市町村合併は地域で議論せよ
市町村合併の問題は最終的には市町村の問題である。国が何を言おうと都道府県が何を言おうと、最終的には市町村で決断しなければならない。市町村の議会で侃侃諤諤いろんな意見が出るのは当然である。しかし私としては、どうすれば地域の自治が確保できるのか、どうすれば地域の活性化が確保できるのか、自治と活性化の観点から合併問題を論じてもらいたいと考えている。イデオロギーとか国の政策論争を市町村議会に持ち込んでもらいたくない。
市町村議会では、私は地域活性化に関する実践論を重視してもらいたいと考えている。そういう考えから、先に、「源流地域の活性化と合併問題」というテーマで実践論から合併問題を論じた。
「平成の大合併」は国レベルでももちろん大問題である。私は、一番最初の「市町村合併に思う」で述べたように、国及び地方の財政構造改革の観点から市町村合併はやむをえないものと考えながらも、どちらかといえば市町村合併に反対である。
「源流地域の活性化と合併問題」で述べたように、市町村の合併問題は地域の活性化と関係がある。そして、地域の活性化については、どの程度の人数の若い人たちが活動できるのかということと、外部の人の応援をどういう形で得られるのかということが決め手であると考えている。仮に合併しても地域ごとにNPOなどの然るべき組織さえできれば、それはそれで地域の活性化を図ることは可能であろう。しかし、私は、黒澤村長が言われるように、行政の単位というのは、やはり大きもせず小さすぎもしない・・・まあ適正な規模というものがあるのだと思う。私が、先に、プラットフォームがリトマス試験紙だと言った意味は、そのときに言ったように、若者のエネルギーがどう引き出せるかということとNPOなどの然るべき組織がどうできるかということである。それがむつかしければ、合併するしないにかかわらず、地域の活性化は難しい。したがって、過疎地域の活性化は、若者のエネルギーをどう引き出すかということとそのために必要な新たな組織をどのように作るのかということにかかっているが、そういう観点から行政の単位というものを議論してもらいたい。
そう述べたのであるが、私はどちらかといえば市町村合併に反対である。反対ではあるが、反対論の中には、黒澤村長や私などと異なり、国の政策面で対極的な立場にいる人が少なくないように思われるので、そういう人たちとは一緒にしてもらいたくないと思う。国に対する考え方が違うのだ。イデオロギーが違う。そもそも哲学が違うのだ。もちろんそういう人たちとも考えを同じくする部分がなくはないのだが、やはり哲学が違うと一見同じに見える部分も、やがて実施の段階で違う面が際立ってくるであろう。
その典型的な人に保母武彦さんがいる。保母武彦さんは「市町村合併と地域のゆくえ(岩波ブックレットNO560、2002年2月20日)」の中でいろいろと述べておられるのだが、独善的な見解が多く見られ、私は、それらをそのまま受け入れるわけにはいかない。気になる点についてそれぞれ私の見方を示すべきかも知れないが、ここではそれらをすべて「不知」として、私がもっとも肝心と考えている部分、「地域づくりの新たな可能性を求めて」という部分のみを紹介しておこう。この部分についてはおおむねそのとおりだと思う。なかなか立派な考えだと思う。しかし、それ以外は大いに異論がある。異論はあるが、個々にはあえて取り上げない。個々には取り上げないが、国に対する考えだけはどうしても触れておかねばならないだろう。私の考えが保母武彦さんの考えとはまったく対極にあるからだ。
地域と国家との関係も同じだが、個人と国家と関係は対立関係にあるのではなくて、一体のものである。一体といっても同列ではない。同じレベルではないのだ。国家が上位にあって個人が下位にある。私は個と全体の問題を何度も取り上げてきたが、ここでは、まず中川八洋さんの考え(政党の憲法・バークの哲学、中川八洋、中央叢書、2002年1月10日)を参考にしながら、今までの考えを補強しておきたい。
私は、今まで中川八洋さんの上記著書を読むまで恥ずかしながらバークの哲学というものを知らなかった。「世襲の論理」というものを知らなかった。そうなんですねえ。私たち人間は親とか先生とか先輩などにいろいろ教えてもらわないとたいしたことは何もできないのですね。歴史や伝統・文化に教わらないと創造的なものは生れにくいんですね。皆無とは言いませんが。歴史や伝統・文化というものは、まあいうなれば「国家の知」なんですね。「国家の知」によって私たちは生きている。仏教では仏によって生かされているいいますが、まさに私たちは「国家の知」によって生かされている。そうだとすれば国家のおかげで今の私はあるし今の地域はあるんですね。国家の政策に反対してはいけないと私は言うつもりはありません。そうではなくて、国家と私たちは一体だと言っているのです。国家の政策に反対しても良いけれど国家にはやはり敬意を払わなければならない。そして良好な関係を保たなければならない。そうでないと地域の活性化はむつかしい。私はそう思う。
私は、共生社会を目指そうと言っているのだが、共生社会とは、歴史、伝統・文化にもとづいたものでなければならない。「場所の論理」や「世襲の論理」にもとづいたものでなければならない。そういう共生社会に対する帰属意識こそ自由の根源である。親を敬い、祖先を敬い、神を敬い、御眷属を敬い、歴史や伝統・文化を大事にする心こそ自由の根源である。それがバークの哲学である。「世襲の論理」である。私たちは家族を大事にし、地域を大事にし、国家を大事にし、歴史や伝統・文化を大事にしなければならないのである。