21世紀の野蛮
いよいよサダム・フセインに対する戦いが始まる。いよいよブッシュ大統領の力の政策が始まるのである。サダム・フセインの次は、いうまでもなく金 正日(キムジョンイル)である。日高義樹のワシントン緊急レポート「世界大変動が始まった(2002年11月30日、徳間書房)」は、ブッシュ大統領の力 の政策をドキュメント風にその全貌を余すことなく書いている。実にリアルであり、こういった事実を知らずしてこれからの政治をやっていけないことは間違い ない。政治家並びに政治評論家必読の書だ。
日高義樹が言うように、世界大変動が始まったのである。911テロはアメリカ国民にとって言葉には言い尽くせないほど衝撃的な事件であり、ブッ シュ大統領の決断によって始まるこの世界大変動の流れは長期に続くのであろう。当面この流れを大きく変えることはできないと思う。それはそのとおりだが、 果たしてそれで良いのか。
ジョセフ・ナイがその著「アメリカへの警告(2002年9月12日、日本経済新聞)で、「テロ攻撃の被害は恐ろしいものだったが、わたしの関心はそ れよりはるかに深い。」と述べ、アメリカの将来を心配してソフト・パワーによほど力を入れなければならないと警告を発している。私も同感だ。アメリカは、 ブッシュ大統領の今考えているハード・パワーにも増してさまざまなソフト・パワーを発揮していかなければならない。そのことに日本は大きく貢献できるので はないか。私は、いよいよ日本の出番だという感じがしないでもない。これから始まる世界大変動のその流れを食い止めたりその流れを大きく変えたりはできな いが、別の大きな流れをつくることはできるのではないか。ソフト・パワーの流れ、平和の流れである。
私はすでに、「冬祭 り」の哲学(http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/genji10.html)で述べたが、「両義性の論 理」や「空の哲学」が大事である。「両義性の論理」や「空の哲学」はわかりにくいかもしれないが、要は、中心部と周縁部、秩序と無秩序、文化と自然、人間 と動物・・・、それらの違いを認めながら、共和する心が大事である。結婚の心、調和の心、「和を以って尊しとなす」・・・である。熊と人間とは結婚すべき なのである。そうではあるが、それにしても・・・、どうも私たちは、まずは「違いを認める」ところから出発しなけばならないようである。したがって、ここ ではとりあえず「違いを認める」ことの重要性を強調することとしたい。浅海保がその著「アメリカ、多数はなき未来(2002年8月31日、ETT出版)」 で紹介しているアメリカのもうひとつの注目すべき流れ「ダイバーシティー(多様性)」がある。
アメリカはやはり強者の論理のまかり通る国であると思う。アメリカンドリームという言葉が幅を利かす弱肉強食の国である。戦いを愛する王者の国であ る。光の哲学に裏打ちされた一神教の国であると思う。日本はすべてその対極にあるが、アメリカと共通点がないわけではない。「東北」の思想だ。「環太平洋 の環」に通底する「平和の思想」だ。インディアンの思想はまさにそれそのものではないか。「人類はるかなる旅」に述べたように、中沢新一の言う「東北」つ まり「環太平洋の環」という概念とそこから展開される哲学は実にすごく、環太平洋の仲間たちよ、手を携えてやっていこう・・・という想いが強い。私は、 「環太平洋の環」の現在はお互い対極にあるが通底する部分を持つ日本人とアメリカ人というものが協働して、この「ダイバーシティーの思想」に磨きをかけ、 世界における「違いを認める文化」をつくっていくことができないかと思っている。
アメリカインディアンは平和の民である。西部劇で戦うインディアンが強調されているが、戦いを挑んでいるのは白人のほうだ。21世紀の野蛮はアメリ カでありテロリストではないのではないか。そういう気持ちを持ちながらこの文章を書いているが、中沢新一の言葉を紹介し、問題の「氷河鼠の毛皮」を以下に 掲げておく。
「21世紀の初めに世界規模で現実のものとなった、この圧倒的な非対称が生み出す絶望とそれからの脱却について、時代をはるかに先駆けて思考してい た作家がここにいる。宮沢賢治である。」
