アメリカという国

 

 アメリカという国については、いろんな人がいろんな風に書いているのであろうが、私には、吉田和男の見方がわかりよい。吉田和男が、その著書「ものの見方・欧米と日本(平成6年、同文書院)」にアメリカの個人主義について書いているのでその要点を紹介しておきたい。

 

 

『 アメリカの個人主義は、ヨーロッパの個人主義と違って、極めてイデオロギー的であることが特徴である。すなわち、多数の価値観をもった人々が集まり、社会を構成しているのであるから、その基礎となる考えは自然に歴史の流れから生れたものとは異なることになる。結局、異なる人種、文化の中で、共通して持てる理念は個人主義でしかない。しかも、それが道徳的、宗教的重要性をもっているところがアメリカ的である。個人主義を保障する「自由」に対しては、時には力をもって守ろうとする。 クルーズは「アメリカ精神・・・・自由への愛、自由企業の精神、自由な束縛されない機会」という表現をしているが、まさに個人の力を重要視するアメリカの精神といえよう。個人が個人の能力を自由に最大限に発揮することが道徳的に価値をもつのである。これが政府による個人への介入を拒否し、市場における自由な経済活動を重視させる。 』

 

 短い文章であるが誠に言い得て妙である。今回のイラク戦争も松井選手のヤンキーズ入団もこれでよく理解できるのではなかろうか。ヨーロッパ各国の個人主義は各国ごとに特徴があって一まとめにすることはできないが、ヨーロッパの個人主義とアメリカの個人主義とはやはり随分と違うものらしい。それはやはり歴史や伝統、それに風土が違うということらしい。アメリカの建国の精神は、自由と民主主義だと思うが、その建国の精神に裏打ちされた競争社会にあって、力のある個人はイキイキと生きていける。それがアメリカという国の競争社会ではないか。吉田和男が言うように、アメリカのフェアは競争社会の倫理を意味する。強いものが生き残るのは「正義」なのである。

 

『 アメリカが、外国にも軍事力で干渉し、世界秩序の形成に力を入れてきたのも、このような考えによる。アメリカの問題点は、多様な価値を認めるものの、基本的な枠組みを維持するためには強大な権力が必要という連邦制度にある。正義を基本とする限り、国際政治で容認できないのは国内政治でも容認できない。日本をアンフェアとして攻撃するのは、そのやり方を認めれば国内政治がもたないからである。イラクのやり方を認めれば、アメリカ国内が崩壊するのである。 』

 

 

 私は先に、「21世紀の野蛮」というタイトルで・・・、『 いよいよサダム・フセインに対する戦いが始まる。いよいよブッシュ大統領の力の政策が始まるのである。サダム・フセインの次は、いうまでもなく金正日(キムジョンイル)である。日高義樹のワシントン緊急レポート「世界大変動が始まった(2002年11月30日、徳間書房)」は、ブッシュ大統領の力の政策をドキュメント風にその全貌を余すことなく書いている。実にリアルであり、こういった事実を知らずしてこれからの政治をやっていけないことは間違いない。政治家並びに政治評論家必読の書だ。日高義樹が言うように、世界大変動が始まったのである。911テロはアメリカ国民にとって言葉には言い尽くせないほど衝撃的な事件であり、ブッシュ大統領の決断によって始まるこの世界大変動の流れは長期に続くのであろう。 』・・・・と、今回のイラク戦争のことを書いた。

良い悪いは別である。善悪は別として、アメリカという国は基本的にはそういう国であるということだが、そういう基本が未来永劫変わらないということでは勿論ない。上記の文章に続いて書いておいたが、ジョセフ・ナイのような人も少なくはないのである。そこに大きな希望がある。ジョセフ・ナイがその著「アメリカへの警告(2002年9月12日、日本経済新聞)で、「テロ攻撃の被害は恐ろしいものだったが、わたしの関心はそれよりはるかに深い。」と述べ、アメリカの将来を心配してソフト・パワーによほど力を入れなければならないと警告を発しているのだが、それもまたアメリカの良識である。

 

 

 また、私は先に、浅海保の著「アメリカ、多数はなき未来(2002年8月31日、ETT出版)」で紹介しながら、アメリカのもうひとつの注目すべき流れ「ダイバーシティー(多様性)」があると述べた。アメリカにおけるこういう底流は世界における大きな希望である。

浅海保によれば、『 アメリカの歴史はそもそも、次から次へと海外からやってくる人々・・・つまり「マイノリティー」を労働者として必要としながら、一方で彼らを「搾取」し、さらには彼ら同士の間にくさびを打ち込み「分断して支配」してきた歴史であり、その構造自体は簡単に消えそうにない。 』

つまり、アメリカの支配層に属する人たちというのは、必ずしも「ダイバーシティー」を理想にしているわけではないということらしい。むしろ、逆に、マイノリティーたちを互いに対立させてそれぞれの力を弱め、マイノリティー全体に対する「支配」をよりスムーズに行なうための手段にしようと考えている人たちも少なくないということらしい。そうかもしれない。そうかもしれないが、アジア系やヒスパニックのありようは、まことに強烈なものがあるというのも事実であるであろう。私は、アメリカのことについては書物の知識だけでしか知らないししかもきわめて断片的な知識しかないので、断定的なことはとてもいえないが、浅海保が言うように、そういう葛藤それ自体がアメリカの新たなる挑戦といえるのであろう。浅海保はこうも言っているのだが、アメリカの支配層に属する人たちすべてが「ダイバーシティー」を新たな「分断して支配」する手段とにしようと考えているわけではない。「ダイバーシティー」の可能性をみているエリートも少なくないというのも事実らしい。浅海保によれば、そういう人たちは、「ダイバーシティー」の進展こそがアメリカの繁栄を約束するものである、との認識をもっている、あるいは、そう信じようとしながら、社会の最先端で動いているというのだ。そうだろう。アメリカにはそういう人たちがけっして少なくないと私も思う。そこに大きな希望がある。

 

アメリカという国の持つ二面性・・・、強いものが生き残るのは「正義」であるというアメリカの傲慢さと「ダイバーシティー」の進展こそが将来の繁栄を約束するものであるというアメリカの良識という・・・この二面性について、私たちはそのまま正しく認識しておかなければならないのではなかろうか。偏見は厳に戒めなければならない。「ダイバーシティー」の進展こそがアメリカの繁栄を約束するものでもあるのである。

 

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