怨霊、鬼、そして妖怪

 

平和を語るには、どうしても怨霊とか鬼或いは妖怪について語らなければ ならない。広島は国際平和文化都市である。これからの広島の有り様を考えるには平和を語らなければならないが、そのためには、どうしても怨霊とか鬼或いは妖怪について語らなければならないのだ。小松和彦さんがその著書「憑霊(ひょ うれい)信仰論」で言っておられるように、問題は、怨霊、鬼、妖怪とは何かと 問うことではない。そうではなくて、そういった怨霊、鬼、妖怪のずっと背後に どういう真理があるのかということこそが問題の核心なのである。原爆ドームが私達の庁舎であったこともあって、私は、平和について語らなければならない し、「国際平和文化都市」ひろしまについて語らなければならない。また、私は、地域づくりを専門にしている以上、平和の原理をふまえた「地域づくり」につ いて語らなければならない。そのためには、どうしても、怨霊、鬼、或いは妖怪の ずっと背後にどういう真理がかくされているのか、その辺について語らなければならない。

 

なお、妖怪にはいろんな妖怪がいるのでちょっと焦点が絞りにくいが、民俗学や心理学で盛んに研究されるのは山姥とか河童とかである。土佐光信(とさみつのぶ)鳥山石燕(とりやませきえん)河鍋暁斎(かわなべぎょう さい)・・・・・などの絵師が描いた絵画の中での妖怪たちは、民俗学や心理学など学問の対象にはならないのかもしれないが、これはこれで大変おも しろい。存在の価値は充分にあると思う。

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ちょっと脱線したようだ。上にも述べたように、今、私達は、怨霊、鬼、或いは妖怪のずっと背後にどんな真理がかくされているのか、それを問題にして いる。怨霊、鬼、或いは妖怪について考え、これがどのように平和と関係するのか。どのように地域づくりと関係してくるのか。哲学の問題として怨霊、鬼、或 いは妖怪を問題にしている。

 

したがって、上記の妖怪リンクを楽しむのも良いけれど、科学的認識だけはしっかり持った上で楽しんでもらいたい。この辺の呼吸は大変難しいのだけれ ど、非科学的な言論にはよほど注意してかからなければならない。決して興味本位 の言動に惑わされてはならない。 


 

「護法」とは、通常、密教の奥義をきわめた高僧や修験道の行者・山伏たちの使役する神霊・鬼神を意味しているが、そういった高僧や験 者は「護法」の力を使って怨霊や鬼或いは妖怪の災いを取り除く。小松和彦さん によれば、それら高僧や験者が行う呪文・経文の誦唱と・・・・・怨霊、鬼、妖怪の 間に、不可視的・観念的レベルにおおむね属している媒介項的存在が認められ、それが「護法」と 呼ばれる存在である。 陰陽では「式神」という。

 

存在とは、存在そのものであり存在者ではない。ちょっと判りにくいかもしれない。今の場合、神の話ではないので神を例にするのは適当でないかもしれ ないが、判りやすいかと思うので神を例に説明する。存在とは、我が国におけるやよよろずの神のようなもので、唯一の存在者ではない。存在とは多神教におけ る神、存在者とは一神教における神のようなものと理解されたい。存在とは海のようなもので、存在者とは山のようなものである。海は一にして多である。山は 一にして一である。

 

こう説明してもやっぱり判りにくいかもしれないが、「護法」とは、存在そのものであり、高僧や験者の修行の程度によってその強さが違 う。修行を積んだものほど強力な「護法」を呼び出すことができる。

 

さて、近代においても「護法」というようなものが必要なのであろうか。そこが問題であって、私は、近代科学では何ともならない災いと いうものがある以上、やはり、「護法」のようなものが必要ではないかと思う。「護法」の本質は何かという問題については、追 々考えていくとして、とりあえずは、怨霊や鬼或いは妖怪に対応して「護 法」という存在があるということを申し述べておきたい。

 


怨霊や鬼或いは妖怪はそれぞれ少しづつニュアンスを異にする。この際、怨霊や鬼或いは妖怪などの詳細な説明をしておこう。

 

[怨霊][鬼][妖怪][つきもの][犬神][悪魔][霊魂]

 

 

これ叉若干脱線気味したかもしれない。問題は、怨霊、鬼、妖怪とは何か と問うことではない。そうではなくて、そういった怨霊鬼、妖怪のずっと背後に どういう真理があるのかということこそが問題の核心なのである。私は、問題の核心を探し求め・・ 旅を続けたいと思う!