光と陰の生活空間を生きる

    ・・・穏やかな感性を磨く・・・

 

 園田稔によれば、本来、わが国の「マチの構造」は、通常の日常的な生活空間のほかに、「鎮守の森」や「里山」というような日常的ではあるが非日常的な生活空間から成り立っていた。日常的ではあるが非日常的という意味は、お祭りとか山菜取りとか非日常的な生活形態の「場所」であるので非日常的、しかし行こうと思えば容易に行くことができるので日常的・・・という訳だ。ところが、近代の都市化によって、そういう「マチの構造」がすっかり崩されてしまった。これからの町づくりには、そういう「鎮守の森」や「里山」というようなコスモロジー(宇宙との響き合い空間)を考えねばならないが、都市では現実になかなかむつかしい。したがって、私は、園田実も言っているのだが、流域単位でそういう「鎮守の森」や「里山」に代わるコスモロジー(宇宙との響き合い空間)を作らなければならないと考えているのである。本来は日常的な生活空間に持つべき「鎮守の森」や「里山」を、それぞれの流域単位に日常的な行動範囲を広げて考えていこうではないかという訳だ。いずれにしろ、私たちは、そういう日常的な「場所」で、厳密な言い方をすれば日常的ではあるが非日常的な「場所」で、「歴史と伝統に根ざした精神文化のその奥ゆきを生き、陰にかくれたひそかなリズムに耳を傾けて、鋭い感性を磨かなけばならない。」・・・のだ。

 もちろん日常的な生活空間の代替は流域に限る必要はない。流域を都市の延長線上にとらまえて本来その都市の中にあるべき「鎮守の森」或いは「里山」を上流域に考えようということであるが、人によっては、流域に限らずその他の地域において、別荘生活をする人もいるわけでそれはそれでかまわない。これも日常的な生活形態である。要は、そういう日常的な「場所」で、「歴史と伝統に根ざした精神文化のその奥ゆきを生き、陰にかくれたひそかなリズムに耳を傾けて、鋭い感性を磨かなけばならない。」・・・ということなのである。

 だから、旅はその持っている本質的な意味が違う。旅は、どこまでも非日常的である。旅を日常的にしている人は特別の人である。通常、旅はたまに出かけるものだ。非日常的な体験をするという意味では同じであるが、非日常的な体験というか非日常的な生活、厳密に言えばどこまでも非日常的な生活が旅である。今ここで、私が申し上げたいのは、日常的には出かけるわけではない、例えば「お台場」のような非日常的生活空間においても、「鎮守の森」や「里山」のような「陰の空間」が必要であるということだ。中沢新一の「光と陰の哲学」からすれば、私に言わせれば、これからあるべき「劇場国家にっぽん」の「場所の論理」からすればということになるが、「光と陰の哲学」からすれば、日常的な空間でも非日常的な空間でも、「光」と「陰」の部分が必要である。「お台場」は、冒頭に述べたように、「お台場」はまさに市場原理により激しいリズムを発している世界最先端の「場所」である。「光」の「場所」である。しかし、そういう「光」の「場所」であっても、「場所の論理」にしたがう限り、「陰」の部分を有していなければならない。この点が大事なのである。それでは「お台場」のお台場たる所以の「陰」の部分を紹介することとしたい。

 

では参ろうか。

参ろう!参ろう!

 


 

前回と同じように「りんかい線」はテレポート駅で降りる。

北口を出ればすぐに連絡橋・テレポートブリッジ。

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テロポートブリッジを出たところが「ゆりかもめ」のお台場海浜公園駅。

そのまま真直ぐに団地の中を降りていく。

道路に出てすぐ右のところがもうお台場海浜公園である。

 

 

 

駅を降りればただちに公園。

それもすばらしい海浜公園だ。

こんなところが世の中にあるのだろうか。

夢の中を行くようだ。

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近所の人が犬の散歩にきており犬を洗っている。

ここは遊泳禁止だし、この洗い場は人間用ではない。

犬用のものだろうか。

 

お台場(第3台場)に向かう。

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東京は関東大震災及び第二次世界大戦末期の空襲により甚大なる犠牲を蒙った。

二度の被災により隅田川河口近くに位置したここ旧防波堤にも、

漂着した犠牲者が数多く見られたという。

これら諸霊にたいし、

故富川栄氏の呼びかけに共鳴した地元の心ある人たち・・・・・・・・・・・・

慰霊が続けられることになった。

 

その慰霊碑が建っている。

 

この付近からお台場(第3台場)に続く道の風景はなかなかいい。

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やっとお台場(第3台場)に着いた!

 

 

 

 

お台場の名で知られる品川台場は

江戸幕府が黒船来襲に供えて品川沖に築いた砲台跡である。

設計者は伊豆韮山代官、江川太郎左衛門英龍で、

ペリーが浦賀に来航した翌月、嘉永6年(1853年)8月に着工。

1年3ヶ月の間に6基が完成した。

 

現在は大正15年(1926年)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されている。

このうち第三台場は昭和3年東京市(都)によって整備され、

台場公園として解放されている。

 

今私はそこにいる。

 

周囲には海面から5ないし7メートルの石垣積みの土手が築かれ黒松が植えられている。

また内側の平坦な窪地には 弾薬庫跡がある。

 

静かである。

 

落ち着いた雰囲気で気持ちが休まる。

ほとんど人がいないので、今、私だけの空間がここにあるという感じ!

いい感じ!

 

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 「お台場」の紹介はとりあえずこの程度にとどめておくが、最後に、河川の上流域、つまり水源地域において、都市が本来的に持つべき「鎮守の森」や「里山」といった日常的ではあるが非日常的な生活空間の代替施設を整える場合、それはそれでいいのだが、そういった「陰」の部分のほかにやはり何がしかの「光」の部分がないと不十分だということを申し上げておきたい。「光」の「場所」を整備するときは「陰」の部分も考える。「陰」の「場所」を整備するときは「光」の部分も考える。そういう複眼的な思考、ハイブリッド的な思考が必要である。

 それではいよいよ「陰」について考えてみたいと思う。

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Iwai-Kuniomi