・・・講演・・・
[目次]
- 川のロマンと21世紀に向けて
川と公園・・河川環境施策の経緯
- 多摩川における河川環境への取り組み
- 建設省の河川環境施策・・その経緯
明日の河川環境を求めて
- 河川環境についての最近の動向
- 川づくりのコミュニケーション
- 明日の河川環境を考える新たな視点
河川公園の事例
- 河川公園整備の動向
- 特色ある河川公園の事例
- 川と公園
- 水と緑のプロムナード
- 治水緑地
- 水と緑のマスタープラン
- 川の風景・・その修景と視点場の整備
- 水と緑の回廊・・その本格的整備
- 既設の河川公園・・その点検と整備
九頭竜川を生きる
- はじめに
- 川づくり、地域づくりのネットワーク
- ロマンある地域づくり・・特に過疎地域を意識して・・
- 歴史を生きる
- 九頭竜川治水の歴史
- 九頭竜川を生きる
1、川へのロマンと21世紀に向けて
予想というものはなかなか当たらないものですね。
最近、Jリーグが大変な人気ですけれど、私はJリーグがこんなに人気を博するとはまったく思ってもいなかった。プロ野球のほか何かもうひとつプロスポーツができるだろうとは思っていましたが、サッカーではなく、わたくしの予想では、希望的観測もあるかも知れませんが、アメリカンフットボールだったのであります・・・・。
私が九州地建の河川部長時代、九州ではプロ野球球団の誘致が大きな話題になっていました。県議会でも話題になったりしていましたので、知事さん方の間でもそのことが話題になったりしていました。ある知事さんは、持ってくるならやっぱりセ・リーグだけれも、セ・リーグは10チーム制にならないと難しい、といっておられましたし、それに対し、ある知事さんは、10チーム制なんてものはいつのことやらわからないので、絶対パ・リーグから持ってくることを考えるべきである、そういったやりとりもあったと記憶しております。結局、思いがけないことだったと思いますが、ダイエーがきて悲願達成ということになるわけですが、当時はとても予想困難、というよりむしろ悲観的な見通しが支配的だったかと思います。そこで私が考えましたのは、アメリカンフットボールだったのです。
ご承知のように、アメリカの文化はどんどん日本に入ってきていますし、スポーツもそうであります。そして、アメリカのプロスポーツではアメリカンフットボールがもっとも人気が高い。従って、プロ野球につぐ次のプロスポーツとしては、アメリカンフットボールだろうと思っていたのであります。もし東京や大阪でアメリカンフットボールのプロチームが誕生するようなときには、絶対九州でも作らなければならない、そしてそのときには私も一肌脱ごう、そんな風に決心しておりました。しかし、これはまったく当てがはづれてしまい、その後アメリカンフットボールについてはそういった動きは全くなく、逆に、Jリーグが水星のように現れ、あっという間にJリーグがプロ野球をしのぐ大人気となったのであります。
時代を見る目が私になかった、そういうことになりますが、アメリカンフットボールのプロリーグが日本にもできるであろうという予想がはづれたことについて結果的に思うことがあります。それは、「地球規模の動き」ということであります。これからの国際化の時代にあって、もちろんアメリカとの関係は特に重要であるし、ヨーロッパ・アメリカなど先進諸国との関係を重視しなければなりませんが、やはり世界全体、発展途上国を含めた地球規模の動きというものに目を向けていないとダメだということであります。サッカーは南アメリカやアフリカ諸国でも大変な人気であります。それに比べて、アメリカンフットボールはアメリカだけのもの。私としてはサッカーよりアメリカンフットボールの方がおもしろいと思いますが、やはりアメリカンフットボールにはそれだけの限界性があるということでしょうか。アメリカではやっているから日本でもはやる、アメリカのものだからいいということではなさそうであります。
