Re: 平和の使者・坂上田村麻呂

 

 

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タイトル: 407 . Re: 平和の使者・坂上田村麻呂

お名前: 岩井國臣

投稿日: 1/4(18:13)

オリジナル: 404. 謹賀新年 ▼ [岩井國臣] 2/27(12:11)

コメント元: 405. Re: 謹賀新年 ▼ [岩井國臣] 1/4(18:06)

 

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平和の使者・坂上田村麻呂

 

 

 坂上田村麻呂は、わが国最初の征夷大将軍となった人であり、古来より武将とし

ての名声がすこぶる高い。確かに戦いには強い猛将でもあったのだろう。しかし、

私には、坂上田村麻呂は平和を強く求めた人であると思えてならない。平和の使者

と言っていいかも知れない。

 

 「怒れば猛獣もたちまちたおれ、笑えば幼児もなつく」といわれているが、武将

だから怒れば恐ろしいのは当然である。しかし、武将を言い表すのに「幼児もなつ

く」とは・・・。強気を挫き弱気を助く・・・、これは正義の人であるが、正義の

人、必ずしも幼児がなつくとは限らない。平和な心がないと幼児がなつくことはむ

つかしい。坂上田村麻呂はエミシ出身ではないかという説が今でもあるが、これと

て蝦夷征伐に行きながらいろいろとエミシの立場に立って行動したのだろう。平和

な心の持ち主でないとなかなか敵の立場には立ちにくいものである。

 

 「薬子(くすこ)の乱」というのがある。これは嵯峨天皇と兄の上皇との戦いで

あり、坂上田村麻呂が上皇軍を迎え討つべく出発するとき、そのおり、坂上田村麻

呂は文室綿麻呂(ぶんやのわたまろ)という人の同行を願い出て許可されている。

文室綿麻呂(ぶんやのわたまろ)という人は、もともと上皇側の人で、今は天皇側

に幽閉中の人である。そういう人をよくも厚遇できるものだと思う。武勇一点張り

人ではなかなかこういうことはできない。このことは、坂上田村麻呂が平和の人か

どうかは別として心の大きな人物であったことを示している。

 坂上田村麻呂いわく、「綿麻呂は武芸の人なり、しきりに辺戦を経る。乞い願わ

くばまさに同行せむ」。これを聞き天皇は、綿麻呂を位三階級上げ、かつ、参議に

任じ同行を許した。この破格の措置に、綿麻呂は歓喜踊躍(かんきようやく)して

田村麻呂の軍に参加したことはいうまでもない。坂上田村麻呂の面目躍如たるもの

があるではないか。

 

 延暦19年(800)10月、ついに、桓武朝第3次の蝦夷征伐が実施された。

44才の征夷大将軍・坂上田村麻呂は、翌801年の2月に、節刀を賜って京を出

発。軍勢4万をもって田村麻呂は胆沢を越えて東北奥部まで入った。どこでどうい

う戦闘があったのか記録がないので何とも言えないが、私の考えとしては、ほとん

ど戦闘というべき戦闘はなかったのではないかと思う。つまり、坂上田村麻呂の武

勇が知れ渡っていたのと・・・彼が平和外交を望んだために、大きな戦いがなかっ

たのではないかと思うのである。今までの相次ぐ戦いに疲弊してエミシにもう往年

の戦闘意欲がなくなっていたのかもしれない。

 坂上田村麻呂はそういう状況の中で胆沢城の造営を開始する。802年1月のこ

とである。そのさなかに、あのアテルイがついに田村麻呂の軍門に下ってきたので

ある。アテルイは降伏したのではなくて平和的講和にやってきたという説もある

が、真相はよく判らない。しかし、少なくとも言えることは、降伏にしろ講和にし

ろ、そういう雰囲気が田村麻呂にあったということだ。田村麻呂が胆沢城を築造す

るかたわら盛んに平和外交を進めていたのかも知れない。

 アテルイは、坂上田村麻呂につれられて京に上る。そして、田村麻呂の説得にも

かかわらず貴族たちの強硬な意見によりアテルイは京で処刑される。田村麻呂の嘆

きは如何ばかりか・・・、私には想像して余りあるものがある。

 坂上田村麻呂は、アテルイらの霊を慰めるために清水寺を建立・・・、これは私

の全くの想像であるが、案外そうなのかも知れない。清水寺は、もともと798年

に法相宗の寺として建てられたのであるが、それを全面的に増改築して現在の清水

寺になった・・・、そのことは事実である。805年のことである。

 アテルイ処刑のあと直ちに、坂上田村麻呂は造志波城使(ぞうしわじょうし)と

して陸奥へ赴いているが、その役目を終えて帰京後清水寺の改築が始まったという

のが私の想像である。そうだとすれば、清水寺増改築の動機はアテルイらを含む彼

我戦没者の鎮魂しか考えられないではないか。平和の使者・坂上田村麻呂というの

が私のいいたいことである。

 

 平和の原理は「おそれ」である。怨霊は鎮めなければ平和は来ない。清水寺は平

安のために建てられた。平和の使者・坂上田村麻呂の力によるのだが、平安京を守

る勅願所の誕生である。北法相宗の大本山でもある。清水寺におもむき、坂上田村

麻呂を思い、アテルイを思い、そして平和を思うのも悪くないだろう。

 

 

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▼コメント

 

429. 蝦夷と朝廷 ▼ [上田 勝] 1/19(18:48)

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437. Re: 蝦夷と朝廷 ▼ [上田 勝] 1/21(15:29)

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460. Re: 森総理の施政方針演説 ▼ [岩井國臣]

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470. Re: 森総理の施政方針演説 [岩井國

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461. Re: 敗者への視点 [岩井國臣] 2/1(00:31)

 

 

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