光源氏の栄光

 

 

 源氏物語はまことにスケールの大きい宇宙論的な物語である。宇宙論的な物語がなければ天皇制などというわが国の根源的なシステムを想像しその絵を描くことなどできはしない。さあそれでは、天皇制のあるべき姿を描くための人類学的な「知」を学ぶために、源氏物語の宇宙性に迫っていこう。勉強のお手本は山口昌男の「天皇制の文化人類学(岩波書店、2000年1月)」である。以下においてもし間違った記述があるとすればそれは私の責任である。あらかじめお断りしておく。

 

源氏物語は、自分の父親の妻の一人と犯した近親相姦のために、贖罪の生活を送らなくてはならなかった皇子の物語である。光源氏は、天皇家の血筋を引く者として生を受け、宮中の最高の人気者であった。まずは光源氏のその並ぶもののない栄光を認識しなければならない。

 天皇というものは世襲が絶対である。だから血筋を絶やさないために一夫多妻制がとられてきた。光源氏の父・桐壺の帝(きりつぼのみかど)も多くの女性に囲まれていたのであるが、光源氏はこともあろうにその中の一人・藤壺(ふじつぼ)を犯してしまう。藤壺は、先帝の皇女でありもっとも高貴な女性である。なぜそんなことになるのか。そこが皇子の皇子たる所以であるのかもしれない。自分の母と生き写しであったからという・・・・。とんでもない。自分の母と交合するようなものだ。

藤壺と光源氏のあいだにできた子供は、桐壺の帝はそのまま自分の子供として育て、その子供はやがて冷泉帝(れいぜいてい)となる。藤壺は出家の身であるので皇太后の位には就かず准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)となり、光源氏は冷泉帝の後見役として内大臣となった。後に光源氏も准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)となるのだが、准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)とは上皇に次ぐ位であるので、その栄光は想像を絶するものがある。天皇という地位は権威こそあれ権力はない。当時においても・・・だ。紫式部は、藤原道長の権力と天皇の権威をあわせ持った存在として絶頂期の光源氏を描いている。歴史においてこのような存在が実際にあったであろうか。まさに絶頂期における光源氏はその名のとおり光り輝いていたのである。その並ぶもののない栄光は想像を絶するものがあったの考えるべきである。源氏物語の宇宙性を考える際の大前提はそのことである。さらに言えば、光源氏には、皇子がそのまま権力を握ったような側面があり、聡明さとやさしさはあるがわがままといえばすこぶるわがままである。そのわがままさに焦点を当てれば、非道徳でもあり非常識でもある。まさに自由奔放な人・・・・それが光源氏である。光源氏の栄光とはそういう非道徳性と非常識性からくるところの贖罪を前提とした栄光である。自由奔放を有したまさに並ぶもののない栄光であるが、それには必然的に陰の部分が隠されている。その陰の部分についてはおいおい触れるとして、ここでは光り輝く場面をとりあえず紹介しておこう。藤裏葉(ふじのうらば)の一場面である。

 

光源氏39歳のとき、息子・夕霧と娘・明石の姫君の入内(天皇への輿入れ)という懸案を解決した光源氏は、出家を望む心とは裏腹に、遂に准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)の地位に就いた。そして、その秋、天皇(冷泉帝)の六条院行幸を受ける。六条院は光源氏のまあいわばハーレムである。光源氏は目も眩い(まばゆい)ばかりの接待をする。馬場殿で馬寮(ばりょう)の馬を引き並べる儀式があり、その後、南の町の寝殿で華やかな宴が催された。池の魚と北野の鳥を左右の少将が捧げて階段の左右に膝まずき、これを調理して冷泉帝のご膳に供す。冷泉帝(れいぜいてい)は光源氏の席が下座にあったのをわざわざ同列に直させた。まさに准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)光源氏の栄華と栄光の頂点であった。

 

Iwai-Kuniomi