マダガスカル

アフリカに一番近いアジアの国

 

前駐マダガスカル大使 山口洋一著

サイマル出版会

 

5 日本に注ぐ熱いまなざし

 

■独立運動を勇気づけた『日本と日本人』

 マダガスカルは一八九六年にフランスの植民地となるに先立つ時点で、すでにメリナ王朝による全国統一がなされ、国家としてのアイデンティティーが確立しており、民度も比較的高い水準に達していた。したがって、国家意識や民族意識も当時すでにはっきりとした形で根づいていたわけであり、フランスがこの国を植民地にした途端に、独立を目指した抵抗運動にあうこととなった事情については、前の章で述べた。

 このような中で、日本に着目したのは熱烈な愛国主義者であるプロテスタントの神父ラベルザウナであった。彼は一度も日本を訪れたことはなかったが、パリにおいていろいろな文献を漁り、日本について得られる限りの知識を得た。また、一九〇三年には同地でホンダ教授およびイブカ教授という二人の日本人学者の知己を得、この両教授から日本についてこと細かに聞き質した。

 日本が独自の伝統文化を保持しつつ近代化を進め、ロシアとの戦いに勝つほどの発展をとげた非白人国家であることは、彼の目を強くひきつけた。そして彼は一九一三年に『日本と日本人』という本を著した。

 この本は抗仏地下活動に携わっていた当時の独立運動の志士たちの間で熱心に回し読みされ、マダガスカルが将来めざすべき手本として、日本に向けて彼らの熱い視線が注がれるようになった。こうして、この本は当時のマダガスカル人の愛国心を煽り、民族主義の感情を高揚させることとなったのである。

 ラベルザウナは「日本は西洋から自分たちよりも優れているもの、自分たちの持っていない良いものを導入したが、自国の伝統は保持している。西洋人の生活様式についても、日本人はそのあるものはとり入れたが、これは西洋人と付き合う上での便法として受け入れたにすぎない」と述べ、日本が独自の伝統に立脚していることを称賛している。そして日本人の特質として、謙譲、勇気、勤勉、質素、忠誠などをあげ、このような国民性形成の背景となっている家庭や学校教育について説明を行なっている。

 結局、一度も日本訪問の夢を果たさなかった彼の記述の中には、誇張や正確さに欠けるところももちろんなくはない。たとえば、日本人の清潔好きを説明するに当たって、「日本人は日に二回か三回風呂に入る。日露戦争の際、戦場に赴く兵士が恐れたのは傷つくことや死ぬことではなく、風呂に入れなくなることであった」といった類である。これは日露戦争当時のヨーロッパの新聞報道にならって書かれたものである。

 しかし、こうした一部の記述を除くと、彼の指摘はおおむね正鵠を得ており、特筆すべきは、当の日本が当時まだがむしゃらに西洋の先進技術、文明の移入に没頭していた状態にあった中で、彼は日本が伝統文化を厳然と保持しつつ、近代化を進めている点に着眼していることである。

 いずれにせよ、独立運動に携わる民族主義者たちが日本に目を向け、日本から学びとろうとしていた点において、マダガスカルは同じく植民支配下にあった東南アジアの国々と軌を一にしている。

 

 

Iwai-Kuniomi