太古の響き

 

 

 私は先に、中沢新一の考えにしたがって、『 熊を主題とする神話的思考、これは「対称性社会の知恵」の源泉であるが、この神話的思考の変奏曲は、北東アジアからアメリカ大陸にまでの広大な空間にまたがって・・・・さまざまな形で存在し、またそれは歴史的にも一万年以上にわたっての永い永い時間にわたって存在し続けているのである。東北でも、その変奏曲の一部が風土となって今なお息づいている。その代表は宮沢賢治であるし、盤司盤三郎などの民話や伝説である。三内丸山遺跡や大湯のストーンサークルなどの遺跡も何かを語りかけてくる。私たちは、それら東北の風土から神話的思考の変奏曲に耳を傾け、感性を磨き、「対称性社会の知恵」を自分のものとして身につけていかなければならないのである。 』と述べた。中沢新一は、「環太平洋の環」ということを言っていて、この「環太平洋の環」のことを「東北」と呼んでいる。中沢新一の言う「東北」は、日本の東北地方から北海道、サハリン島、アムール川流域から東シベリアにかけての地帯、さらにはアリューシャン列島から北米大陸の「北西海岸部」と呼ばれている地帯まで広がる、広い領域を含んでいる。

 

中沢新一は、その著書「熊から王へ(2002年6月、講談社)」の中でこう述べています。『 私たちの「東北」は、太平洋に隔てられた、日本列島とアメリカ北西部をひとつに結んでいます。このような考えは、まったく突拍子もないように感じるかも知れませんが、じつは最近の考古学の研究は、むしろこの考えを支持しているのです。一万年以上も続いた日本列島の縄文文化と、アメリカ大陸のカリフォルニア・インディアンの文化との間には、なにか深い関係があったようです。それはきわめてよく似た「縄文土器」が、両方の場所で見出されていることなどによっても示唆されていますし、なによりも北西海岸一帯の生業のかたちが、縄文文化ととてもよく似ているのです。どちらの地帯も、狩猟と漁労に頼っていました。そしてその狩猟と漁猟の文化の中で、熊と鮭がきわめて重要な動物となっていました。熊と鮭が縄文社会で、きわめて大きな意味をもっていたらしいことがわかっています。また、縄文文化の直接的な末裔と考えられるアイヌ文化や、東北のマタギたちの生活文化を見てみましても、熊と鮭の狩猟はとてつもなく重要なものでした。そこでおこなわれている狩猟の形態、動物を解体するときの作法、肉の保存方法、狩りをおこなったときにする儀礼のかたち、熊と鮭にまつわる神話や伝説などが、ほとんど同じかたちで、北米大陸の北西海岸インディアンのもとに、見出されるのです。 』

 

東北のマタギの代表が盤司盤三郎である。マタギの典型的な姿というか理想が盤司盤三郎であると言ったほうがいいのかもしれない。東北地方の潜在的な考え、さらには中沢新一のいう「東北」の思想が盤司盤三郎の伝説に現われている。盤司盤三郎の伝説は私の大好きな伝説のひとつである。ともかくそれを紹介しておこう。

 

■磐司と桐の花

 

 むかし、陸中(りくちゅう)の国に、ふたりのまたぎがすんでおった。

 ひとりは、万治(まんじ)といった。もうひとりは、磐司(ばんじ)といった。よく似た名前のふたりだったが、なにもかもちがっておったそうな。万治が山へはいれば、けもとというけものは、思うままにとることができた。それにひきかえ、磐司が山へはいれば、けものというけものは、尻を振って逃げていく。そんなふうだから、磐司は、いつも万治にばかにされておったそうな。

 ある日のことだった。

 万治が山へはいっていくと、うつくしい女の人が岩に寄りかかって、苦しんでいた。女の人は万治をみると、

「お願いです。子どもが産まれそうになっているもので、喉がかわいてなりません。水を」

 とたのんだ。万治は顔色かえて、ぺっとつばをはき、

「とんでもねえ。おらたち、またぎはな、死人の穢(けが)れより、お産の穢(けが)れをきらうだ。ちょっ、今日の仕事はこれでおしまいよ」

 といいすてると、振りかえりもせず、のしのしと山をくだってしまった。

 しばらくすると、磐司がやってきた。磐司はたまげて、女の人のそばへ寄ると、

「どうしたね、えらく苦しそうだが」

 と、やさしくたずねたそうな。

「水を一ぱい汲んできてください。喉がからからで」

 磐司はすぐに走りだし、木の椀に一ぱい、谷川の水を汲んで引きかえしてきた。すると、そのあいだに、なんと、十二人の赤ん坊が産まれておった。十二人の赤ん坊は、産まれたばかりというのに、枯れ葉の上を這いまわったり、えんこをしたり、あうあうと、歌をうたったりして、遊んでいたそうな。