さて、今西錦司の「棲み分け論」というのがあります。ダーウィンの進化論に対し、今西進化論として有名でありますので、ご存知の方も少なくないと思います。御承知のように、ダーウィンの進化論というのは,最適者が生存するためには自然淘汰が働いている、という理論でありまして、弱肉強食というか、激しい生存競争の世界であります。それに対し、今西さんは、種の個体レベルでは、例えば、ヘビがカエルを食うように、ある生物がある生物を食うというようなことは当然あるけれど、----種という単位で考えれば、種の間に生存競争がある訳でなく、違った種同志がお互いに共存している、と言んですね。例えば、ヘビ全体はカエル全体をほろぼさない----ヘビという種とカエルという種は、共にこの世を立派に生きている。私流にかなりデフォルメして説明しておりますけれど、弱いものもおっとどっこい生きている、こういうのが今西錦司の「棲みみ分け論」でありまして、----そういった平和共存の考え方を基本にして生物の進化を説明するのが、今西進化論であります。そして、今西さんは言われます。ダーウィンの進化論は、マルサスの人口論の影響を受けている----このことは疑う余地のないところであってダーウィンの進化論は、強い者が勝つのは当然、神に選ばれた者のみが幸いであるという、西欧社会の伝統というか、西欧文化に根ざしたものであると、----こう言われるのであります。
今西さんは、私の京都大学山岳部の大先輩でもあり、私のもっとも尊敬する偉大な先生でありますが、私の尊敬する人に、もう一人、梅原猛さんが居られます。 梅原先生は、平和について、哲学者として鋭く指摘しておられます。ヨーロッパの思想はどう考えても力の思想である。----ところが、力の思想では、世界はもはややっていけないのではないか。----平和の原理慈悲の原理に立った、新しい、文明を築き上げていく、このことは、新しい時代の要請として今世界に課せられた大きな課題ではないか、----そして、東西文明の統合、その中から新しい文明が拓かれてくるのだが、日本は、そのために力を尽くさなければならない。----日本は、ヨーロッパの科学文明の取り入れに成功し、しかも、多くの伝統文化の遺産を持っている。そういった日本には、今やっと新しい文明創造へのチャンスがやってきた。----このように梅原先生は言われます。
私の口ぐせでありますが「内平らかに外成る」、「地平らかに天成る」、平成の時代とは、平和の時代であります。わが国の伝統と文化に根ざし、しかも国際的視野に立って、高い理想を追求する時代、それが平成という時代でありますが----それは一言で言うならば、----ロマンの時代であり、----平和の時代であります。わが国は、今正に、世界のために新しい平和の哲学と平和の文明を創り出していかなければなりません。私の予感としては、平和の文明というものは、----多分----慈悲、仏教に言う慈悲ですね----その慈悲に対する哲学的な思想と実践から生まれてくるのではないか、そのように思います。慈悲という言葉が仏教くさくて古いと言うのであれば、コミュニケーションと言い換えてもいいかもしれません。
コミュニケーションということについての哲学的な思索と実践活動、その中から世界におけるこれからの新しい文明、平和の文明というものが芽生えてくるのではないか。コミュニケーションというものは年齢、性別、言葉、思想、宗教などすべての違いを乗り越えて行われるところに、その哲学的な意味があります。梅原先生は、世界におけるこれからの新しい文明、平和の文明の原理は、「循環と共生」だとおっしゃっておられますが、慈悲とかコミュニケーションということも、共生の一側面であり、平和を考える際の大事なキィーワードであります。
ところで、皆さん方は、アメリカにある自由の女神を御存知だと思います。あのニューヨークの自由の女神は、フランス革命百周年記念のモニュメントでございまして、フランスの提案によって建てられたものでございますが、あの自由の女神に象徴されますように、この二十世紀という世紀は、アメリカという国が中心になりまして、自由というひとつの理想が世界を変えていった、そういう世紀であったと思います。つまり、二十世紀は、自由の世紀であったと言って過言ではないと思います。東欧諸国や旧ソビエト連邦の動きを見ても判りますように、遂に、この二十世紀は、自由の女神の勝利に終わろうとしております。----しからば、来るべき二十一世紀は、どんな理想が世界を引っ張っていくのか、そこが問題であります。二十世紀に続きまして、やはり自由の女神が世界の女神であり続けるのでしょうか。それとも何か新しい理想が高らかに掲げられるのでありましょうか----。
フランス革命後二百年を目前にして、実は、フランスからわが国にプロポーズがございまして、今、関係者の間で準備中とのことでありますけれど、自由の女神に続く二十一世紀の新しいモニュメントが、我が国の淡路島に、本四架橋明石ルートの完成を機に建てられようとしております。----そのテーマは、コミュニケーションということになりそうであります。----二十一世紀の世界をリードする理念、或いは理想として、このコミュニケーションというコンセプトは実にいい、私はそのように考えています。コミュニケーションは、二十世紀の自由に代わる、世界における、二十一世紀のすばらしい指導理念、すばらしい理想ではないかと考えております。----
