ユルスナールの花散里(はなちるさと)

 

 

光源氏の晩年を描いた場面を次に紹介したいと思う。私が下手な解説をするよりも、例えば・・・ということで、やはり瀬戸内寂聴の解説を紹介するのがいいであろう。それでは以下に瀬戸内寂聴の「わたくしの源氏物語」(集英社文庫、集英社、1993年6月)から関係部分を引用しよう。

 

 

 源氏の愛した女たちの中で、花散里(はなちるさと)ほど無個性で、魅力に乏しい、印象の薄い女はいないように思う。ところが源氏は彼女を終生大切にした。自分が築いた豪壮な六条院(ろくじょうのいん)へ迎えており、紫上(むらさきのうえ)と同じように邸内の一角を与え、面倒を見る。源氏物語の中では、花散里の容姿についてはほとんど書かれていない。

 源氏と朧月夜(おぼろづきよ)の君との間が、右大臣に露見したことから、弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)や右大臣一派の圧迫が次第に源氏の身辺に及んできて、官位を剥奪(はくだつ)され、流罪(るざい)の決定が追ってくる。その破局に移る直前に、はじめて花散里との間柄が書かれている。

 故桐壺院(きりつぼのいん)の女御(にょうご)のひとりに、麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)と呼ばれていた人がいた。皇子も内親王も産まなかったので、桐壺院がなくなった後は、頼りない身の上になっていたのを、源氏はやさしく保護してやっていた。その女御の妹の三の君が花散里で、源氏は宮中でほんの時たま短い逢瀬(おうせ)を重ねた仲だった。

 容貌(ようぼう)は大したことばなかったが、花散里の性質はおだやかで、やさしく、源氏から捨てきりはしないものの、恋人としてはっきりした通い所ともしない扱いを受けていても、恨みがましい気持を持つこともなく、淋しく辛いこともじっとひとり耐えしのんでいる。そういうひかえめでつつましい性格が源氏の心を捉えていた。

 源氏は須磨(すま)へ流謫(るたく)している間も、花散華の生活を支えてやっているし、帰京してからは、自分の邸(やしき)の二条院(にじょうのいん)の東の院を造営して、そこへ引き取り、夫人の一人としての待遇を与えている。

 次に源氏の築いた豪壮な六条院へ迎えられてからは、源氏との間は次第に性愛ぬきの仲になって、肉親のような親しさになっていく。源氏は自分の息子の夕霧(ゆうぎり)の教育を母親代わりになってしてくれるよう頼んだり、夕顔(ゆうがお)の忘れ形見の玉鬘(たまかずら)を発見すると、やはり親代わりになってくれといって同じ建物に預けたりする。

 紫上にも、女たちの噂をする時、

「なかなかすぐれた性質の女というのはいないものです。その中で東の院に住んでいる花散里は、気立てがいつまでも新鮮で、いつまでたっても相変わらず可愛らしいのです。なかな、ああはいかないものです。そうした点に魅(ひ)かれて、世話をするようになって以来、今も昔と同じように遠慮がちなつつましい態度で馴(な)れ馴れしくしません。今となってはお互いに離れられそうもなく深くいとしく思っています」

 と、全面的にほめちぎって、性格を好しとしている。

 しかし、源氏物語を読み終わっても、なぜ、それほど源氏が花散里にひかれるのか合点がいかない。嫉妬(しっと)深くないので気が休まるのだろうが、それだけだろうか。

 外国人にも花散里と源氏の関係に納得しがたい感じを持った人がいた。

 フランスの女流作家マルグリット・ユルスナールである。

 源氏物語は一九二五年から一一九三三年にかけてアーサー・ウェイリーという英国人によって英訳されている。ボーヴォワールも、この英訳によって源氏物語に感動している。ユルスナールもおそらくウェイリー訳を読んだのだろう。

 ユルスナールは一九〇三年生まれで、『ハドリアヌス帝の回想』によってフェミナ賞を受賞している。東洋趣味が深く『東方綺譚(きたん)』という幻想小説も発表しており、その中にこのユルスナールが、「源氏の君の最後の恋」という題で花散里を主人公にした短篇小説を書いている。

 この小説では、最愛の紫上を失って以来、悶々(もんもん)としていた源氏はついに出家して、二、三人の供をつれて山の庵(いおり)へ入ってしまう。

 やがて最初の冬が訪れる。源氏はひたすら読経三昧(どきょうざんまい)に暮らしていたが、やがて視力が衰えてくる。京からの字紙にも白紙の返事しか返さなくなる。花散里は心配して、山の庵に訪ねていく。

 まだぼんやり視力の残っていた源氏は花散里と認め、彼女が紫上の愛用の香(こう)をたいてきたことに怒り、冷淡に追い返してしまう。花散里はその時、庵に仕える老人をこっそり手なずけて帰る。老人からの便りに、源氏がやがて完全に失明してきたとつげてくる。