「彼は、テロそのものを言語道断なものとして否定しさろうとはしないで、そのうえで、非対称性のアポ リアからの脱却を思考した。山猫が都会から鉄砲片手に森にやってきた紳士たちに、実に手の込んだ洗練された報復テロを加える<注文の多い料理店 >のような作品ばかりの事ばかりを考えているのではない。今私の考えているのは<氷河鼠の毛皮>のことだ。」
氷河鼠(ひょうがねずみ)の毛皮
このおはなしは、ずいぶん北の方の寒いところからきれぎれに風に吹(ふ)きとばされて来たのです。氷がひとでや海月(くらげ)やさまざまのお菓子 (かし)の形をしている位寒い北の方から飛ばされてやって来たのです。
十二月の二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを発(た)った人たちが、どんな眼(め)にあったかきっとどなたも知りたいでしょ う。これはそのおはなしです。
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ぜんたい十二月の二十六日はイーハトヴはひどい吹雪(ふぶき)でした。町の空や通りはまるっきり白だか水色だか変にばさばさした雪の粉でいっぱ い、風はひっきりなしに電線や枯(か)れたポプラを鳴らし、鴉(からす)なども半分凍(こお)ったようになってふらふらと空を流されて行きました。ただ、 まあ、その中から馬そりの鈴(すず)のチリンチリン鳴る音が、やっと聞えるのでやっぱり誰(たれ)か通っているなということがわかるのでした。
ところがそんなひどい吹雪でも夜の八時になって停車場に行って見ますと暖炉(だんろ)の火は愉快(ゆかい)に赤く燃えあがり、ベーリング行の最大 急行に乗る人たちはもうその前にまっ黒に立っていました。
何せ北極のじき近くまで行くのですからみんなはすっかり用意していました。着物はまるで厚い壁(かべ)のくらい着込み、馬油(ばゆ)を塗(ぬ)っ た長靴(ながぐつ)をはきトランクにまで寒さでひびが入らないように馬油を塗ってみんなほうほうしていました。
汽缶車(きかんしゃ)はもうすっかり支度(したく)ができて暖かそうな湯気を吐(は)き、客車にはみな明るく電燈(でんとう)がともり、赤いカー テンもおろされて、プラットホームにまっすぐにならびました。
『ベーリング行、午後八時発車、ベーリング行。』一人の駅夫が高く叫(さけ)びながら待合室に入って来ました。
すぐ改札(かいさつ)のベルが鳴りみんなはわいわい切符(きっぷ)を切って貰(もら)ってトランクや袋(ふくろ)を車の中にかつぎ込み込みまし た。
間もなくパリパリ呼子が鳴り汽缶車は一つポーとほえて、汽車は一目散に飛び出しました。
同せベーリング行の最大急行ですから実にはやいもんです。見る間にそのおしまいの二つの赤い火が灰いろの夜のふぶきの中に消えてしまいました。こ こまではたしかに私も知っています。
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列車がイーハトヴの停車場をはなれて荷物が棚(たな)や腰掛(こしかけ)の下に片附(かたづ)き、席がすっかりきまりますとみんなはまずつくづく と同じ車の人たちの顔つきを見まわしました。
一つの車には十五人ばかりの旅客が乗っていましたがそのまん中には顔の赤い肥(ふと)った紳士(しんし)がどっしりと腰掛けていました。その人は 毛皮を一杯(いっぱい)に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指環(ゆびわ)をはめ、十連発のぴかぴかする素敵(すてき)な鉄砲(てっぽう) を持っていかにも元気そう、声もきっとよほどがらがらしているにちがいないと思われたのです。
近くにはやっぱり似たようななり紳士たちがめいめい眼鏡(めがね)を外したり時計を見たりしていました。どの人も大へん立派でしたがまん中の人に くらべては少し痩(やせ)ていました。向うの隅(すみ)には痩た赤ひげの人が北極狐(ほっきょくぎつね)のようにきょとんとすまして腰を掛けこちらの斜 (はす)かいの窓のそばにはかたい帆布(はんぷ)の上着を着て愉快そうに自分にだけ聞えるような微(かす)かな口笛(くちぶえ)を吹いている若い船乗りら しい男が乗っていました。そのほか痩て眉(まゆ)も深く刻み陰気(いんき)な顔を外套(がいとう)のえりに埋(うめ)ている人さっぱり何でもないというよ うにもう睡(ねむ)りはじめた商人風の人など三四人居(お)りました。
