タイトル: 623 . 戦略的ポピュリズムと自由な議論

 

昨日(6/1)の日経新聞「大機小機」という欄に「戦略的トピュリズム」と題してエッセイが載っておりました。小泉純一郎総理の現在のやり方に関連してのエッセイです。

一般的にポピュリズムについては批判があります。人気取り主義というのでしょうか、ポピュリズムというのはそういうことですね。いろんな政策を展開するのに人気取りというの優先してやっていく「人気取り政策」というのは批判があるわけですけれども、この際、小泉総理についてはその点いかがなものかという批判がないではない。しかし日経新聞のエッセイでは「小泉総理としては是非とも戦略的に人気取り政策をやってもらいたい」、そういう主旨の記事であります。「国民に対しまして、当面優しくし、国民に影響が及ぶような市場改革だとか、所得税の改革だとか、そういった国民が痛みを伴う改革というものは当面やめて、国民の支持を引き続き得ながらその他の諸般の改革を進めるということがいいのではないか」とそのような意見です。

「自民党の中の強い逆風のなかで諸般の改革を進めるためには、やはり国民の世論というものをバックに背負いながら思い切った改革を進めていくということが必要なのであって、人気取り政策だといわれても、戦略的にそれは許されるべきではないか」、そのような意見でした。

 

しかし、よくよく考えてみますと、そういう政策、日経新聞では戦略的ポピュリズムと一般でいう政策ですけれども、そういう政策というのはやはり、国民をだましているということになるのではないでしょうか。国民が痛みをともなうことであっても、それを率直に言いながら、そういった国民の痛みの伴うものについても議論をしていくということが民主主義国家に於いて正しいことであって、国民に具合の悪いこと、国民が痛みを伴うことについては当面隠しておいて諸般の改革を進めるということはやはりまずいのではないか。たとえ諸般の改革が正しいとしても民主主義的なやり方としてはいかがなものかと思います。

やはりすべてのことを議論すべきであって、国民の世論というものをバックにして、国民の支持をバックにしていろんな議論を封殺していくと言うことは、まずいのではないか。小泉総理は小泉総理の考えが当然あるわけで、その点が国民に当然受けているわけですけれども、その反対の意見もあるわけで、その反対の意見も含めていろんな議論をすることが必要なのではないでしょうか?

やはり「万機公論に決すべし」ということが基本にないと民主主義国家ということは成立しないのではないかというふうに思います。すべて、議論をつくすということは反対意見であっても自由にその反対意見を言えると言うことが大事なのではないでしょうか。私は戦略的ポピュリズムといえども、自由な議論を封殺するという点でやはり問題があるように思います。

 

現在、小泉改革ということでいろんな政策が出されました。31日に経済諮問会議において基本方針「骨太の方針」というのが出されまして、小泉改革の全貌ではありませんけれどもある程度の骨格は出てきたように思います。それぞれの政策は相互に関係しあっているわけで、ある一部だけをとらまえてその是非を云々するわけには行かないように思います。それぞれの政策が相互にどう影響しあうのかということも大事なことでありまして、やはり、総合的な議論が必要ではないかそのように思う次第です。

 

Iwai-Kuniomi