「劇場国家にっぽん」の構造

 

 

 古池や 蛙飛び込む 水の音

 

 

 延原時行(のぶはらときゆき)が・・・・、松尾芭蕉のあの有名な俳句にもとづいて・・・・「自覚の二重性」の重要性を説いている(ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>・・・仏教的キリスト教哲学の構想・・・、延原時行、法蔵館、2001年3月)。「自覚の二重性」とは、宇宙そのものの自覚というもの(宇宙論)と人間的自己の自覚というもの(宗教)が重なり合っているということを説明しているのだが、この際重要なのは、その説明の内容というより、この俳句の持っている哲学的構造を使って哲学上の難しい説明を判りやすくしているという・・・説明の方法である。私も、延原時行に倣って、この俳句の持つ哲学的構造にもとづいて「劇場国家にっぽん」の構造を説明したいと思う。

 

その前に、説明の内容・「自覚の二重性」についても、結局、延原時行は何を言いたいのか、私の言いたいこととまんざら関連性がない訳ではないので、まずそれを紹介しておきたい。

 

 今日、宇宙論と宗教が相即しないならば、いかに敬虔な心の立場において宗教の重要性を主張しようとも、ニヒリズムは避けがたい。文明の現在において人類は、そのテクノロジーでもって・・・・核汚染によるのであれ、環境破壊によるのであれ、はたまた生物学的手段によるのであれ・・・・自らも含めて地球上の生命を絶滅させかねない危機に不断に直面している。このような危機的な世界にあって、宗教を宇宙論と相即した問題と捉えられないならば、人類に将来はない。

 ことに、1991年のソ連邦崩壊後、世界中の人びとは冷戦期の自由主義圏と社会主義圏の対立の構図から解放されて、イデオロギー的目標を失い、文明のナマのニヒリスティックな現状に直面することを強いられているのだ。米国の黒人哲学者として著名なコーネル・ウエストが新著 Race Matters(New York:VintageBooks,1994)で力説する米国文明の最大問題としての「米国黒人社会におけるニヒリズム」は、実は、米国だけの問題ではない。人々、ことに辱められ抑圧された人々が「アイデンティティーと意味と自己価値への飢え」にさいなまれているのは、これはグローバルな問題なのであって、これは宇宙論と相即した宗教・・・宇宙的に祈る共在の神・・・の視点によってしか解決されることはないのである。

 

 延原時行が言うように、「蛙飛び込む」は行為の世界、倶現である。そして、「水の音」、これはホワイトヘッドの言う満足、倶現の完了である。ところで、この水の音は、古池の音なのか、蛙の音なのか? 無論、延原時行が言うように、古池 (宇宙そのもの、超越者)と蛙(個己)との一体化した「ドボン!」であった。そういうものとして水の音は、芭蕉にとって大音響に響いていたにちがいないと・・・・、延原時行は言っている。

そうなんだ。大音響に響かなければならないのだ。感動とはそういうものである。そこは全く延原時行と私と考えが一致している。ただ違うのは、彼は、「古池」を宇宙の象徴として捉え、「蛙飛び込む」を宗教的行為の象徴として捉えているのに対し、私は、それらを象徴としてではなくて、そのまま現実の姿として捉えている点である。「古池」はそういう「場所」であり、「蛙飛び込む」はそういう「行為」である。

 

 「古池」は「場所」の世界である。純粋の述語というか述語的述語の世界である。静的な世界である。場所的な舞台装置が大事である。「場所の論理」の働く西田哲学の世界である。歴史と伝統というものが大事にされなければならない。

 

「蛙飛び込む」は行為の世界である。変化を生じせしめる主体の存する主語的述語の世界である。動的な世界である。そこで役者としての人びとは何を演じるか、人びとの生き様が大事である。「種の論理」の働く田邊哲学の世界であり、「緑の資本論」の働く中沢新一の世界である。進歩というものが大事にされなければならないし、「モノ」づくりが大事にされなければならない。

 

 「水の音」はインスピレーションの世界である。意味の世界である。判断主体の存する主語の世界である。我は何を感じるか、感じ方が大事である。リズム論の働く中村雄二郎の世界である。「自覚の二重性」つまり宇宙そのものの自覚というもの (宇宙論)と人間的自己の自覚というもの(宗教)が重なり合っている・・・・延原時行の世界である。「場所」との響き合い、「モノ」との響き合い、人々との響き合い、宇宙や神との響き合い・・・、響き合いというものが大事にされなければならない。

 

 「劇場国家にっぽん」は、この3つの世界からなっている。歴史と伝統を大事にし、とどうじに進歩を大事にする。そのためには何よりも「モノ」づくりが大事にされなければならない。それによってはじめて人々の間に・・・響き合いによる感動が生れてくるのである。延原時行が言うように、大音響に象徴される大きな感動というものがなければ、ニヒリズムから逃れることは難しい。「劇場国家にっぽん」は、大きな感動、小さな感動、あらゆる感動を得るための・・・「場所」づくりと「モノ」づくり、そしてそのためのコミュニティーづくりを目指している。

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Iwai-Kuniomi