足で稼ぐ

 

 

 足で稼ぐという言葉があるが、本当である。歩かないと目に見えないけれど歩くことによって思わぬ巡り逢いに出くわすことがよくある。昨日の会津の ユースホステルもそうだった。一生のうちのとても得難い経験をさせてもらった。伊佐須美神社の御利益だろうか。伊佐須美神社の参拝が終わって、会津高田の 街を歩いていたら、思わぬ・・・しかも誠に得難い出会いが二つもあった。

 一つは、奥会津に奥会津書房というすばらしい出版者があることを知りえたということである。もう一つは、伊佐須美神社の参拝のあとにできれば行こ うかなと思っている寺がかの有名な天海と密接不可分な関係にあるということを知ることができ、そのお寺詣でが大変有意義なものになったことである。

 第1の僥倖は、今私は、縄文の声に耳を傾けようとしている。もちろん中沢新一の影響であるが、そのために、今後できるだけ東北を旅しようと思って いるのである。あこがれの会津は、もちろん縄文の名残りが濃厚に残っているとの漠然とした期待はあったのだが、あこがれの会津という意味は、徳一ゆかりの 会津という意味であった。徳一はきっと縄文の声を聞いて自分の思考を鍛え、唯識にもとづきながらもさらに自由広大な思考を創りあげたのではないかとの一つ の仮定を持っていたのである。あくまでも仮定であって、それに自信があるわけではなかった。今回の旅で、奥会津書房の本に出会うことによって、それが確信 に変わった。徳一は、まちがいなく縄文の声を聞いて、神仏習合の思想を磨いていったと思う。彼の思想は、のちに、茨城は筑波山でこれを実践しながら、着実 に空海に伝えていったのである。そのような確信にも似た思いを抱くようになったのも、奥会津の本である。

伊佐須美神社の交差点を西に向かって、つまり会津高田の中心地に向かって歩いていく。10分ほど歩くと、次の大きな交差点にさしかかる。その南西の 角の本屋が目についたのでさっそく飛び込んだ。いつも現地の本屋にはできるだけ立ち寄ることにしている。東京では絶対にお目にかかれない郷土出版の本が見 つかることがあるからである。今回は次の本が見つかった。うれしかった。この本は実にすばらしいのだ。

 

 

 

表紙にちょっと見えない部分があるが、

こう書いてある。

 

「 魂の源流は縄文にある。

私たちが指標とすべき根本の理念は、

縄文へ回帰することで明らかになるだろう。」

 

おもて表紙の裏に、その続きが書いてある。

 

「たとえ貧しくても、

人を殺すことのない世界を目指そうとするなら、

私たちの遠い祖先が築き上げた縄文の世界を旅してみることだ。

 

まだ間に合う。

現代の私たちの熱い血の中に、

人が人として生き切った縄文の人びとの、

命の響きがこだましているからだ。」

 

 いやあ、そうなんですよ。そう。この奥会津シリーズは、第1巻が「自然からの伝言」、第2巻が「森に育まれた手仕事」、第3巻が「神々との物 語」、第4巻が「縄文の響き」、第5巻が「生きる」となっており、各シリーズの最後のページには、次のメッセージがのっている。

「本当のものが見えにくくなった今、

何を私たちは為すべきだろうか。

調和の中にあった幼き魂は、

どこへ行こうとしているのか。

まだ、きっと間に合う。

失った時間の彼方に、

子供達が歩く遠い未来に、

変わらぬたしかな明かりがあると信じる。

たくさんの願いと、たくさんの力強い手で、

切り立つ崖を歩こうとする子どもたちの、

その足下を照らそう。」

 

 奥会津書房は、只見川の畔、三島町の宮下にある。近いうちに是非お邪魔していろいろと話を聞きたいものだ。

 

 本屋を出て、バス通りを北へ向かう。国宝のお経があるという寺が目当てである。知らないところを歩いていると道々の風景も実に新鮮である。近くに は、伊佐須美神社のお田植えの圃場もあったりして、やはり神の国だ!

 

あっ、こんなところに丸石道祖神が・・・。

 

 

 バス通りを歩いていると、だいぶん歩いたであろうか、町の役場の前に天海の立像を発見。この会津高田がかの有名な天海の出身地であるこ とをはじめて知る。

 

 

 そして、お目当てのお寺、龍興寺に行ってみると、何と・・・、そこが天海が得度した寺であることを知る。

 11歳のときここで得度して、粉河寺(下野)で修行。その後、14歳の時に比叡山延暦寺にのぼる。その後、興福寺(奈良)、足利学校(下野)など に学んだ。

 徳川家康に見い出されて、盟友となる。家康の信認あつく、遂には、徳川三代将軍に仕えることとなった。日光東照宮を創建。山王権一神道を確立す る。

 昨日は、雷電山法用寺で勝道がこれを創建したことを知ったばかりである。勝道は言わずと知れた日光山における神仏習合の草分けであり、天海は日光 山の今日を築いた人である。私は、勝道と天海は何か見えない糸で強く結ばれているのを感じる。今、私は、徳一を会津に訪ね、神仏習合の歴史的意義を追求し ようとしている。今まで天海は私の意識の中にあまりなかったが、これからは天海を勉強せねばなるまい。

 

 ちなみに言えば、私は、最澄の天台は、円仁によって変わった。円仁の天台は縄文に近づいたと思う。そして、比叡山からは法然のような異端児も出る が、東国では、天海の天台、すなわち日光山における山王権一神道では縄文と気脈を通じるようになっている。ここに、わが国の神仏習合という信仰形態に一つ の方向性を見ることができるのではなかろうか。徳一と明恵、それに空海。さらには勝道と天海、それに円仁。これらの人びとは、時代が変わろうとも、「縄文 の響き」を聞いていると思う。「縄文の響き」・・・、これによって思想の円熟が図られていくようだ。勝道と天海と円仁は、いずれも東国の人である。縄文の 響きがみちみちている国の人びとだ。勝道と天海と円仁の共通点、これは決して偶然の一致などではない。私はそう思う。キーワードは「縄文の響き」だ。

 日光山における神仏習合(山王権一神道)についても勉強せねばなるまい。天海についても勉強せずにはおれない。この会津高田の御縁で、がぜん日光が光り始めてきた。ありがたい ことである。歩く旅のお陰である。

 

 さて、龍興寺である。

龍興寺へ行こう。

 

 

 

 

 

 

 

この龍興寺は、

会津33観音巡りの番外札所になっており、

多くの参拝客が訪れる。

 

「浮身(うきみ)をば

救(たす)け給えや観世音

導き給えや弥陀の浄土へ」

 

 

それでは境内をゆっくり見て回ろう!

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(註:龍興寺の正式のホームページはここ!

 

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