さて、近年、潤いとかアメニティー、あるいは環境ということがたいへん重要な時代になってきていることは皆様ご承知の通りであります。河川の環境についても地域の皆さんの関心がたいへん高くなってきております。町づくりのなかであるいは国民的な自然志向の中で、河川の環境ということがたいへん重要な課題になってきているかと思います。
現在、河川事業は、第8次治水事業5カ年計画にもとづき進められておりますが、平成4年度からスタートしているその5カ年計画ではじめて河川環境ということが大きく取り上げられました。3つの柱の内ひとつの柱が「水と緑豊かな生活環境の創造」ということであって、町づくりの中で水と緑豊かな生活環境をつくっていこう、その際河川事業としても積極的に協力していこうということであります。もちろん、河川の環境整備については、昭和40年代の中ごろに事業制度ができておりますし、過去それなりに努力が払われてきましたが、建設省のいや国の重点的な施策として取り上げられたのは、5カ年計画にそういった柱が立てられてからと言っていいかと思います。昭和40年代の中頃にスタートした河川環境整備事業は、河川敷を運動公園その他公園として積極的に利用していこうと言うことと、中小河川の浄化のため浄化用水を大河川から導水してこようというものでありました。その事業のおかげで全国の河川の環境はかなり改善されたかと思います。その後、建設省の工事事務所などを中心としていろいろ新しい取り組みが行われていきますが、それらは現場サイドの自主的な努力であり、制度的に注目すべきは昭和62年度の「ふるさとの川モデル事業」のスタートでありましょう。このふるさとの川モデル事業というのは、河川の改修工事を進める際、公園事業や街路事業など都市計画事業と一緒になって潤いのある河川をつくっていこうというものであります。言うなれば、町づくりと一緒になって潤いのある河川環境をつくっていこうというものであります。そのほかにも、「桜づつみモデル事業」とか「マイタウン・マイリバー整備事業」とかが創設され、「水と緑豊かな生活環境の創造」という柱が打ち立てられた平成4年の5カ年計画、つまり現5カ年計画ではさらにいろんなメニューが追加され、現在に至っております。現在では、例えば「多自然型川づくり」とか「魚の上りやすい川づくり」とか自然にも配慮した川づくりなども積極的に行うようになりました。
また、みなさんがたも新聞などでご承知かと思いますが、去る1月13日、建設省は、これからの環境政策の基本的な考え方[環境政策大綱]なるものをを発表しました。
この政策大綱は、平成4年12月に設置されました「豊かな環境作り委員会」、この委員会は建設大臣の諮問におおじて設置されたものですが、委員長は日本学術会議の会長でもあり中央環境審議会の会長をしておられる近藤次郎先生ですが、その委員会の議論がベースになってつくられたものです。もちろん、この政策大綱は、環境基本法の制定の後できあがっておりますので、環境基本法の基本理念をしっかりふまえたものになっているかと思います。21世紀初頭を視野においた、建設省における環境政策のこれからの基本となるものであります。
内容は多岐にわたっておりますが、特にみなさん方に関係のある点として、私が注目している点を申し上げれば、建設省としても、今後、ボランティア活動を積極的に支援しながら、市民と連携した環境づくりを進めていこうと言う点であります。さきほどコミュニケーションの重要性について私の持論を述べましたけれど、ボランティア活動を支援しながら市民と連携した河川環境作りを進めていく、そのことを私のライフワークと考えているものですから、建設省がそういう考え方を正式に打ち出したということで、私は大変うれしく思っているのであります。
また、河川環境をよくする場合、河川についてはもちろん河川局が中心であり、河川局の努力がまず一義的に大切でありますすが、河川環境については、公園との関係や下水道との関係などほかの部局との関係が大変密接なものがありますので、やはり建設省全体の取り組み姿勢というものが大事だと思います。環境政策大綱に述べられているような基本的スタンスで今後建設省全体が動いていけば、世の中は相当大きく変わるものと思われます。大いに期待したいものであります。
