1月6日の日経新聞で、国文研(国際日本文化研究センター)の川勝平太教授が、「わが国はこれから美を文明の価値とする道を模索したらどうか」と述べておられる。劇場国家にっぽんはまさにそれを目指しているとも言えるので、要点を紹介して、それにつき若干私の考えを述べておく。
文明の価値は「善」だけだろうか。善と対等の価値として「真、善、美」といわれるような真も美も価値たりうる。真には偽、美には醜が負の価値して対置できる。アッラーを奉じる者は神の言葉を「真」とするであろう。キリスト教・法秩序は善、科学は真にかかわる価値だ。キリスト教・法秩序がアメリカの軍事力と結びつき、科学が技術力に転ずれば、「力の文明」になる。力の文明は、善や真の大義名分のもとに、人間を殺傷し、環境を破壊する行為に走りやすい。しかし、大義名分が何であれ、その行為自体は野蛮であり、醜い。
地球の姿から学ぶべきであろう。地球は崇高にして美しい「水の惑星」だ。天然の水は清い。「日本文明」は何をもって価値基準とするのか。水に流してさっぱりすることの得意な日本は、真と善の神々の闘争に加わるよりも、あえて中立を守り、美を文明の価値とする道を模索してもよいのではないか。
以上だが、私の考えとしては、ほとんど賛成だが、異論がないではない。平和は諸外国に率先して積極的に進めるにしても、日本のような経済大国で、しかも世界の火薬庫を近隣に抱えている状況で、中立を維持するのはほとんど不可能である。したがって、理想は理想として・・・・・、現実の政策は・・・・アメリカとの同盟の下でできるだけわが国の独自性を発揮していくしかない。控えめに見てこういうことだと思うが、実をいえば、先にも言ったが、私は、もっとっ積極的にアメリカとの関係を強化していくべきと考えている。梅棹忠夫の「文明の生態系史観」或いは川勝平太の「海洋史観」からすると、大陸国家と連携することは難しい。佐伯啓思によれば、二人の史観は「陸の原理」と「海の原理」と言い換えることができるのだが、これらの原理をともにあわせ持っている国というのは、実は、アメリカと日本だという。現状認識としてはやや無理があるかもしれない。しかし、21世紀においてアメリカと日本は同じ「文明の価値観」を持ち得るのかもしれない。私は、川勝平太のように「力の文明」を毛嫌いしてアメリカとの関係をおろそかにしてはいけないと思う。この点が彼と私の考えのもっとも違うところだ。しかし、川勝平太がいうように、「美」は大事であり、劇場国家にっぽんとしては、真、善とともに美を文明の価値として、国土づくりに、地域づくりに、或いは町づくりに「美」を重視していきたい。