 花散里はふたたび、山の庵を訪ねる。春雨の黄昏(たそがれ)の中を、盲目の源氏がうつろな表情で歩いている。墨染(すみぞめ)の衣も痛々しい。かつての見ただけで人々に至福の想いを与えを光源氏のなれの果ての姿。花散里は思わず泣く。道に迷った百姓の娘になりすまし、庵に入った花散里に、源氏は自分は盲目だから、雨に濡(ぬ)れた着物をぬいで火に乾かせという。裸になった百姓娘に源氏は抱きついてくる。実はぼんやりまだ見えたのだ。花散里は念願をとげ、源氏と何十年ぶりかで交わる。

 花散里は、道に迷ったといったのは嘘(うそ)で、かの名高い源氏の君に抱かれたくて来た、と告げる。源氏は激怒して追っぱらう。かつての華やかな自分を想い出させるものは、すべて憎かったのだ。

 二か月後、花散里は、今度は地方の名家の若妻を装い山の庵を訪れる。源氏は庵の前にぼんやり坐り、こおろぎの音を聞いていた。花散里は大和(やまと)の国司の娘だと名乗り、供の者が足をくじき輿(こし)をすすめられないので、宿を教えてくれと頼む。源氏は供の者まで入れる場所はないが、あなたひとりなら庵へ泊まればいいという。

 花散里を庵の中へ案内する源氏の姿は、もう完全に盲目の人だった。その夜、花散里は紫上が愛唱した歌を歌う。源氏は愕(おどろ)いて彼女に触れてきた。源氏の肉体に春がよみがえる。

 花散里は立ち去らなかった。料理をつくり足を撫(な)で、歌を聞かせ、心ゆくまで源氏の面倒を見る。源氏はやがて死病にかかり、手厚い花散里の看護を受けながら、死にゆく生命の最後の火をかきたて、過去の栄華のすべてを追想する。愛したいとしい女たちの名が源氏の唇にのぼる。紫上、藤壺(ふじつぼ)、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)、夕顔、空蝉(うつせみ)、明石(あかし)、女三の宮(おんなさんのみや)、そして道に迷ってきた百姓娘……やさしい大和の女……。

「もうひとり、もうひとり、あなたの愛した女人(にょにん)がいらっしゃいませんでしたか。おとなしい、ひかえめな女……」

 花散里(はなちるだと)は源氏にとりすがり、胸をゆすって訊(き)いた。源氏は微笑を浮かべたまま、すでにこときれていた。

 

 

 

 なお、瀬戸内寂聴の「わたくしの源氏物語」には次のような解説もある。最後にこれを紹介して本論に入る準備を終わりたいと思う。次回はいよいよ哲学的な論評である。

 

 

■光消えはてようとして

 

何かと思い出されることの多い賀茂(かも)の祭がめぐってきた頃、源氏は中将の君(ちゅうじょう)の可憐さに久々で女を可愛がる気持を取り戻した。

 花散里(はなちるさと)からは例年の通り衣更(ころもが)えの夏の装束を仕立てて届けてきた。慎ましいこの女とは紫上(むらさきのうえ)の生前からもう性ぬきの間柄だったので、源氏は誰に対するよりも気がねのないなつかしさを抱いている。

 五月雨(さみだれ)の降るのを見ても、池の蓮(はす)が開くのを見ても、蜩(ひぐらし)を聞いても、蛍(ほたる)の飛ぶのを見ても、源氏は亡き人を思い出し、ますます、呆(ぼ)けたようになって、終日放心の体(てい)で、ぼんやり暮らす日が多くなっていく。

 七夕の夜も、例年のような音楽の遊びなどはする気にならず、ひとり所在なく起きている。

 出家したいと思い、人にもいうほどには、出家を急ぐ気配もない。

 紫上は生前、いつの間にか、立派な極楽浄土の曼陀羅(まんだら)などを作らせているし、紫上の発願として、法華経(ほけきょう)千部の写経などもさせてあった。出家はしなかったものの、ひそかに仏の道へ自分で近づく努力は積み重ねていた。

 亡くなってみて、源氏は初めてそれらを知る。紫上から遺言を聞かされていた僧都(そうず)たちは、死んだ後にそれらの供養をするよう頼まれていた。

 一周忌が近づくにつれ、さすがに法事の支度に悲しみもまぎれていた。八月十四日の一周忌には、上下の人々が大ぜい集まって故人をしのんでくれた。よくもこの一年生きてきたものよと、源氏は茫然(ぼうぜん)とする。淋しい秋がいっそう源氏の悲愁をかりたてる。

 その年も暮れようとする年の瀬になって、源氏はようやく、来年こそは出家の本懐を遂げよう、と決意する。それとなく周囲の女房たちにも形見分けのつもりで物を分けてやったりする。女房たちは口には出さないまでも、さてはいよいよと、源氏の心中をおしはかっていた。

