シーサーと石敢当 

 

 

 

私は、先に、「高僧や験者が行う呪文・経文の誦唱と・・・・・怨霊、鬼、妖怪の間に、不可視的・観念的レベルにおおむね属している媒介項的存在が認められ、 それが「護法」と呼ばれる存在である。」と述べた。 

 「護法」とは、存在そのものであり、高僧や験者の修行の程度によってその強さが違う。修行を積んだものほど強力な「護法」を 呼び出すことができるのである。

 

その点「魔除け」はちがう。広辞苑によれば、魔除けとは「悪魔を避けるための物。まもり。護符。」であり、明らかに目に見える存在物である。目に見 えない「存在」というようなものではない。しかし、本質的には、怨霊、鬼、或いは妖怪たちの動きを鎮めるためのものであり、広義の意味で「護法」に含めて 考えていいのではないか。

 

私は、さらに、先に、「魔物、奇怪な何ものかに操られないよう、子供のうちから、ひびの生活の中で、それらに抵抗する強力なパトス<情熱> を身につけていかなければならない。そのための生活環境・・・生活空間が必要だ。そのための町づくり、地域づくりが必要なのだと思う。怨霊、鬼、或いは妖 怪たちの動きを鎮めなければならない。それらと向かい合わなければならない。そして、彼等と自分・・・さらには世の平和・・・安寧というものを祈らなけれ ばならない。そのための知的なポトス<場所>が必要なのだ!」とも述べた。

 

なお、テレビ「宮崎駿の妖怪」について、沖縄の久島昌弘さんはいろいろとコメントを書 かれているが、そのなかに宮崎俊の考え方を紹介しておられる。大変参考になるのでそれを紹介しておきた い。

 

 

 

 

このほかにも妖怪には

[水虎(すいこ)] [川赤子(かわあかご)] [山童(やまわらわ)] など

いろいろなものがいる。

それら妖怪はおおむね夜中に走り回るのだが、

時によりスピードがつき過ぎてT字路で曲がりきれないことがあるらしい。

そのためにT字路の正面の家に妖怪が突入することがあるようで、

これを弾き返すために

「石敢当」が家の塀に張り付けてある。

石敢当は(せっかんとう)または(いしがんとう)といい、沖縄では一般的である。

九州にも若干あるがそれ以外ではきわめてめずらしい。

 

なお、次のものは沖縄都ホテルの玄関前にある石敢当である。

 

神社仏閣は大事にされなければならないし、巨木の町づくりが必要である。杜の町づくりが必要なのだ。怨霊、鬼、或いは妖怪たちを鎮めるための町づくり・・・・それが杜の町づく りだが、それは神は当然のこと、「護法」とともに住むための町づくりでもある。山や川を大切にし、山ぎわや川辺というものを大切にしなければならない。怨霊、 鬼、或いは妖怪たちを鎮めそして大切に扱わなければならないのだ。ただ単に巨木を残しさえすればいいというものではなく、怨霊、鬼、或いは妖怪、そしてと もかく自然を恐れ敬う町づくりである。

 

金のトランペット吹き鳴らせ! 

 


 

このように、沖縄には、これから21世紀という時代の町づくりにおいて、このもっとも大事な精神的要 素というものが色濃く残っている。これからの町づくりはそこに住む人たちが主役でなければならない。そこに住む人たちの思いというものが十分に反映されな ければならない。そこに住む人たちの心がこれからの町づくりの基本でなければならないのだ。その点で、・・・・・・・沖縄は・・・・おそらく・・・・全国 の町づくりをリードしていくに違いない。そして、・・・・・心豊かな人々が・・・・きっと数多く・・・・沖縄に集まってくるに違いない。 沖縄に幸いあ れ!!

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