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汽車は時々素通りする停車場の踏切(ふみきり)でがたっと横にゆれながら一生けん命ふぶきの中をかけました。しかしその吹雪もだんだんおさまった のかそれとも汽車が吹雪の地方を越(こ)したのか、まもなくみんなは外の方から空気に圧(お)しつけられるような気がし、もう外では雪が降っていないとい うように思いました。黄いろな帆布の青年は立って自分の窓のカーテンを上げました。そのカーテンのうしろには湯気の凍り付いたぎらぎらの窓ガラスでした。 たしかにその窓ガラスは変に青く光っていたのです。船乗りの青年はポケットから小さなナイフを出してその窓の羊歯(しだ)の葉の形をした氷をガリガリ削 (けず)り落しました。
削り取られた分の窓ガラスはつめたくて実によく透(すき)とおり向うでは山脈の雪が耿々(こうこう)とひかり、その上の鉄いろをしたつめたい空に はまるでたったいまみがきをかけたような青い月がすきっとかかっていました。
野原の雪は青じろく見え煙(けむり)の影(かげ)は夢(ゆめ)のようにかけたのです。唐檜(とうひ)やとど松がまっ黒に立ってちらちら窓を過ぎて 行きます。じっと外を見ている若者の唇(くちびる)は笑うように又(また)泣くようにかすかにうごきました。それは何か月に話し掛けているかとも思われた のです。みんなもしんとして何か考え込んでいました。まん中の立派な紳士もまた鉄砲を手に持って何か考えています。けれども俄(にわか)に紳士は立ちあが りました。鉄砲を大切に棚に載(の)せました。それから大きな声で向うの役人らしい葉巻をくわえている紳士に話し掛けました。
『何せ向うは寒いだろうね。』
向うの紳士が答えました。
『いや、それはもう当然です。いくら寒いと云ってもこっちのは相対的ですがなあ、あっちはもう絶対です。寒さがちがいます。』
『あなたは何べん行ったね。』
『私は今度二遍(へん)目ですが』
『どうだろう、わしの防寒の設備は大丈夫(だいじょうぶ)だろうか。』
『どれ位ご支度(したく)なさいました。』
『さあ、まあイーハトヴの冬の着物の上に、ラッコ裏の内外套(うちがいとう)ね、海狸(びばあ)の中外套ね、黒狐表裏の外外套ね。』
『大丈夫でしょう、ずいぶんいいお支度です。』
『そうだろうか、それから北極兄弟商会パテントの緩慢(かんまん)燃焼外套ね……。』
『大丈夫です』
『それから氷河鼠(ひょうがねずみ)の頸(くび)のとこの毛皮だけでこさえた上着ね。』
『大丈夫です。しかし氷河鼠の頸のとこの毛皮はぜい沢ですな。』
『四百五十疋(びき)分だ。どうだろう。こんなことで大丈夫だろうか。』
『大丈夫です。』
『わしはね、主に黒狐もとって来るつもりなんだ。黒狐の毛皮九百枚持って来てみせるというかけをしたんだ。』
『そうですか。えらいですな。』
『どうだ、祝盃(しゅくはい)を一杯やろうか。』紳士はステームでだんだん暖まって来たらしく外套を脱(ぬ)ぎながらウエスキーの瓶(びん)を出し ました。
すじ向いではさっきの青年が額をつめたいガラスにあてるばかりにして月とオリオンとの空をじっとながめ、向うの隅であの痩た赤髯(あかひげ)の男 が眼をきょろきょろさせてみんなの話を聞きすまし、酒を呑(の)み出した紳士のまわりの人たちは少し羨(うらや)ましそうにこの豪勢(ごうせい)な北極近 くまで猟(りょう)に出かける暢気(のんき)な大将を見ていました。
*
毛皮外套をあんまり沢山もった紳士はもうひとりの外套を沢山もった紳上と喧嘩(けんか)をしましたがそのあとの方の人はとうとう負(まけ)て寝 (ね)たふりをしてしまいました。
紳士はそこでつづけさまにウイスキーの小さなコップを十二ばかりやりましたらすっかり酔いがまわってもう目を細くして唇をなめながらそこら中の人 に見あたり次第くだを巻きはじめました。