 源氏は身辺の整理を始めた。女たちの恋の手紙も、つい破るには惜しいようなものは取り残しておいたので、相当たまっていた。特に須磨(すま)にいた頃、色々な女たちから来た手紙が多くあり、紫上のだけは一つにまとめて別にとって束ねてあった。それらは千年の後までも愛のかたみにと思っていたが、出家してしまう自分には、それさえ不必要と思い、信頼出来る女房たちに破らせていく。源氏は自分で決心したのた、紫上の手紙が今破かれようとするその字を見て、狂おしいほどのなつかしさに涙がこみあげてくる。

 目もくらみそうな悲しさの中で、ついにその愛のかたみのすべてを焼かせてしまうのだった。

 毎年十二月十九日から二十一日まで、清涼殿(せいりょうでん)で仏名会(ぶつみょうえ)が行われる。過去、現在、未来の三世の諸仏の名号(みょうごう)を唱(とな)えて罪障(ざいしょう)の懺悔(ざんげ)をする法会である。院宮(いんぐう)や、諸寺でも行われた。

 もちろん、源氏は六条院でそれを行い、この日初めて、自分が主催者として、参集した客たちの前に久々に姿を現した。一周忌も過ぎたし、音楽などの遊びもあっていいところだが、源氏はまだとてもその気になれない。朗詠や歌などが披露されただけだった。

 この日初めて御簾(みす)の外に姿を現した源氏の様子を、原文は、

「その日ぞ出(い)でゐたまへる。御容貌(かたち)、昔の御光にもまた多く添ひて、あり難くめでたく見えたまふ」

 とある。

 幻(まぼろし)の巻という紫上死後一年の話の中で、源氏は何かにつけて泣いてばかりいてだらしなく、自分でもボケたようだというくらいで、昔の颯爽(さっそう)とした俤(おもかげ)はみられない。けれども紫式部は年の終わりの仏名会で、人々の前に、また読者の前に、昔の輝く美しさの上にさらにまたいっそう一段と美しさを加えて、この世のものとも思えない光り輝く源氏の君を立たせて見せるのである。

 その姿は、多くの憎が三千の仏の御名(みな)を称える怒涛(どとう)のようなうねりを背景としている。まことに源氏自身が仏に見まがう一瞬である。

 その年の終わりには、正月年頭の行事のことを、これが最後だと思い、例年より念入りにしようと、源氏は人々に指図し、引出物や禄(ろく)なども、またとないように立派に豊富に用意させる。

 「もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間(ま)に

    年もわが世もけふや尽きぬる」

 物思いに明け暮れ、月日の過ぎるのも気がつかなかったこの一年も、わが生涯も、ついに今日で終わってしまったか、という感慨を歌い、この幻の巻は終わる。

 翌年の源氏の出家を予想させ、静かに大晦日(おおみそか)の幕が降りてくる。

 源氏物語の中で、主人公光源氏(ひかるげんじ)は、これで舞台から静かに退場する。 次に雲隠(くもがくれ)という、題だけがあって本文のない巻があり、その後には源氏の息子の薫(かおる)や孫の匂宮(におうのみや)が物語の中心となっていく。

 時代は源氏の次の世代に移り、雲隠の次の匂宮の巻へと移る。その次の橋姫の巻からが治十帖(うじじゅうじょう)と呼ばれるもので、もはや光源氏の話ではなくなる。

「光隠れたまひにし後(のち)、かの御影にたちつぎたまふべき人、そこらの御末々(すゑずゑ)にあり難かりけり」

 という匂宮の巻の冒頭で、読者は、はっきり源氏の死を再確認させられる。源氏の死は雲隠で暗示されているが、この「光隠れたまひにし後」は、それを文章で示したものである。

 幻の巻から匂宮の一巻までには雲隠をふくむ八年の歳月が流れていて、源氏はこの間に死んでおり、死の二、三年前に出家して、嵯峨院(さがのいん)に暮らしたということが、宇治十帖の中に出てくる。

 雲隠の巻に本文があったかなかったかは、古来様々な説があったが、私は本居宣長(もとおりのりなが)のいったように、はじめから紫式部は、源氏の出家と死の場面は書く意志がなかっただろうと思う。

 どんなに筆をつくしてみても、源氏の愛した女たちの哀切な潔(いさぎよ)い出家と、あわれな死にまさる場面にになろうとは思われないからである。

 ここに来て、私は源氏物語の主人公は光源氏ではなく、彼をとりまくその女たちであったと思えてならない。

 

 

 瀬戸内寂聴の解説は以上である。次回はいよいよお待ちかねの哲学的な論評である。源氏物語の宇宙性と天皇制の劇的空間にどこまで迫れるか。乞うご期待・・・である。

 

 

Iwai-Kuniomi