さて、何をやるにしてもこれからは交流ということがきわめて重要なキーワードになる、そのことは先程述べた通りであります。異業種間交流とか産学官の交流の重要性が言われてから久しいかと思いますし、ご承知のように四全総においても地域間の交流が大きなテーマになっております。しかし、交流と言うことがいろんな分野で本格的に進められるようになるのは、むしろこれからで、町づくりとか地域づくりと言った場面において産、学、官、野の交流ということが近年ますます重要になってきているのではないでしょうか。河川環境といいますか、川づくりにおきましても、近年人々の関心が大変高まっており、産、官、学、野の交流、あるいは地域住民と行政とのコミュニケーションというものが今や大変重要になってきている、私はそのように考えております。
河川環境については、これもまた先程述べましたように、結構古くから取り組んできてはいるものの、治水事業5カ年計画の重要な柱として本格的といいますか真正面から取り組み始めたのはごく最近のことであります。建設省の環境政策大綱ができたことでもありますし、今後さらに積極的な取り組みが必要でしょう。そしてその場合きわめて重要なことは、地域住民と行政とのコミュニケーションということであります。洪水対策や水資源開発につきましては、広域的な視点が特に重要であり、たとえ地元の反対があってもやらなければならない場合があります。もちろん地元の理解を求めるため最大限の努力をするわけですが。強力な反対があるからやめると言うわけにはいきません。そういう意味では、広域的な立場が優先されると言うことかもしれません。それに対し、河川環境については、広域的な視点がもちろん不必要と言うことではありませんが、むしろ地先の希望が優先されるべきでしょう。洪水対策や水資源開発は広域的、河川環境は地先主義的と言っていいかもしれません。したがいまして、河川環境につきましては市町村という行政体を通じて地元の人々の思いが何らかの形で反映されることが望ましいと思います。コミュニケーション。地元の人々と行政とのコミュニケーションというものが重要だと思うわけです。私は、21世紀はコミュニケーションの時代であるという認識に立ちながら、様々な交流活動を実践あるいは応援しているところですが、本日は、これからの川づくり、環境に配慮した川づくりを進めるに当たって、行政と地域住民とのコミュニケーション、あるいは産、学、官、野とのコミュニケーション、さらには地域間のコミュニケーションというものが重要である、その点をまず強く訴えておきたいと思います。
私といたしましては、コミュニケーションというものを大切にし、交流活動を実践あるいは応援しながら、これからの川づくりに尽力していきたいと思います。全国組織として<水の環境交流会>というのがあり、私も入っておりますので、水に環境あるいは川の環境に関心のある方は是非参加していただきたい。私の予感としては、そういった交流活動、コミュニケーションの実践活動の中から21世紀の新しい文化が生まれてくるのではないか、そんな風に思います。川についての交流活動、そしてそれから生まれでる21世紀の新しい文化、それが私のロマンであります。それでは本日の結論的な話として、その点、もう少し話を続けさしていただきたいと思います。
さて、みなさん方、河川環境といいますと、河川敷の公園的な利用とか魚釣りやカヌーなどの利用、あるいは魚や鳥、昆虫、植生などのいわゆる自然生態系を思いうかべられると思います。それはそれでいいかと思いますが、私としてはもう少し広く考えたい。河川と伏流水との関係、河川とため池や農業用水との関係、あるいは流域の林相といいますか森林と河川との関係など水系環境として河川の環境をみていきたい。これから河川の環境を論ずる場合、水の循環という視点が重要かと思います。次に、河川に関連する社会的な環境、例えば農業用水の管理体制はどうなっているか、河川愛護団体の活動や組織はどうなっているか、それから河川モニターや河川愛護モニター、さらには河川里親制度がどうなっているのか。リバーカウンセラーもありますね。そういったことは、川づくりといいますか、いい河川環境をつくっていこうとする際に当然関係してくる訳でしょう。つまり、そういった社会的な環境を重視しないで河川環境を論ずるわけにはいかない訳です。河川の利用状況も河川の社会的環境ということですが、今申しました諸々のことも含めて河川の社会的環境というものを考える必要がある訳であります。河川の自然生態系と社会系、次に文化系ということを申し上げます。
