地域と公共事業

2002年8月24日

国土政策フォーラム

岩井國臣基調講演

於 中央工学校

 

 只今、ご紹介にあずかりました岩井國臣でございます。あまり時間がありませんので、ほんの要点のみお話させていただきます。私の言いたいことは、別紙で「地域と公共事業」ということで、数枚の資料を用意させてお手元に配らせていただいておりますので、後ほどご覧いただければ幸いです。時間も40分ほどですので、かいつまんで言いたいことの要点のみお話をさせていただきます。

 ご案内の通り、私ども建設関係に携わっているものとして、誠に厳しい逆風の中にあります。現下の一番緊急的な問題は、公共事業そのものが本年に引き続いてまた来年度も削減され、3%削減の話がもう確実視されているので、これを何とかしなくてはいけない問題があります。もう1つは、ダンピングまがいの安値受注競争が酷い状態になっているという問題があります。現在国会は閉会中ですが今月の29日に、決算委員会があります。私が質問に立ちますが、2時間、財務大臣、会計検査院、国交省その他関連各省に厳しくご意見を言おうと思っています。1点目の公共事業につきましては、小泉総理の30兆円というキャップがありますが、いわゆる建設国債と赤字国債とが混同されています。借金にも良い借金と悪い借金とがあり、住宅ローンの借金は良い借金なのです。結婚したら住宅ローンを組んで大いに家を建てた方がいいです。しかし、生活が苦しいからといって、サラ金みたいなところに手を出すとこれは悪い借金なのです。日本は言うまでもなく法治国家でありますから、国の財政運営については、財政法という法律があります。私どもの公共事業に関連する国土建設は財政法の第4条に載っています。4条国債と言いまして、いわゆる赤字国債というのは記載されていません。法律違反であるとは言いませんが、法律の趣旨に合わないのが赤字国債でありまして、30兆円の内23兆円が赤字国債、7兆円が建設国債です。問題は赤字国債でございまして、医療、福祉、年金とか社会保障関係の予算がなかなか削れないから公共事業を削るという安易な気持ちになってもらうのは困るのです。もう1つは、ダンピングで私は責任者の立場にいまして予定価格というのがあり、予定価格の80%〜90%はまだ良い方で70%、場合によっては50%〜60%で落札されています。このようなことで、きちんとした品質が確保できているのか、いい仕事ができているのかが大問題なのです。このような点を鋭く会計検査院とやりとりしたいと思っております。この原因は、財務省と自治省にあるようで、そのことが当面の問題であります。他にも色々とあるのですが、基本的にマスコミの論調を見ていると、公共事業に対しての理解度があまりにもなさすぎるのではないか、さらに国民の皆様の公共事業に対するしっかりとした理解がなさすぎるのではないかと思います。「公共事業は悪いのだ」、「建設事業が悪いのだ」、「土木技術者は何をしているのだ」という認識で困ったものです。そのような認識を基本的に変えるのは、並大抵のことではできないです。やっぱり、哲学から始めなければならないと考えております。時間がかかりますけれども地道な運動というものが、私どもに求められているのではないでしょうか。このような観点から、今日はお話をさせていただきます。

 

 現在、道路公団の民営化委員会で集中審議が始まっています。今朝の日経新聞その他各紙に載っていますが、私どもの感覚と随分ずれた議論が展開されていると思います。この度、技官になられました前道路局長大石氏が局長時代に「採算性と事業効果を峻別して議論をしてこなかったのではないか」と言っておられました。民間ベースの採算性ということだけで高速道路の問題を議論してもいいのか、ということが基本的にあります。事業効果は常に考えなければならないのですが、先般、大阪で、ある建設関係のグループとの懇談会がありまして、京大防災研の河田教授が「公共事業はB/C(事業効果)ではなくて哲学である」と言われておりました。私も全くその通りであると考えます。基本的に、国土づくり、地域づくり、町づくり、公共事業についての哲学が必要となるのではないでしょうか。その上に立って、あるものについては事業効果を考え、また、さらに部分的に民間が関与するものについては、採算性を考えなければいけないと思います。従って、公共事業、もっと言いますとものづくりの哲学、技術の哲学は何かと言うことを、もう一度考え直してみる必要があるのではないかと思います。

