Re: 東北文化の誕生

 

 

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タイトル: 408 . Re: 東北文化の誕生

お名前: 岩井國臣

投稿日: 1/4(18:15)

オリジナル: 404. 謹賀新年 ▼ [岩井國臣] 2/27(12:11)

コメント元: 405. Re: 謹賀新年 ▼ [岩井國臣] 1/4(18:06)

 

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東北文化の誕生

 

 

 「続日本記」(724年)には坂東八国とあり七世紀の初期にはすでに相模の国

が出来ていたらしいが、七世紀になった頃はまだ相模の国はなかったと考えられて

いる。その頃、武蔵の国は現在の埼玉県と東京都と神奈川県からなる広大な地域で

あり、その中心地は現在の府中市の辺りであったらしい。しかし、あくまでも関東

地方の中心は鎌倉であったのである。意外に思われる方が多いかも知れないがそれ

が事実である。関東の中心は、関東地方のみならず東北地方にも睨みを聞かさなけ

ればならない関係から、海上交通で大和と直結していた鎌倉でなければならなかっ

たのである。大量輸送の手段は舟運であり、大和と直結するのは海上交通でしかな

い。その頃越後の国まで大和の支配が及んでいたが、これは日本海の海上交通によ

るものである。

 

 大和朝廷の勢力が東方に伸びていく過程において、太平洋の海上交通は物部一

族、日本海の海上交通は安曇一族がそれぞれ大きな役割を果たしたと考えられる

が、それぞれの発展過程において両地域にどのような交流があったのであろうか。

太平洋川の地域と日本海側の地域とはどのように結ばれていったのであろうかとい

うのが私の問題提起である。

 関東と越後とを結ぶ舟運は、荒川の舟運と千曲川の舟運である、秩父の十文字峠

を経て二つの舟運は繋がってはいたが、その地形的条件から、関東と越後はそれほ

ど密接な交流があったとは考えにくい。太平洋の黒潮文化と日本海文化とが繋がる

のは、大和朝廷の勢力が東進し、それらが山形に至って出羽の国ができてからであ

る。庄内平野と山形盆地、米沢盆地が繋がって出羽の国ができるのだが、東北地方

の文化的発展を考えたとき、出羽の国誕生のもつ意味は非常に大きい。

 

 東北文化の臍(ヘソ)とも言うべきところがあの山寺で有名な立石寺であると思

う。立石寺といえば円仁であるが、坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)の往く

ところ、いたるところに円仁の蔭がある。円仁は東北文化の成立に大きな役割を果

たしたのではないか・・・・・私はそのように考えているのである。円仁は、最澄

を超え空海を超え徳一を超えた、わが国が誇るべき世界の偉人である。その円仁が

布教活動にもっとも力を入れたところ、それが東北地方である。

 

 

 

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