夢のハーレム・六条院
光源氏の栄光振りを描いた場面はいろいろあるが、その代表的な場面を次に紹介したいと思います。私が下手な解説をするよりも、例えば・・・ということで、瀬戸内寂聴の解説を紹介するのがいいと思う。それでは以下に瀬戸内寂聴の「わたくしの源氏物語」(集英社文庫、集英社、1993年6月)から関係部分を引用する。
源氏物語は、女ほどには、男にとって魅力がないという話も聞く。だらだらしていて、主人公の源氏は仕事らしい仕事もせず、女ばっかり追っかけて、覗(のぞ)きやら夜這(よば)いに明け暮れているではないか、事もあろうに父親の妻や息子の嫁に懸想(けそう)するとは何事だと、向かっ腹を立てるのも無理はない。
それでも光源氏(ひかるげんじ)がこの世で建設してみせた六条院(ろくじょうのいん)という広大なハレムの出現のあたりまで読みすすんでくると、男なら誰しも、うーむとうなってしまうだろう。
今度生まれ変わるなら、平安朝の貴族に、いや光源氏そのものに生まれ変わりたいと垂涎(すいぜん)の的にするだろう。
光源氏のそれまでの本居は二条院(にじょうのいん)だった。その東の方に別邸を造って東の院とし、花散里(はなちるさと)を住まわせていた。紫上(むらさきのうえ)は二条院の西の対(たい)に住んでいた。
源氏三十四歳の秋頃から、六条京極(きょうごく)の秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の里邸のあたりを、四町(よまち)をひとつにして広大な邸を造営しはじめた。中宮の里邸というのは、故六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)から中宮が伝領した邸ので、若き日の源氏が通い所のひとつとしていた想い出の邸である。
町というのは、京の市街地で、大路、小路によって区画された一区画で、一町は約百二十メートル四方、約一万五千平方メートルである。
町と町の間には、大路、小路の道幅が入るからそれも加えなければならない。これが四町だから四倍の広さになる。六万平方メートル、プラス道幅となるわけで、その広大さは想像に絶しよう。池田亀鑑氏の『平安時代の文学と生活』によれば、一町プラス道幅が四、四四四と九分の四坪となっている。その四倍だと約一七、七七七坪(約五万九千平方メートル)という計算になる。
後楽園球場ビッグエッグのグラウンドが一万三千平方メートルだから、比べて想像していただきたい。
その広大な邸を造営する源氏の意図は、あちこちに離れていて逢いにくい女たち、たとえば大堰(おおい)の山里の明石上(あかしのうえ)なども呼び集めて一緒に住もうという心づもりであった。支字通りハレムの構想である。
その邸は翌年の八月に完成した。旧暦だから秋で、約一年かかったことになる。東南の町に源氏と紫上が住み、西南の町は中宮の旧邸なので里邸とし、東北の町には花散里を、西北の町には明石上を住まわせる構想であった。
前からあった庭の池や築山(つきやま)も、都合の悪い場所のは崩したり移したりして遣水(やりみず)の流れや池の形、築山の風情なども、新しい設計のもとに大々的に改造する。その時、そこに住まわす女たちの好みや意見を取り入れてやった。
東南の紫上は春の住まいとして、築山を高く築き、春の花木を無数に植え込んだ。池の造りも趣(おもむき)深くして、庭先の前栽(せんざい)にも五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじなどの春の草木を植え、秋の草木をその中にほんの少し交(ま)ぜて植えこんである。
中宮の秋の御座所は、もとからある築山に紅葉の色のよいのを植え、泉水を遠くまで流し、その遣水の音がいっそう冴(さ)えるように岩をふやし、滝の水を落とし、見渡す限り秋の野の風情にこしらえる。丁度(ちょうど)その季節なので、秋の草花が今を盛りと咲き乱れて美しい。
東北の花散里の住まいは夏に見立てて、見るからに涼しそうな泉をつくり、夏の日の木蔭(こかげ)を主とした造りにしている。庭先の前栽は呉竹(くれたけ)なので、下風も涼しそうで、高くそびえる森のような木立も趣があり、山里めいた風情で、卯(う)の花の垣根をめぐらし、花橘(はなたちばな)、撫子(なでしこ)、薔薇(ばら)、竜胆(りんどう)など夏の花を植え、少し春秋の木や草もまぜてある。
東側に特に馬場を造り、柵(さく)で囲んで、五月の競馬(くらべうま)などの折の遊び所にし、池のみぎわには菖蒲(しょうぶ)を植え茂らせ、向かい側には厩(うまや)を造り、名馬を何頭も飼わせてある。
西北の明石上の町は、冬に見立てた造りである。北側は築地(ついじ)でしきって、蔵(くら)が並んでいるそのへだてに松の木を茂らせ、雪の日、松に雪がつもる美しさを配慮している。冬のはじめの朝霜が置くようにと菊の籬(まがき)が結われ、柞(ははそ)の原や名も知らぬ奥山の木々などをそのまま移し植え、自然の林らしく見せている。
これらの町々の境は塀(へい)や渡殿(わたどの)が設けられ、あちこちへ通うことが出来るようになっている。一番その道を利用するのは源氏である。
秋の彼岸(ひがん)の頃、完成して、まず源氏と紫上、花散里が移り、数日すぎて中宮がお里下がりした。
明石上は、これまで頑固に入京を拒んで来たが、さすがに今度は拒みきれず、みんなの移転の終わった十月にそっと引き移った。
源氏は姫君の生母の明石上があなどられないよう、格別気を配って、調度類など申し分なく設備して迎えてやる。
このハレムには、やがて、思わぬことから結婚するはめになる女三の宮(おんなさんのみや)を迎えるし、かつての恋人夕顔(ゆうがお)の忘れ形見の玉鬘(たまかずら)も引き取ることになり、いっそうハレム的色彩が濃厚になっていく。男として、愛する女たちを一所に集め、気分次第で通っていけるというのは、理想郷であろう。
正月には女たちに晴着を見たてて贈り、次々女たちを訪ねて回るというようなぜいたくなこともする。天子の後宮(こうきゅう)では、妃(きさき)たちが夜の寝所に通っていくわけだが、源氏の六条院では、源氏が女たちのほうへ通うことになる。
これらの邸は板敷きで、畳(置畳)や筵(むしろ)(花ござ)や茵(しとね)(畳を芯にして布で縁どった座蒲団)などを用い、部屋のしきりは、几帳(きちょう)や屏風(びょうぶ)や、簾(すだれ)や幕のようなものでしきる。
六条院はもちろん寝殿造りである。南面して中央に寝殿があり、その北に北の対、東に東の村、西に西の対があり、廊下で連なっている。寝殿の南に中庭、築山を築き、他を掘り、池には中島をつくり、橋を渡す。遣水を流し、池にそそぐ。池に臨んで東の対に泉殿(いずみどの)、西の対に釣殿(つりどの)がある。邸の周囲は築地をめぐらすという構えである。
こういう豪華な生活を支える源氏の経済力は底知れないものがある。