 

 

 私は、現在、「劇場国家日本」として、日本全体を劇場に見立てて国づくりをやったらどうかという、キャッチフレーズで、この国の在り方を勉強しております。その時々によって哲学が2系統あると思っております。一つは田辺元の「種の論理」、田辺哲学というのがあります。もう一つは西田哲学、「場所の論理」というのがあります。これをもう一回勉強する必要があると思っております。 田辺哲学の種の論理については、有名な中沢新一さんが、−今をときめく哲学者だと思っていますが−、田辺哲学の延長におられるわけです。中沢新一さんは、アメリカの9月11日のテロの後、何か突き動かされるものがあったようで、一気に緑の資本論をお書きになりました。これは、テロやイスラム原理主義に対する非難ではありません。

全く逆で、アメリカという国のやり方についての怒り、アメリカの傍若無人のやり方に突き動かされて、緑の資本論というものを書かれたのであります。これは、まさに現代科学文明の批判にもなっています。彼の言いたいことは、「モノ」、我々土木はまさにものづくりでありますが、日本人古来のものについては、西洋人のそれとは違って、「もの」と魂というのがあります。これがうらはらで一体不可分のようであります。西洋文明というのは、今の科学文明というか魂の部分を忘れて、「もの」だけになっているのです。これを「光の哲学」といいます。

カントからヘーゲル、デカルト、全部そうです。西洋哲学というのは全部一連の「光の哲学」であります。それに対して、ものと魂というのをうらはらに考える哲学−中沢新一さんがこれから作ると思いますが−は、光と陰の哲学であります。田辺 元はやはり同じようなことを言っておられますが、これを私は、ハイブリット思想と言っています。必ず陰があったら陽があるのです。禅の言葉に「両頭切断して、一剣天に依ってすさまじ」という言葉があります。白か黒か、善か悪かとか、そういう相対的な認識ではだめだということで、「善でもあり悪でもある」、「白でもあり黒でもある」、「白でもなく黒でもない」これは禅問答のようになりますが、そういうことを言っているのです。弁証法のような話になりますが、そういうことを言っているのです。その方が真理のように思います。「光の哲学」ではなくて、中沢新一の「光と陰の哲学」に基づいて、これからの日本のありようを考えていく必要があると考えております。

 

 もう一つ、西田幾多郎の「場所の論理」というのがあるのですが、場所には色々な場所があります。まずは生きていかなければならない訳で、「生きるための場所」があります。「食べ物をとる」、「空気を吸う」、「水を飲む」という生きるための場所があります。小さい頃、「すいば」と言いますが、そこは自分だけの場所だというものがありました。自分の身体の延長線上としての「場所」というものがありました。

それからもう一つは、先ほど行ってきましたが隣に王子稲荷という聖なる場所があります。神社、仏閣、靖国神社もそうかもしれないし、要するに聖なる場所というものが確実にあります。それにもう一つ、論理を裏付けるための場所、論理を展開するための根拠になるような場所というものがあります。私は「平和を訪ねる旅」とか、「武家社会源流の旅」など、ある主張をするためにいろんな所に行ってその場所を紹介している訳ですが、その紹介をしながら自分の主張、言いたいことがあります。その場所を借りて言っている、そういう場所があるわけです。

 いずれにしても、場所というのはそんな所でありますが、中村雄二郎さんの「リズム論」という考え方があります。場所は、リズム性を持っています。私が考えている「劇場国家にっぽん」は、劇場ですからそこには感動がなければなりません。場所は、そこの場所が持つリズム性というもの、つまりそこに行くと何か感じる。理屈ではなく響き合い−響き合いはリズム−は、ハーモニーです。そういう宇宙との響き合いがあります。山に行ったら、山での響き合いがあります。そういう響き合いというものを大事にしてスタートの場所づくりというものをやらなければならないと思います。

 