 磐司はたまげて、

「なんたら強いわらしだ。こげに強いわらしは、みたことも、きいたこともね」

 と、十二人の子を眺めまわしていたと。

 女の人はごくごくと、喉をならして水を飲むと、わらっていったそうな。

「ありがとう磐司、わたしはこの山の神です。苦しいところを助けてもろうて、こんなにうれしいことはない。このお礼には、おまえに山の幸(さち)をさずけよう。おまえは、これから山へはいったなら、磐司、磐司と、自分の名をとなえるがよい。それが山の幸の手形です。それにしても、にくいのは万治、苦しんでいるものに、水一ぱい、汲んでやる気のない男には、もう山の幸はやれませぬ」

 それからというもの、いままでとはまるで反対になった。磐司が山へはいれば、けものというけものは、思いのままとれるようになった。一方、万治は、どんなに山を駆けまわっても、一匹の鹿さえとれないようになってしまった。

 磐司は、山の神へのお礼に、十二日は山の神の祭日ときめて、山へはいらんようにした。十二とは、十二人の赤ん坊にちなんだという。

 磐司が死んでからも、山の人たちはそれを守った。ことに十二月十二日は、山の神が木を数える日だといって、けっして山へはいらない。山の木といっても、何万本とある木だから、数えるのも容易ではない。そこで山の神は、ところどころで二本の木をねじりあわせ、

「これで一万本」 

 というように、心おぼえにするそうな。こんなわけだから、うっかり人間が山へはいると、木とまちがえられて、数えられたり、きゅっとねじりあわされたりする。それで、けっして山へはいってはならんという。

 

 さて、山の神にまもられて、磐司はしだいしだいに、りっぱなまたぎになっていった。

 陸奥(みちのく)の山々はもちろんのこと、遠く下野(しもつけ)の山まで、けものをおって走ったそうな。そうしておしまいには、またぎの神さまとうたわれるようになったと。

 ある時のことだ。

 磐司は早池峰山(はやちねさん)に小屋がけして、けものを追っていた。ところが、ある夜、真夜中ちかく、磐司が囲炉裏の火をたいていると、ずん、ずん、ずんと地を鳴らして、ふしぎな物音が近づいてきた。人の足音のようでもあるが、それにしてはおかしい。腹の底にこたえるような、なんとも気味の悪い足音だった。

 磐司が、じっと耳をすましておると、その足音は小屋の前でとまり、入口にたれたむしろのあいだから、じいっと中をうかがっている気配だ。磐司はぎょろりと目をあげて、入口をにらんだ。すると、怪しいものは驚いたのか、ぼうおうと風のようにうなって、あっというまに姿を消したそうな。

 ところがつぎの夜、真夜中ちかくなると、また、ずん、ずん、ずんと、腹の底にこたるような音を出して、怪物がやってきた。

 磐司は、ようし、今夜こそ正体みきわめてくれる、と、そっとものかげに姿をかくし、足音が近づいてくるのを待っていた。やがて、黒い影が、木のかげからあらわれた。その姿の恐ろしさ、背丈は磐司の倍もあろうか、一本足で、ずん、ずん、ずん、と、とびはねながらやってくる。

「なるほど、あれでは人の足音とちがうわけだ」

 磐司はうなずいて、ぼんやりとした三日月の光に、じいっと透かしてみると、近づいてくる怪物は、無気味とも無気味なことに、顔がふたつ、目がひとつ。その目は、囲炉裏の熾(おき)のように、かっと赤く光っていた。

「はああ、一つ目、一本足。これが話にきいた。山じいというものだな」

 磐司が、こうしてみているとも知らず、山じいは小屋に近づくと、むしろ蔭から、そうっと中をのぞいたが、磐司がいないのに気がついたらしく、首を落とすと、がっくり、がっくり、はねながら、また帰っていったと。

