
奥の院という名称は、大同年間(806〜809年)に徳一が圓蔵寺を創建した際、礼拝の対象に奥行きを持たせるために建立したものである。

さて、圓蔵寺にお参りして私がいちばん思うことは、徳一が何故このような場所に寺をつくったのかということと、その後いろんな経緯があるとは思う のだが、何故この圓蔵寺が一番人気があるのかということである。「場所」の問題と「運営」の問題である。
まず、「場所」の問題から話をしよう。
聖なる空間は宇宙との響き合いのできる場所である。宇宙との響き合いは、何よりも空であり、星である。真っ暗な中で満点の星。こんな神秘なことは なかろう。私は、若い時から山をやっていて、そのことは身体でしっかり覚えている。北極星だ、北斗七星だ。ちなみに、奥秩父にある私の山小屋は「北天の小 屋」というが、周りの景色はあまりよくないが、北側を向いているので北極星や北斗七星が夜通し真正面に見える。それだけはすばらしい。「北天の小屋」と呼 ぶのは、そういう北極星や北斗七星に対するあこがれからだ。
もう一つ大事なことは、地質だ。大地というか地球そのものと響き合える方がいい。ということは、温泉が吹き出ているとか、大きな岩が露出している とか、何か地質学的な特徴があれば、それを手引きに大地とのとの響き合いができる。ちなみに、私のおく秩父の山小屋は、この日本列島ができた時の秩父古生 層とその後の第3紀層との間の・・・かの有名な荒川断層の近くにある。東大地質学部の初代教授であったナウマン博士が当時よく来て、「こりゃあ、世界一す ばらしい景色だ」と言ったとか言わないとか・・・、そういう話が伝えられている・・・場所だ。その点では、私の山小屋は、まあいいところにある。その荒川 断層から少し離れているのが玉に傷で、荒川の畔にあればなあ・・・とも思うが、そうすれば北極星や北斗七星が見えない。誠にうまく行かないものだ。
できれば川の畔が良い。川は千差万別。いろいろな表情を四季折々に見せてくれるし、特に洪水の時は自然の猛威を見せつける。自然の恵みと自然の恐 ろしさを実感できるのは川である。
「場所」の問題は、天と地、山と川、それに交通条件が揃えばいうことはない。
以上「場所」の選定に関して思いつくままを申し上げたが、そういうことを考えた時、この圓蔵寺のある場所ほど宇宙との響き合いのできる場所が他に あるだろうか。宇宙との響き合いのできる最適の場所、それがこの柳津の圓蔵寺である。
次に「運営」について話をしよう。「運営」の問題というのは、「場所」さえよければあとは特段何も苦労はしなくていいのか、それとも何か運営上の 工夫というものがあってそれによって参拝客が多くなったり少なくなったりするのか、そういう問題である。私は、やはり運営上のいろいろな工夫というものが 当然あるのではないかと考えている。圓蔵寺について、他の虚空蔵寺と比べてこれはという特別の運営上の工夫があったのかどうか、もしあったのだとすればそ れは何か。私には解らないが、何かあったに違いないと思う。そういうことを学問的に調査分析して欲しい。「劇場国家にっぽん」としては大事な課題である。 このことをまず指摘しておいて、素人ながら今感じていることを少し話をしておきたい。まずは祭りのことである。
祭りは神社仏閣と切っても切れないものである。これは言うまでもないことだが、その祭りというものは、やはり人気のものとそうでないものがあるの ではないか。人気のある祭りというものは、地域ぐるみの熱心な取り組みがある。となれば、その地域ぐるみの熱心な取り組みというものはどこから生まれてく るのか。私はやはりその地域のリーダとそれを支える応援団だが肝要だと思う。地域のリーダーを育てそれを支える応援団を育てるシステムが今わが国では崩壊 しつつある。地域コミュニティーが崩壊しつつあるからだ。「運営」の問題のおおかたは地域コミュニティーの問題である。
「運営」の問題でもう一つ大事なのは、「演出家」の存在だ。全国のそういう祭りを活性化するためには、すぐれた「演出家」の応援が必要だ。しか し、そういう全国的に自由に活動できる「演出家」が今はほとんどいないのではないか。そこが一つの大きな問題で、ボランティアで活動できる「演出家」を増 やさなければならない。「劇場国家にっぽん」はそういう社会システムをつくらなければならないと思う。
(註:地域コミュニティーの活性化のために「演出家」というものが必要だという私の主張については、この ページを参考にして下さい!)
次は、「縁日」のことである。昔は、市(いち)ができて、神社仏閣のお詣りもさることながら市(いち)での買い物が「縁日」の楽しみでもあった。 しかし、現在は、身近かなところに何でも売っているし、家にないものはないぐらいだ。商品が溢れ帰っている。そういう時に「縁日」の売り物はどうあればい いのだろうか。祭りとか「縁日」というものは、非日常性にその特徴があるから、非日常的で、人びとが欲しているもの・・・ってあるのだろうか。ある。あ る。あるんですよ。それが。それは・・・・・「癒し」だ。ソフトなサービスだけを言っているのではない。ものはものでも、物ではなく「モノ」が不足してい る。「タマ」の現れとしての「モノ」が少なくなってきている。グローバルな時代、市場競争が進めば進むほど心のこもった「モノ」は少なくなる。私は、「癒 し」を合い言葉に「縁日」の再生が図れないかと思う。
註:「劇場国家にっぽん」はここから始まりました!