アノ世

 

梅原猛先生が「アノ世」について語っておられますので、ご紹介します。(「地球の哲学」、梅原猛、松井孝典共著、PHP研究所、1998年9月)

 


 

■人間は「あの世」をどう考えてきたか−−梅原

 

 デカルトは西洋の形而上学の中心問題は神の存在の証明と魂の不死の証明であったといいますが、どちらもあの世ということが前提になるのです。デカルトは『哲学原理』で自分のこの知はこのような神の存在と魂の不死の証明の書で、従来の形而上学と変わりはないとしていますが、これはあながち伝統的なスコラ哲学者に対する弁明なのではありません。彼はあの世を抜きに神の存在および魂の不死の証明を行ったわけです。

 東アジア世界では、あの世の問題から比較的自由であったといえます。たとえば孔子は「怪力乱神を語らず」といっていますが、これは近代の理性主義はもちろん、同時代のソクラテスやプラトンと比べても、問題をこの世だけで処理しようとした理性的な態度を示します。しかし、孔子が大切にしたのは、やはり祖先の祭です。祖先の祭というのは、やはり祖先の霊はいつまでも故郷にいて、子孫を思っているという信仰です。この儒教の祖先崇拝は私が前に述べた、縄文時代から日本にある、そして中国にも古くからあったと思われる、家族単位で人間の霊は生き死にを繰り返すという思想とどこかでつながっています。

 あの世はたしかに空想的なものかもしれませんが、人間というものはこのような空想的なものなしには生きられない動物であるに違いありません。

 

 

■平等な原始的「あの世」観−−梅原

 

 少し余談になりましたが、そういう原始的な狩猟社会では、階層というものがほとんどない。それで、皆平等なのです。もちろん、あの世はこういう民族にとって大問題ですが、すべての人があの世へ行くことができるのです。そして、あの世はこの世とあまり変わらないところであって、となると、この世の昼があの世の夜で、あの世の夜がこの世の昼で、この世の夏があの世の冬で、この世の冬があの世の夏であるというふうに、ただ秩序が正反対になっているだけの世界です。

 このようなあの世とこの世の違いは、いまの日本の風習にも残っています。死んだ人の着物を左前にします。そして、死者に贈るものは必ず傷をつけますが、それはこの世の完全なものはあの世で不完全、この世で不完全なものはあの世で完全であるという信仰によります。そういうふうに、この世とあの世はただ反対という点が異なるだけで、この世と連続しているわけですので、人が死ねば魂はもとの肉体を離れてあの世へ行き、あの世でまた、一足先にあの世へ行ったご先祖と一緒に暮らし、また子孫の誰かが子どもをつくるときに、あの世の誰かの霊が呼び返されて、この世に帰ってくるわけです。

 この場合、あの世は皆一様であり、極楽と地獄の区別はありません。それではあまり不公平だという感じがあるでしょう。良いことをした人間も、悪いことをした人間も皆一様にあの世へ行くのはかえって不公平だという意見がありますが、それに対して、悪いことをした人間はこの世へ帰ってくるのが遅くなる、良いことをした人間はこの世に帰ってくるのは早いというところに違いを認めます。しかし、遅かれ早かれ、あの世へ行って、また帰ってくるのですから、やはり平等であるといわざるを得ません。おそらく狩猟採集時代においては、全世界の人の共通の信仰であったに違いない、そういうあの世観が人類のもとのあの世観であるに違いありません。

 

 

■「地獄の思想」は都市文明成立後に生まれた−−梅原

 

 ところが、やがて階級社会の成立とともに、あの世は二つに分かれるのです。この世で良いことをした人間は極楽へ行き、この世で悪いことをした人間は地獄へ行く、こういう考え方は私は詳しくは実証しておりませんが、農耕社会ができてから起こったに違いありません。

 

これは明らかに農耕が生まれ、都市が生まれ、国家が生まれ、そしてはっきりと階級社会ができあがった以後の産物だろうと思います。

 

このように都市が生まれ、文明が生まれ、階層社会が生まれるとともに、あの世ははっきり地獄と極楽に分かれ、極楽はますます楽しいものになり、地獄はますますに恐ろしいものになります。

 

 

Iwai-Kuniomi