『ね、おい、氷河鼠の頸のところの毛皮だけだぜ。ええ、氷河鼠の上等さ。君、君、百十六疋の分なんだ。君、君斯(こ)う見渡(みわた)すというと外 套二枚ぐらいのお方もずいぶんあるようだが外套二枚じゃだめだねえ、君は三枚だからいいね、けれども、君、君、君のその外套は全体それは毛じゃないよ。君 はさっきモロッコ狐だとか云ったねえ。どうしてどうしてちゃんとわかるよ。それはほんとの毛じゃないよ。ほんとの毛皮じゃないんだよ』
『失敬なことを云うな、失敬な』
『いいや、ほんとのことを云うがね、たしかにそれはにせものだ。絹糸で拵(こしら)えたんだ』
『失敬なやつだ。君はそれでも紳士かい』
『いいよ。僕は紳士でもせり売屋でも何でもいい。君のその毛皮はにせものだ』
『野蕃(やばん)なやつだ。実に野蕃だ』
『いいよ。おこるなよ向うへ行って寒かったら僕のとこへおいで』
『頼まない』
よその紳士はすっかりぶりぶりしてそれでもきまり悪そうにやはりうつうつ寝たふりをしました。
氷河鼠の上着を有(も)った大将は唇をなめながらまわりを見まわした。
『君、おい君、その窓のところのお若いの。失敬だが君は船乗りかね』
若者はやっぱり外を見ていました。月の下にはまっ日な蛋白石(たんぱくせき)のような雲の塊(かたまり)が走って来るのです。
『おい、君、何と云っても向うは寒い、その帆布一枚じゃとてもやり切れたもんじゃない。けれども君はなかなか豪儀なとこがある。よろしい貸てやろ う。僕のを一枚貸てやろう。そうしよう。』
けれども若者はそんな言(げん)が耳にも入らないというようでした。つめたく唇を結んでまるでオリオン座のとこの鋼(はがね)いろの空の向うを見 透かすような眼をして外を見ていました。
『ふん。バースレーかね。黒狐だよ。なかなか寒いからね、おい、君若いお方、失敬だが外套を一枚お貸申すとしようじゃないか。黄いろの帆布一枚じゃ どうしてどうして零下(れいか)の四十度を防ぐもなにもできやしない。黒狐だから。おい若いお方。君、君、おいなぜ返事せんか。無礼なやつだ君は我輩(わ がはい)を知らんか。わしはねイーハトヴのタイチだよ。イーハトヴのタイチを知らんか。こんな汽車へ乗るんじゃなかったな。わしの持船で出かけたらだまっ て殿(との)さまで通るんだ。ひとりで出掛けて黒狐を九百疋とって見せるなんて下らないかけをしたもんさ』
こんな馬鹿(ばか)げた大きな子供の酔どれをもう誰(たれ)も相手にしませんでした。みんな眠(ねむ)るか睡(ねむ)る支度でした。きちんと起き ているのはさっきの窓のそばの一人の青年と客車の隅でしきりに鉛筆(えんぴつ)をなめながらきょときょと聴き耳をたてて何か書きつけているあの痩(やせ) た赤髯の男だけでした。
『紅茶はいかがですか。紅茶はいかがですか』
白服のボーイが大きな銀の盆に紅茶のコップを十ばかり載(の)せてしずかに大股(おおまた)にやって来ました。
『おい、紅茶をおくれ』イーハトヴのタイチが手をのばしました。ボーイはからだをかがめてすばやく一つを渡し銀貨を一枚受け取りました。
そのとき電燈がすうっと赤く暗くなりました。
窓は月のあかりでまるで螺鈿(らでん)のように青びかりみんなの顔も俄に淋(さび)しく見えました。
『まっくらでござんすなおばけが出そう』ボーイは少し屈んであの若い船乗りののぞいている窓からちょっと外を見ながら云いました。
『おや、変な火が見えるぞ。誰かかがりを焚(た)いてるな。おかしい』
この時電燈がまたすっとつきボーイは又
『紅茶はいかがですか』と云いながら大股にそして恭(うやうや)しく向うへ行きました。
これが多分風の飛ばしてよこした切れ切れの報告の第五番目にあたるのだろうと思います。
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夜がすっかり明けて東側の窓がまばゆくまつ白に光り西側の窓が鈍(にぶ)い鉛色になったとき汽車が俄かにとまりました。みんな顔を見合わせまし た。
『どうしたんだろう。まだベーリングに着く筈(はず)がないし故障ができたんだろうか。』 そのとき俄に外ががやがやしてそれからいきなり扉(とび ら)ががたっと開き朝日はビールのようにながれ込みました。赤ひげがまるで違(ちが)った物凄(ものすご)い顔をしてピカピカするピストルをつきつけては いって来ました。
