地主権現磐司磐三郎

 

 

 

山寺の地主権現磐司磐三郎の祠は、お山の五大堂の岩窟にあり、高さ一尺三寸木彫の坐像が安置されている。元狩人であったというので傍に石造の犬を置いている。

さて、磐司はどんな人であったか其の説は色々あってこれと定めることはできない。ある学者は奥羽に於ける山岳神話であると言い、あるいは半神半人であるとし、またぐっと現実的に蝦夷人であるなどの諸説がある。

当地の伝説では普通の人間で狩人であったとされているが、ただ、猿の子であると言われている。これは磐司の父は日光の猿摩呂であったためと思われる。

磐司は初め奥州名取郡の沃谷で狩をしていたが、後に山寺に移り千手院に住んだ。慈覚大師が山寺の土を初めて踏んだとき、対面石の所で面会し、土地の状況等につき談合した。互いに語り合う中で二人は共に野州(栃木県)の同郷人であることがわかり、大師の開山には全力を盡して助力したため、地主権現として祀られたのである。

後、磐司は山寺が佛の山になって狩ができなくなると秋田に去ったと語り伝えられている。

 

 

磐司伝説

1 山寺千手院の人口、一つ石に磐司が矢を研いだ所とされている矢研清水(やとぎすず)というのがある。今もこんこんと清水が湧き出ている。

2 この清水の上に磐司が弓をかけた松、弓かけ松があった。別に笠松とも言われた。

3 千手院部落の端に一基の古碑がある。これは磐司の犬の碑(墓)であると一般に信じられている。また、犬の碑と山王神社との間は磐司屋敷跡と伝えられている。

4 仙山線面白山トンネル入口付近に「大声立」という所がある。これは磐司が大声を立てて犬を呼んだ所とされている。

5 面白権現近く焼枯(やつかれ)という所がある、昔磐司がここで化物を退冶したということである。

6 千手院の先にマリ山という所がある。この名称は磐司の犬の名が「マリ」であった事から取ったということである。

                        以上六項、後藤長富氏、佐々木太四氏談

 


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1、盤司盤三郎を想う

2、盤司盤三郎と獅子踊り

 

 

 

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