旅、・・・いわゆる「漂泊の旅」が望ましい。

 これからの草の根国際交流の主たる担い手である外国人は、もともと国内でも「漂泊の旅人」である。彼らは我が国にもやってくるのだ。むかしわが国でもそうであったように、彼らは「漂泊の旅人」である。われわれはお年寄りの助けを借りながら彼らを暖かく迎えなければならない。21世紀における我が国の重要戦略として、彼ら「漂泊の旅人」を通じて、彼らの文化を吸収し、そして「日本文化」を発進するのだ。  

 それでは、次に、高度情報社会において、お年寄りが何故不可欠なのか、・・・お年寄りが何故重要な役割を果たすことになるのか、・・・その点につき、私の考えを申し述べておきたい。 

 皆さんは、おおかたの人が「KJ法」をご存じだと思う。川喜多二郎さんは私の山岳部の先輩であるが、その川喜多二郎さんの「KJ法」は一時大変なブームを起こし、企業でも多いにもてはやされたが、現在は、若干、忘れられつつある感じがないではない。しかし、これはとんでもないことだ。

 川喜多二郎さんが言っておられるように、今、世界は本当の意味での民主主義を必要としている。川喜多二郎さんの提灯を持つわけではないけれど、私は、本当の意味での民主主義を実現していくためには、これから、日本が中心になって、「KJ法」の世界的な普及を図らなければならないのではないかと考えている。「KJ法」が高度情報社会において最も重要な政治課題でなければならないのではないかと考えているのである。

 「KJ法」の神髄については、いずれゆっくりお話しするとして、ここでは、「KJ法」の社会的評価をご紹介するとともに、なぜ高度情報社会においてお年寄りが活躍できるのか・・・、その点に触れておきたい。 

 川喜多二郎さんは、「KJ法」を基礎にして、最近、「創造と伝統(詳伝社)」という本をお書きになった。以下、代表的な書評をご紹介するので、「KJ法」の未来性というものをまず予感いただきたいと思う。

 

 「自分お足で立つ思想家の大胆な文明論」・・・梅原猛 

 日本の学者で、自分の足で立つ思想を持っている人は甚だ少ない。川喜多二郎さんは、日本社会では例外的なしっかりした自分の足で立つ学者の同志であると常々思っていたが、今回、川喜多さんは、デカルトに始まる近代文明にまともに挑戦し、新しい文明の原理を提出するという実に大胆な書物を書かれた。川喜多さんに先を越された感じがするが、私は、このような思想家が日本から何人かでない限りは、日本はやはり経済の繁栄はあれど、精神は不毛な国と見られても仕方がないと思うのである。川喜多さんの壮挙に心からの敬意を表し、この書ができるだけ多くの人に読まれることを請い願うものである。 

 

 「混迷する民主主義に指針と合意を与えてくれる」・・・加藤寛 

 日本では55年体制の崩壊が大きなテーマとなっているが、それはいわば、古代から現代に至る民主主義の文明変革というべきであろう。世界では、ペルーのフジモリ大統領のような反対者抑圧型の民主制もあれば、民主主義で選んだ大統領を市民クーデターで追放するという民主制もある。こうした混乱は、新しい民主主義理念を再構築しなければ解決できない。川喜多二郎氏はKJ法を開発したことによって国内外にその方式が普及し、概念の合意を導く手法で名高い。その氏が、まさに民主主義の文明を解き明かした快著である。混迷する民主主義に指針と合意を与えてくれる。 

 

 この本はこのように素晴らしい本であるが、私がその書評を紹介した意図は、この本の宣伝をするためではなく、これを生み出した「KJ法」の素晴らしさを喧伝したいからである。間接的だが・・・・。 

 川喜多二郎さんがこの本の中で言っておられるが、「KJ法」は創造活動そのものであり、その成果品は、芸術作品と同じように、ひとつの価値ある作品なんだそうだ。そして、川喜多二郎さんは、これは、まさに情報化時代の、これからのヒット商品になるだろうと言っておられる。私も全くそうだと思う。 

