「分有の法則」の哲学的考察

 

 田邊元は、未開社会の思惟を非論理的な劣った段階にある人類の思考だとする偏見に反対した。田邊元は、未開社会の思惟というものは、近代的な社会(利益社会)とは異なる原理に立って、個人と共同体、人間と自然の関係を思考しようとしていた人々によって、全体の中の個人、宇宙の中の人間存在の意味を理解するために発達させられた、全くそれ独自の意味と価値を持つ思考法であることを、強調している。「未開社会の思惟」による人々は、個の意味をまずその個を包括する全体とのつながりや絆を通して、理解しようと欲したのである。そこでは、個人は全体に対して「異にして同なる矛盾」として、まず理解される。それをひとつの統一として表現しようとすると、たとえば南ニューギニアのマリンド・アミム族の描いた鯰とも人間とも似つかぬ絵、そのような絵がつくられることになるのである。

 

 マリンド・アミム族の人々は、人間の祖先は鯰のような魚であった、と言う。この場合彼らは、宇宙的自然に内包された「鯰性」の分有として、人間という存在はある、と考えようとしていると考えてもいいし、この「鯰性」の共有を通して、人間は宇宙的自然との絆を保ち、その巨大な一族の成員として、地上に生きているのだと、考えているのだと言ってもいい。

 しかし、たとえ「鯰性」の分有によって、宇宙的自然に「有即」しているのが人間であるとしても、その人間は宇宙的自然に対して、同時に対立や異和をもはらんで、その生活をつくりだしているのである。この「全と個との異にして同なる矛盾の統一」を、どのように表現したらよいのか。調査者にスケッチブックを渡されたマリンド・アニム族の男は、そこで鯰とも人間とも似つかぬ絵を描くことになる。つまり、宇宙的自然との絆を保ったままの状態にある人間という存在は、鯰と人間との「ハイブリッド」として、表現されることになった。これが「分有の論理」の働きにほかならない。

 「分有の倫理」の働きによって、鯰的人間は、論理回路が作動して「ハイブリッド」として表現される。この「ハイブリッド」としての理解というものがミソであって、そういう理解が可能となるのは、「分有の論理」というものが働いているからなのである。

 

 ニューギニアなどの未開社会の人々は、生まれながらにしてシュールレアリストであり、自然を技術的操作の対象とは認めないという点において、独自のエコロジストでもあり、思考における詩的言語の実践者でもあったのだ。

 「私は金剛インコである」と言うポロロ族の表現なども、「種の論理」の立場から新しい光を投ぜられることになる。この表現について、レヴィ・ブリュルはこれがトーテミズムの「分有の論理」的思考に特有の表現であると語った。これに対しベルグソンは、パスカルの「人間は考える葦である」という表現を引き合いにだして、「ある」という語は一般に、実に複雑で多義的な内容を持っていて、単純な同一性を言い表わそうとするものではないと注意しながら、こういった表現が未開社会の人々の間から出てくると、なんでもかんでも「トーテミズム的」と一括りにしてしまう傾向に皮肉を言ったが、これを受けて田邊元は、もっと大胆に、次のように書くのである。

 

 ベルグソンは、パスカルの「人間は考える葦である」という命題を例に引いて、一般に「ある」の語の内容の複雑多義にして単純な同一性を意味するものではないことを注意し、トーテミズムに固有な論理を語ることの危険性を警戒しているが、しかしむしろトーテミズム的分有関係を我々の「ある」の内に見るとしたら如何であろうか。

 「ある」の複雑多義性は、かえって矛盾律の要求する自同態の抽象的なることを気づかしめ、矛盾律自同律だけでは思考が成立するもでないことを知らしめる、とも考え得るであろう。・・・・・かく考えれば、じつは分有は、矛盾律と自同律との綜合の直接態というべきものであって、かかる媒介なしに両原則が相まって表裏をなすことはできないから、特殊の普遍に対する分有こそ、いかなる思考にも契機として含まれなければならぬはずである。ただ分有法則は、矛盾律以前の先論理的段階を支配するものとして、矛盾律による反省を容れざる直接態に属するが故に、非論理とも考えられるのである。しかしそれは非論理というよりむしろ先論理というべきものであって、かえって生命そのものの論理、思考も現実に存在する生命の形態として現われた直接態の論理、というべきものなのである。・・・・・分有法則は生命そのものの論理として、我々に論理として自覚せられるのである。

 

いやあ、やっぱり田邊元の文章は難解だ。とてもすんなり我々の頭の中に入ってこない。そこで思いきって、私は、・・・・間違うかもしれないが・・・・、しばらく上記の文章とは離れて、私の理解と言葉で語ってみたいと思う。

「分有の法則」について・・・私の解釈!

 

 

 

 

Iwai-Kuniomi