 そこで、もう一つの感動ですが、私は感動システムと言っていますが、感動システムの構造を言いますと、松尾芭蕉の句に「古池や蛙飛び込む水の音」というものがあります。この句は皆さんもご存知のことと思います。この句の「古池や」は、場所です。場所のリズム性があります。また、「蛙飛び込む」は一つの行動、演技があります。劇場という演技、動きがあります。「古池」だけでもいけない、また、「蛙飛び込む」ドボーンという音がなくてもいけません。それを見ながら、聞きながら、そこで感動するのです。「古池や」、「水の音」と心に響き合いがあります。同じ年に松尾芭蕉が「名月や池をめぐりて夜もすがら」と読みました。この句もまず場所が大事です。名月が一番映える、似合う場所が必要です。私の尊敬する明恵上人の歌で「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかの月」というのがあります。京都の高山寺に行くと良い庭があります。このような場所でないと詩えない詩があります。松尾芭蕉の詩というのは池がキーワードであります。「名月や池をめぐりて・・・」この池はどのような池でしょうか、綺麗な庭の池でしょうか、「古池や・・・」は蛙ですが、今度は人間がテーマであります。自分以外の行動を見て感動する、ではなく自分が演じることにより感動することもあると思います。「名月や池をめぐりてよもすがら」そこに感動があると思います。

 そのような、「行動する場所」があり、「行動」があり、「感激」する何かがあると考えます。そのような3つの要素を考えながら国づくり、国土づくり、地域づくり、町づくりを実施しなければならないと思います。これが私の言う「劇場国家にっぽん」における感動システムであります。

 

 

 さあそこで・・・・、公共事業をどうやるかという話に移ります。お手元の資料の最後に書きましたがPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)、これから私はできるだけ公共事業はPFI、PPPで行うべきと考えております。PPPと言うのは「パブリック(公共部門)」、「プライベート(民間)」、「パートナーシップ」であります。

 「最近はPPPの方がよいのではないか」という人が多いと思われるので、私も最近はPPPと言おうとしていますが、要は公共と民間とが一緒に事業を行うと言うことであります。どちらが主役というわけではなく、当然最終的な責任は公共側にあるわけですが、パートナーシップで対等な立場で行うことが大事であると考えております。

道路公団の民営化の話がありますが、私の「劇場国家にっぽん」という考え方からするとそんな考え方は古いのです。それは20世紀型の議論です。21世紀型はPPPであります。公共なのか民間なのか、公共といえば公共であるし、民間といえば民間であるし、一緒だと一体であるということが田辺哲学の「種の論理」になると思います。

 「公共がいいのか民間がいいのか」そのような議論は古いと思っています。もし道路公団が採算性の悪いものを実施してのであれば・・・、それは改めれば良いと思います。第三者機関などをつくり厳しくチェックしてやればいいと思います。私も道路公団の経営については考えなければならないと思っています。私は道路専門ではありませんがアイデアを持っています。「もっとこうしたらいい」とか私案は沢山ありますが、そういういろんな人のアイデアれをどんどんとりいれて勇気だしてやればいいと思います。ワンパターンでやることはないと考えます。しかし、全国プール制というのは必要だと思います。それができるのは道路公団だけであります。「民間か公共か・・」どっちも必要です。ですから私はこれからはPPPで行う方が良いと思っております。とりあえず小さい所からやった方がいいと思いますが、大きいこともやるべきです。町づくりのPPP、PFIでも・・・・、大きいものもやるべきです。小さいものを数多くやるが大きいものもやる。私が中国地方建設局長の時、本四公団の藤川さんが九州地方建設局の局長をやっている時に・・・・、二人で関門架橋の調査をはじめてました。この関門架橋ようなプロジェクトも、これからはPPPでやるといいかと思います。

 

 今日、話す事は、主催者の柳井さんよりご相談を受け、どのようなテーマがいいかご相談がありました。そこで今日とテーマになったわけですが、私は・・・・、今後、公共事業については私どもの身近な所に引きつけた方がいいと思います。地域の人と一緒に考えて地域づくりを、感動システムを実施していった方がいい。公共事業に対する信頼性が回復できると思います。感動システムづくりを今後地域とともにやっていかない限り・・・・公共事業に(土木や建築に対して)信頼性というのは回復できません。PFIは今言ったように、民間・・・、企業や銀行などいろんな産業も入り、民間で建設業が中心になりチームを組んで、地域づくりをやります。その時、民間と行政は対等です。行政はお金を出す方です。

