源氏物語における両義的論理について

 

 

 古代日本において、天皇の過剰なダイナミズムはさまざまな形で表現された。生殖力の誇示はそのひとつの表現であった。天皇の性的能力は宇宙のエネルギーの発現と同一視された。皇后との聖なる結合は言わずもがな、性的放縦さえ、天皇たるものの過剰な性的能力の発現として容認されたのである。皇子の否定的なイメージは王権のこういった側面の延長である。混沌が秩序をささえているという「両義的論理」こそが、光源氏の活力を裏から支え、少なくとも表面的には彼を破滅から守るものとして作用している。すなわち、この「両義的論理」によって、光源氏の否定的行為でさえもが個人的な悪とは捉えられずに宇宙論的な意義を付与されることになる。

 

 山口昌男はその著「天皇制の文化人類学」の中でそう言っているのだが、こういった考え方は、1975年5月に発表された彼の著「文化と両義性」の中で早くも示されている。

 

これはその中で紹介されているのだが、ケネス・バークの次の言葉は強烈である。「秩序は無秩序を喚起することによって、またこの無秩序にあらゆる負の要素を負わせることによって、生贄を捧げ贖罪を完遂することによって保たれる。」山口昌男のいう「両義的論理」というものがはたしてここまでのことを言っているのかどうか私には判らないが、ここでは、その無秩序ぶりについては多少曖昧さが残ってもいいということにしておこう。中心部の秩序から離れた周縁部の無秩序がすべての負の要素を引き受けなければならないというのはやはり西洋的であり日本的でないと思われるからである。

わが国伝統的な考えからすれば、周縁部の無秩序というものは多義的である。多は一であり、一は無である。無は空である。負の要素に焦点が絞られるというようなことはない。あらゆる負の要素がそこに集中するということはない。空であるからにしてまさに融通無碍である。どうなるかわからないのである。それがわが国における無秩序の内容ではないかと思われるが、この点についてはまた機会をあらためて述べることがあるかもしれない。ここでは断言を避けてそうではなかろうかという程度にしておこう。

光源氏は、聡明でやさしい。宮中の女性たちの憧れの的である。だから、光源氏は、あらゆる負の要素を負わされているわけではない。源氏物語はそういう意味では女性好みの物語であるのかもしれない。光源氏の傍若無人、自由奔放な女性遍歴についてはすでに述べた。この混沌というか無秩序が天皇制という秩序を支えているひとつの要件である。それはわかった。次は贖罪の問題である。私は先に、「源氏物語は、自分の父親の妻の一人と犯した近親相姦のために、贖罪の生活を送らなくてはならなかった皇子の物語である。」と述べた。

 

先にも述べたように、光源氏39歳のとき、息子・夕霧と娘・明石の姫君の入内(天皇への輿入れ)という懸案を解決した光源氏は、出家を望む心とは裏腹に、遂に准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)の地位に就いた。そして、その秋、天皇(冷泉帝)の六条院行幸を受ける。そのときの状況は簡単ながも先に述べた。まさに准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)光源氏の栄華と栄光の頂点であった。ここで注目してもらいたいのは、その頃光源氏は本気で出家を考えていたということだ。それまでの傍若無人の行いはつぐなわなければならない。贖罪の生活を送らなければならない。そうでないと王朝の秩序が守れない。どうしても出家するのだ。光源氏の出家に対する思いは強かったであろう。しかし、准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)の地位に就いた以上それはかなわない。どうすればいいか。ない。方法がないのだ。あきらめざるを得ないのか。いや、怨霊や物の怪がおそろしい。でもあきらめざるを得ない。光源氏の思いは千千に(ちぢに)乱れたにちがいないと思われる。おそれは的中、六条院行幸の栄光を頂点として、次々とよからぬことが起こっていくのである。

 

さて、いよいよ贖罪の生活に入っていくのだが、ひとつだけ申しておかなければならないことがる。それは、贖罪の生活と諦めの境地とは違うということだ。光源氏は、晩年、贖罪の生活は送れなかったけれど、あきらめの境地には達したようで、かならずしも不幸であったわけではない。贖罪の生活は中心部の秩序を守るために必要なのであり、達観はあくまでも個人の問題である。だから、王朝の秩序を守るために、本来光源氏が送るべき贖罪の生活を薫(かおる)が引き継がなければならなくなったのである。そうでないと王朝が守れないのだ。

 

Iwai-Kuniomi