 さて、過疎問題はいよいよ深刻である。もう待ったなしのところまで来ているのではないか。私も、今まで過疎問題を何とかしなければならないと考え、それなりに取り組んできたつもりであったが、靴の底から足をかいているようで、やっぱり核心部分に触れていなかったのだと今は感じている。しばらく川喜多二郎さんのことを聞いて欲しい。 

 「したがって私は、町や村の役場から市、県そして東京の中央官庁にまで繋がる行政体は、コミュニティーである自然村(注:川喜多二郎さんは、200世帯、1000人ぐらいの農山村集落をイメージしておられる)潰しを目指して、明治以来一貫してやってきているし、今もまだ、コミュニティー潰しを、僻地対策だと称して続けているのだと思う。このまま進んだら、コミュニティーは壊滅状態になるかも知れない。そうすれば、日本は、ダメになると思う。」 

「要するに、日本を含めた西欧文明のパラダイムの尺度に、私が述べている自然村というコミュニティーは合わないのいうことなのである。したがって、依然として行政体は、僻地対策とか何とかいって表面的には取り繕っているけれど、実際にはコミュニティーの改悪、あるいは解体に努めてきているということなのである。」

 

 川喜多二郎さんの言い方はやや強烈だが、私は、真実を的確についておられると思う。そのとおりだ。もと自治大臣の上杉光弘先生が言っておられるように、一万四千の農山村集落に焦点を当て、何とか思い切った対策を講じていかなければならないのであろう。農山村の集落、つまりコミュニティーの活性化が焦眉の急だ。川喜多二郎さんは、さらにこう仰有る。 

 「行政体とコミュニティーとの間の断層に、どうやってブリッジを架けるかということが、これからの大問題である。」

 

 「どっちがニワトリかか卵かは一概に言えないけれど、私はまず、社会組織としてトップダウンと釣り合うぐらいのボトムアップの参画運営ができるような、情報マネージメントの基盤を作ることが必要であると断定する。」・・・・・そうなんです!ボトムアップの参画運営組織なんですよ。・・・必要なのは・・・。まずこの点を強調しておきたい。

 

 さて、過疎問題の根本的解決には、まずはコミュニティーの復権だが、次の問題としては、先に述べた地域の伝統・文化に根ざした「草の根国際交流」とともに、「知的産業の育成」ということが重要である。そして、その基本になるのが「情報の創造活動」だと川喜多二郎さんは仰有っている!・・・「情報の創造活動」・・・・聞き慣れない言葉だが、「情報の創造活動」とは、単独ではほとんど活用のしようのない・・・生のいろんな情報を、ある問題意識に応じ、整理・加工し、付加価値のある情報としたものである。今は、情報の電子的処理技術だけが猛烈に発達して、それについていくのが大変な状況だが、受け手がその情報にどのような価値を見出すことができるのかが大問題で、情報を整理・加工して然るべき付加価値をつけなければおおよそ利用価値はない。つまり情報の創造に繋がっていかなければ、おおよそ意味がないということである。 

 川喜多二郎さんによれば、郷土愛などというときの愛とか愛着というものは、創造の共通体験から生じる。そしてその愛(川喜多二郎さんのいうところの創造愛)が累積していくと、そこに伝統的な組織体(川喜多二郎さんのいうところの伝統体)ができる。なかなか理解しにくいところもあるが、川喜多二郎さんは、その創造愛と伝統体の間で、情報の循環と累積がおこっていればその伝統体は持続可能・・・・そう言いたいらしい。要するに、「伝統体」というものの重要性と、それを前提とした「情報の循環と累積」の重要性には着目しなければならないだろう。今、地域においてはその「情報の循環と累積」が断ち切られてしまっている。いいかえれば、「情報の創造活動」がなくなってしまったということであり、これを現代風に復活させないともはや地域の伝統体、つまり地域コミュニティーは死に絶えるほかはない。「情報の創造活動」は喫緊の課題である。 

