前にも述べたが、祖霊信仰は何も東北地方に限られてあるわけではない。全国各地にあるのだが、やはりなんといっても東北地方が優勢である。縄文文化が息づいているということかも知れない。かって、縄文時代は、三内丸山遺跡を見るまでもなく、サケマス文化に支えられて、東北が高度な縄文文化を持っていたということは古くからいわれていたことである。縄文文化の精神的支柱は、自然崇拝でありストーンサークルなどがその代表例であるが、自然との響き合い、宇宙との響き合いの中に日々の生活があったといって良い。その延長線上に祖霊信仰がある。
そして、これも上述の文章と同じページの中で述べたことだが、東北地方は円仁との結びつきが非常に強いのである。御承知のように、円仁が苦労の末唐からもたらした密教によって、天台宗は真言宗を超えた。怨霊や溶解は平和の原理と結びついているが、その怨霊や妖怪とのなじみは天台密教の方がいい。いろんな寺をお参りしての私の実感である。天台密教の方が理屈なしにすーと入っていけるように感じる。懐かしみというか親しみを感じるような気がする。祖霊信仰と結びついて独特の変化をしてきているのではないか。そうだとすれば、東北において、天台密教が祖霊信仰を土壌として人々の心の中に深く浸透していったことは十分理解できるであろう。東北のように縄文文化の色濃いところでは、もともと、天台密教の方が適していたのではないかと思われるのである。円仁の登場というものを私は歴史的必然性だと思わざるをえない。
これも前に述べたが、近代科学文明は万能ではない。私たちは、近代科学文明の基礎となったデカルトの哲学から決別して、新しい文明を作らなければならない。もはや「我思う、故に我あり」は古いのである。・・・・「我語る、故に我あり」・・・・、中村雄二郎さんのリズム論こそこれからの新しい時代を切り開いていくのではないかと思う。宇宙との響き合い! 人間の身体性を軽視すること無く、感性を大事にしなければならない。五感・・・、いや第六感をも大事にしなければならないのではなかろうか。
近代文明万能という意識から脱却し、縄文文化から学ぶべき点を明らかにしながら新しい文化と文明を想像していかなければならない。その鍵は東北地方とアイヌ文化にある。
したがって、北海道もそうだが、私たちはもっと東北地方のことを知らねばならない。東北地方の縄文文化の形跡を知らねばならない。そしてその形跡から、縄文文化の復元をしなければならない。それが私たち日本人の完成を磨くことになる。第六感を磨くことになる。そしてそれが21世紀のわが国におけるモノづくりの基盤をつくるに違いない。
前にも述べたように、21世紀の大事なキーワードは、共生、コミュニケーション、連携であります。この三つの言葉は、少しずつニュアンスが違いますが哲学的には同根の言葉であり、21世紀は、共生の時代と言っても良いし、コミュニケーションの時代と言っても良いし、連携の時代と言っても良いのであります。ここではコミュニケーションの時代と言っておきましょう。
コミュニケーションの時代は、国の基本的な戦略としてコミュニケーション産業を育てる必要があります。コミュニケーション産業はコミュニケーションに関するすべての産業であって音楽なども含みますが、戦略的に大事なのは、IT産業であり、ビジター産業であります。
また、コミュニケーションの時代におけるライフスタイルとしては、感性を磨けば磨くほど楽しくなるような趣味が尊ばれ、自然との響き合い、宇宙との響き合いというものが大事になりましょう。そして、そのための環境・・・、中村雄二郎さんのいうところの「トポスの知」がいよいよ大事になってくるでありましょう。かかる観点に立って、地域づくりとしては、自然と歴史と文化にもとづく「知のトポス」を作っていかなければなりません。そうすることによって、東北地方が・・・・わが国の国土づくりのフロンティアとなっていくにちがいない。東北地方の自然と歴史と文化にもっと光をあてなければならないのであります。なんども言いますが、そのことが21世紀のわが国におけるモノづくりの基盤をつくるに違いないのであります。
私は、かかる観点から東北の旅を続けなければなりません。東北の旅は、その自然もさることながら、やはり歴史と文化を求めての旅になるでしょう。前に述べたように、東北文化のへそは立石寺であります。キーワードは、円仁と盤司盤三郎であります。その他、東北の歴史を語るには坂上田村麻呂とアテルイが欠かせず、坂上田村麻呂とアテルイをキーワードにいろいろな旅を始めたいと思いますが、とりあえずの旅は、円仁と盤司盤三郎を追いたいと思います。
円仁と盤司盤三郎を追っての旅!
ふたたび山寺に参りましょうか。