 さあ、磐司はふしぎでたまらん。

「いったい、ありゃなんだべ。いずれ、おらをとって食う気だべ。ようし、あすの夜はひとうちでぶち殺してくれる」

 つぎの夜になると磐司は、鉄砲をかまえて待ちうけていた。と、また、腹にこたえるような足音が、ばかに急いでやってくる。とおもうまもなく、入口のむしろがひきめくられて、山じいが、ぬうっと顔を出した。

「磐司、おまえをみこんで、たのみごとがある」

「なに、たのみだ、たのみたあ、なんだ」

「じつは今まで、毎晩のようにこの小屋をたずねたども、にらまれれば恐ろしくて、どうしてもはいってこれなんだ。だども、このままでは、おらは殺される。なんとか助けてもらいたい」

「話によっては助けてもやるが、なんで、おまえのような山じいが、そんなにびくびくしているだ」

「おらはもともと、ずうっとむかしから、この山にすんでいた。この山はこのあたりで、高さも高いなら、うつくしいのも一番といわれている山だ。そこで、ほかの山の奴らはうらやましくてならぬ。とうとう、顔が三つ、目が一つ、一本足の山じいがのりこんできた。ところが、そいつの力のほうがおらより強い。このまんまでは、おらが殺されるにきまっている。なんとかそいつをうち殺してくれろ」

 山じいは、たって一つの目から、ぽろぽろと、涙を流してたのんだそうな。

「よし、それではいかにも力になってやろう」

 磐司はひきうけた。

「ありがてや、おまえがいれば百人力だ」

 山じいは、踊るように帰っていった。

 つぎの夜になると、山は急に荒れはじめた。雨や風がごうごうと吹きつのり、恐ろしい山鳴りとともに、山はどろどろとゆれ、山も谷も、いまにも姿をかえるのではないかと思われた。

「さては、山じいたちのたたかいがはじまったか」

 磐司は、鉄砲の用意をし、嵐の音に耳をかたむけていた。と、思ったとおり、激しい足音が、いり乱れてひびいてきたかとおもうと、全身から湯気をたてた山じいが、小屋の中にどさりと、転げこんだ。あらあらしい息をはき、うしろを指さしているばかり、口もきけない。

「ようし、みてれ」

 磐司が鉄砲をかまえたときだ、小屋の屋根がべりべりっとひきむしられ、顔が三つ、目が一つの山じいが、ぬうっと顔をつきだした。

 があん、磐司の鉄砲が火をふいた。うなり声をあげて山じいはどさりと倒れ、それっきり、もうなにもいわなかったそうな。

 早池峰の山じいは、お湯のような涙を、ごぼごぼだしてよろこんだ。そして、お礼にと、磐司を山の奥深く連れていった。

 深い森を、めぐりめぐって歩いていくと、川の流れに出た。流れは、大きな洞穴(ほらあな)の口から流れでている。その洞穴をはいっていくと、そこはいちめんの桐(きり)林だった。ちょうど花のさかりで、うすむらさきの桐の花が、咲きにおっていたそうな。その下を、透きとおる水の流れが、日の光をうつしてきらきらと流れておった。

 磐司はこの桐林を、「磐司が洞(ほら)」となづけ、桐の木をきってはつかい、きってはつかったが、いちめんいちめんの桐林は、つきるということがなかったと。

 磐司の死んでからのことだ。猿(さる)が石(いし)川に、花の季節になると、川の流れに乗って、うすむらさきの桐の花が流れてきたそうな。それをみた村の人が、この川の流れをたどっていけば、「磐司が洞(ほら)」にでるだろうと、桐の林をたずねて、何人もの人がでかけていった。

 しかし、誰ひとり、「磐司が洞」をたずねあてたものはなかったと。 

(岩手県)

 

狩猟社会の人々は、動物や植物というモノに化身した森のタマが、自分たちに自然の賜物を贈与してくれていると考えて生きていた。この考えが「東北」の思想であり、盤司盤三郎の伝説によく現れている。「東北」の思想がよく現れている伝説に「鮭の大介」というのがある。「鮭の大介」の伝説については、中沢新一の著書「熊から王へ(2002年6月、集英社)」にもいくつか紹介されているが、私の好きな新潟県は信濃川の民話を紹介しておきたい。森の王者が熊であれば川の王者は鮭である。

それではここをクリックして下さい!