Re: 愛のトランペット吹き鳴らせ!

 

 

| タイトル一覧へ | 前へ | 次へ | コメントをまとめ読み | 新規 | コメント | 引用してコメ

ント

 

タイトル: 766 . Re: 愛のトランペット吹き鳴らせ!

お名前: 岩井國臣

投稿日: 12/17(08:10)

コメント元: 765. 陰陽師のつづきをアップ! ▼ [岩井國臣] 2/26(12:03)

 

------------------------------

 

 

 

 

けだし、愛というものは本当に大事だなあ!

 

愛のトランペット吹き鳴らせ!

 

聖書に「Love is Pasient」というのがあるそうだが、愛というも

のは自分の思うようにそう自由に出し入れできるものでない。相手に対する想いと

か思いやりというものが自然に湧いてくるうちはいいが、自己中心的になりそうで

なくなると、自己を抑えないかぎり相手に愛を感ずるなんてことはできない。克己

ということが必要になってくる訳だ。克己ということはガマンするということだ

が、ガマンをするということはなかなか大変で、そう簡単にできることではない。

やせ我慢になりがちである。やせ我慢でなくて自然にガマンができるようでないと

ダメだ。そのためには、自己に捉われない境地、すなわち無の境地になるのがいち

ばんいい。自分自身をコントロールするという努力は必要だが、克己というもので

なく、楽しみながら自由自在に自分をコントロールできれば一番いい。実際には、

そう簡単にいかないのだが、私が言いたいことはそれを理想にすべきだということ

である。努力が必要だという意味において「自力」、楽しみながらという意味にお

いて「他力」がそれぞれ必要である。私が「自他力」という勝手な言葉を使うのは

そういう趣旨である。なんとなくお分かりいただけたでしょうか。

 

「Love is Pasient」というときの愛は、極めて高次元のものであ

り、己を捨ててはじめて得られるものであろう。自力でもなく、他力でもな

い・・・・、なおかつ自力であり他力である。そういう絶対認識の境地こそ私たち

が目指すべき境地である。私が口癖のように言っている「両頭截断(りょうとうせ

つだん)」ということだ。

 

現実の政治や経済社会活動において、或いは私たちの日常生活において、さる9月

11日に発生した・・・あのようなテロ行為を容認することは到底できない。それ

を短絡的にイスラム原理主義と結び付けてはいけないのだが、それにしても私があ

の同時多発テロに関連して思うのは、排他的な宗教というもの、排他的な思想とい

うものは、これからの平和な世界とはおおよそ無縁なものである。そういう意味で

私はイスラム原理主義に疑問を感じている。同様に、法然の浄土思想にも疑問をも

っている。私は、平和のためには、やはり違いを排するのではなくて、違いという

ものを認める思想がいいと思う。「劇場国家にっぽん」のモットーは、「バラバラ

でいっしょ!」

 

------------------------------

 

▼コメント

 

コメントはありません

 

 

[タイトルへ]

Maintenance:DeltaCommunications support@deltacom.co.jp

 

Iwai-Kuniomi