 PPP、PFIは全て民間でお金を集めて全てやるという認識の方がほとんどだと思いますが、それは間違いです。PPPはパブリックと民間と対等な立場(パートナーシップ)でやりましょうということなので、行政の方は出せるものは出しらいいと思います。例えば、関門架橋の話などは・・・・、国土交通省(旧 建設省)の企画で、多くの費用がかかりますが、国土交通省は「それ以上は出さない。あとは民間でやってください。利子は出しません」としたらいいのです。限度額を決め、もし分割なら30年なら30年の分割払いと決めます。そして民間に競争させたらいいです。Aチーム、Bチーム、Cチームに競争をさせます。そうすると各チームで色々な条件を出してきます。例えば、限度額の90%出したら残りは私たちでやります、いや70%、45%・・と言ってくるところがあります。最悪の場合全て公共でやる覚悟でやっても、おそらく関門架橋の場合なら公共は一銭も出さなくもペイできます。行政は金を出す。やらなければいけない事をPFIでやるのですから、タダでできると思ってはいけません。一番大事な事は地域の人達、特に民間といっても地域の人たちではない、NPOとかボランティア団体などと一緒にやるプロジェクトをやることです。後ほど谷口局長が道普請の話をされるかもしれませんが、例えば、道路工事の中で、一部住民ができる部分でいいので、道路工事の手伝いをしてもらったらいいと思います。大事なことは地域が主体という考え方です。地域の感動システムという考え方です。

 

 

 中沢新一の言うものづくりを話したいと思います。ものづくりとはどういうことかというと、グローバルの時代で、「市場原理」、「経済原理」です。「公共事業は哲学だ」と言いましたが、公共事業の本質を言うと競争原理だけでやっているのではない。ものをつくる喜びというのは、お金だけですか。そんなことはないと思います。お金だけでない部分にPFIの光があたっていくと思います。感動システムです。地域の人と一緒にやっていくことで・・・・公共事業に対して信頼性が強く出てきます。

 

 

 21世紀は感性の時代です。今、ストレスの多い子供が増えています。「切れた」とかいいますが、そのストレスの解消の場として、「癒し」、「リゾートオフィス」といった癒しの場をつくらなければなりません。そして、21世紀は発展途上の国のさらに先をいかなければなりません。もっと頭を使って技術を使って、感性をわれわれが磨かなければなりません。そういう場所づくりが必要です。

 インターネット時代が進み、弱々しい人間ばかりが増えていく。もっと逞しい、生命力のあるゆたかな人間をつくらなければなりません。地域づくりを・・・・PFIをうまく活用してやっていくというようなことは、国土交通省しかできないのではないてでしょうか。最近インターネット、パソコンの世界ではエクスチェンジ(情報交換システム)ということを言いだしています。これは、国土交通省しかできないのではないかと思いますし、エクスチェンジというのが、新しい一つのキーワードになりそうです。それは感動システムを構築していく場合の大きな力になるはずです。これから防災システムということで光ファイバーを市町村すべてに整備していきますが、国土交通省がネットワークを持つということは、それはひとつの大きな財産であります。エクスチェンジというキーワードで色んなことができます。感動システムとPFI、PPP・・・・・・。

 

時間になりましたので、終わりにします。今日は感動システムの話をしました。それを実施するのがPFI、PPPです。詳しくは別途お配りした資料をご覧ください。また、癒しや感性、生命力の話をしましたが、このような本がありますので、ご紹介します。「ビジター産業に進路をとれ」という日刊工業新聞社で出したものです。ビジター産業というのがありますが、これがこれからの日本の在り方を左右する一つのキーワードではないかという事をご紹介させていただいて・・・・終わりにしたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

 

Iwai-Kuniomi