 

 「情報の創造活動」には、フィールドワークを前提にした「KJ法」が欠かせないが、フィールドワークを行う際、お年寄りの知識と知恵を聞き出すことがこれまた欠かせない。それがないと本ものの情報にならない。本ものの情報でないと、川喜多二郎さんがいわれる「情報して語らしめる」ことができないのだ。

「情報をして語らしめる」ためには、まず「お年寄りをして語らしめる」ことが肝要であろう。

 

 川喜多二郎さんによれば、「KJ法」の極意は「加乗除減」だそうだが、まず生(なま)の情報を集めることから始まる。つまり「加」であるが、「加」がすべての出発点だ。地域問題に関して住民の意見を集める場合、老若男女いろんな人の意見であることが必要で、通常の場合、偏りがあってはならない。偏りがあってはそれだけ偏りのある結果しかでてこない。この情報の創造活動には、できるだけ多くのお年寄りの参画が必要となる所以である。お年寄りの参画なくして、情報の・・・深みのある創造活動はできない。

 「加乗除減」それぞれの段階で「KJ法」ならではのいろんなノウハウがあるのだが、ここではとりあえず、地域問題に「KJ法」を適用する場合、お年寄りの参加が欠かせないということだけを強調しておけばそれで十分だ。 

 さあ、それでは、これから高度情報社会において、地域づくりのためにどういう情報創造活動があり得るのだろうか。まあ、いろいろと考えられると思うが、地域の活性化で、まず思いつくのは、都市と農山村の交流促進に関するものであろう。グランドワーク、エコミュージアム、クラインガルテン、B&Bなどについてその有効性を調べ、有効であるとすれば、公共事業で何をなすべきかを検討することも必要だ。これらは当然市町村が予算を組んで調査検討することになるのだが、その際重要なことは、すでに述べてきたように、ボトムアップの参画運営組織をどう作るのかということである。それが焦眉の急である。 

 地域には、そのときそのときにおける検討課題がある。種は尽きない。そして、「情報の創造活動」は、当然、その地域の風土に根ざした創造活動ということであるので、当然のことながらそれぞれの地域で行う必要がある。地域性があるということだ。また、リーダーによってもやり方が違うであろう。

 したがって、数多くいろんな作品ができるということだが、それぞれが適宜的確に価値ある情報として他に活用されることが望ましい。つまり市場価値を持たせ、市場に流通せしめることが望ましい。そのためには、それら作品のみならずその創造過程すべての情報について、べきデータベースが必要だ。そのデータベースは、行政で管理するか民間で管理するかは別として、地域の財産であることは間違いない。

 時とともに地域は変わり、人も変わる。このデータベースは永遠に増え続いていくのだが、そのデータベースは、いうなればそこに住む人々の汗の結晶である。自然環境に関する情報などよりもむしろ貴重な情報であるかもしれない。

 したがって、これら地域のデータベースをもとに、さらに「情報の創造活動」をおこなって、ビジネスの展開が図れないだろうか。地域における「知的産業」の育成である。こういった「KJ法」によって、重層的な「情報の創造活動」を行うことこそ、わが国における21世紀の新しい地域文化の創造であり、それが地域コミュニティーを救うことになるのでないかと思う。 

 

 お年寄りは地域における伝統・文化の担い手である。お年寄りが大事にされ、イキイキと高度情報化時代の地域づくりに参画している、そしてそれが「知的産業」の育成に繋がっていく、・・・そのような地域社会を、私たちは目指さなければならない。けだし、お年寄りの「イキイキ人生」は喫緊の課題である。

 

 

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▼コメント

 

185. Re: PFIの大前提4 [上田 勝] 4/1(16:31)

 

 

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