そのあとから二十人ばかりのすさまじい顔つきをした人がどうもそれは人というよりは白熊(しろくま)といった方がいいような、いや、白熊というよ りは雪狐と云った方がいいようなすてきにもくもくした毛皮を着た、いや、着たというよりは毛皮で皮ができてるというた方がいいような、ものが変な仮面をか ぶったりえり巻を眼まで上げたりしてまっ白ないきをふうふう吐きながら大きなピストルをみんな握(にぎ)って車室の中にはいって来ました。
先登の赤ひげは腰かけにうつむいてまだ睡っていたゆうべの偉(え)らい紳士を指さして云いました。
『こいつがイーハトヴのタイチだ。ふらちなやつだ。イーハトヴの冬の着物の上にねラッコ裏の内外套と海狸の中外套と黒狐裏表の外外套を着ようという んだ。おまけにパテント外套と氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさえた上着も着ようというやつだ。これから黒狐の毛皮九百枚とるとぬかすんだ、叩き起せ。』
二番目の黒と白の斑(ぶち)の仮面をかぶった男がタイチの首すじをつかんで引きずり起しました。残りのものは油断なく車室中にピストルを向けてに らみつけていました。
三番目のが云いました。
『おい、立て、きさまこいつだなあの電気網をテルマの岸に張らせやがったやつは。連れてこう。』
『うん、立て。さあ立ていやなつらをしてるなあさあ立て』
紳士は引ったてられて泣きました。ドアがあけてあるので室(へや)の中は俄に寒くあっちでもこっちでもクシャンクシャンまじめ腐(くさ)ったく しゃみの声がしました。
二番目がしっかりタイチをつかまえて引っぱって行こうとしますと三番目のはまだ立ったままきょろきょろ車中を見まわしました。
『外(ほか)にはないか。そこのとこに居るやつ毛皮の外套を三枚持ってるぞ』
『ちがうちがう』赤ひげはせわしく手を振(ふ)って云いました。『ちがうよ。あれはほんとの毛皮じゃない絹糸でこさえたんだ』
『そうか』
ゆうべのその外套をほんとのモロッコ狐だと云った人は変な顔をしてしゃちほこばっていました。
『よし、さあでは引きあげ、おい誰(たれ)でもおれたちがこの車を出ないうちに一寸(ちょっと)でも動いたやつは胸にスポンと穴をあけるから、そう 思え』
その連中はじりじりとあと退(ずさ)りして出て行きました。
そして一人ずつだんだん出て行っておしまい赤ひげがこっちヘピストルを向けながらせなかでタイチを押すようにして出て行こうとしました。タイチは 髪をばちゃばちゃにして口をびくびくまげながら前からはひっぱられうしろからは押されてもう扉の外へ出そうになりました。
俄(にわか)に窓のとこに居た帆布の上着の青年がまるで天井(てんじょう)にぶっつかる位のろしのように飛びあがりました。
ズドン。ピストルが鳴りました。落ちたのはただの黄いろの上着だけでした。と思ったらあの赤ひげがもう足をすくって倒(たお)され青年は肥(ふ と)った紳士を又車室の中に引っぱり込んで右手には赤ひげのピストルを握って凄い顔をして立っていました。
赤ひげがやっと立ちあがりましたら青年はしっかりそのえり音をつかみピストルを胸につきつけながら外の方へ向いて高く叫びました。
『おい、熊ども。きさまらのしたことは尤(もっと)もだ。けれどもなおれたちだって仕方ない。生きているにはきものも着なけあいけないんだ。おまえ たちが魚をとるようなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるように云うから今度はゆるして呉れ。ちょっと汽車が動いたらおれの捕虜 (ほりょ)にしたこの男は返すから』
『わかったよ。すぐ動かすよ』外で熊どもが叫びました。
『レールを横の方へ敷いたんだな』誰(たれ)かが云いました。
氷ががりがり鳴ったりばたばたかけまわる音がしたりして汽車は動き出しました。
『さあけがをしないように降りるんだ』船乗りが云いました。亦ひげは笑ってちょっと船乗りの手を握って飛び降りました。
『そら、ピストル』船乗りはピストルを窓の外へほうり出しました。
『あの赤ひげは熊の方の間謀(かんちょう)だったね』誰かが云いました。わかものは又窓の氷を削りました。
氷山の稜(かど)が桃色や青やぎらぎら光って窓の外にぞろっとならんでいたのです。これが風のとばしてよこしたお話のおしまいの一切れです。