古代、弥生時代に入って、クニグニは河川のほとりに発生し、湿地の水田化、農業水利の整備など河川とのかかわり合いの中で、そう行ったクニグニは発展していった。もちろん、洪水との戦いがあったことでしょう。そういった古代から中世、近世、近代とたいへん長い歴史の中で、地域は、河川と深い関わりを持ちながら発展してきました。中村二郎先生は、「我々は、身体で生きるのではなくて、身体を生きるのだ」とおっしゃっており、また「それと同様に、我々は、歴史にいきるのではなくて、歴史を生きるのだ」とおっしゃっておりますが、歴史というものは、我々の身体と同じように大変大事なものであります。歴史に学ぶとよくいいますが、そういったことだけではなく、歴史というものは、我々の意識に関わってきますので大変大事なのであります。河川を語るとき、その歴史を忘れてはいけません。河川工事の歴史はもちろんのこと、河川と地域のかかわり合いの歴史を忘れてはいけません。さらにいうならば、樋口忠彦先生がおっしゃっていますが、「我々の意識の中に、縄文時代から遺伝子に組み込まれてきたところのー原風景ーというものがある」。遺伝子云々はともかく、その地域の歴史も大きく関係しているその地域の風土、風土というものにその地域の人々の気質とか意識がかなり関係しておりますので、歴史・風土というものを抜きにして河川の環境を論ずるわけにはいかないと思います。歴史からくるところの、その地域のお祭りとか文化、そういったことも人々の意識と大いに関係しておりますので、それらも忘れるわけにはいかない。河川環境と歴史・文化、大変大事な課題だと思います。私は、地域のボランティア活動、その最たるものが水防だと思いますが、そういったことも一種の地域文化であり、川づくりにあって忘れてはならない大事な要素であると考えております。以上長々と述べましたが、文化という系ですね、これがこんご河川環境の問題を考えていく際に結構大事なのではないか、そんな風に思うわけであります。
河川環境の三代要素、自然生態系と社会系と文化系、それらを考えながらこれからの川づくりを進めていきたいものであります。そして、そういったこれからの川づくりは、さまざまな交流活動あるいは連携によって進められる、言うなれば私は共生社会の一つの姿を夢見ているわけですが、私の予感としては、そういった動きがわが国の社会に広く定着していけば、多分、そのことが第三の文明というものを作り出していくことに繋がっていくであろう、そんな風に感じている訳であります。明日のすばらしい川づくりと交流活動、そして共生社会と第三の文明、そんなものを夢見ながら、「川へのロマンと21世紀に向けて」という私の話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
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2、川と公園
1 河川環境施策の経緯
(1)多摩川における河川環境への取り組み
昭和の初期、多摩川の沿川地域は、下流部を中心として次第に都市的な土地利用が進んでいくが、それに伴って多摩川の河川敷もゴルフ場、野球場、学校の運動場など都市的な利用が進んでいく。戦前はそれらのほとんどは農耕地となって、今言うところの家庭菜園的な利用も多くみられたようである。しかし、戦後になって、都市化の進展とともに再びゴルフ場、野球場、運動場などが増えていって、昭和35年頃には、農耕地がほとんど姿を消したようだ。
昭和39年という年は、新河川法が制定された年でもあり、多摩川の河川敷利用を語るとき一つの区切りの年である。その昭和39年における多摩川の河川敷利用についての占用許可件数及び面積は、一般企業の運動場41カ所、公共団体の運動場20カ所、ゴルフ場6カ所、自動車練習場3カ所、飛行場1カ所、競馬練習場1カ所、その他農耕地などを含めて合計約376haとなっており、一般企業のもの、営利的なものが多く、一般公衆の用に供するものの少ないことが目につくであろう。
東京オリンピックはわが国の社会経済全般にわたって大変大きなインパクトを与えたが、そういったオリンピックムードの中で、昭和39年10月には、「国民の健康、体力増強対策について」閣議決定がなされた。そこでは、体育増強、スポーツおよびレクレーションを普及することが重点事項として取り上げられ、そのための施設整備を積極的に進めることとされている。これを受けて昭和40年には、国民一般が家族連れで日常気軽に体力作りに親しめるよう、「国民広場」と言うべきものを大都市周辺の河川敷地を利用して設置する、そういったことが国の方針として決定された。
多摩川の河川敷は、全国の河川ではもっとも高密度に利用され新たに国民広場と言うようなものを作る余地があまりないし、民間企業の占用しているゴルフ場などが大変多く、勢いみんなの目がそういうところに向かうのは当然であろう。かんかんがくがく関係者の間でいろんな議論があったが、昭和40年、建設省は、多摩川河川敷を一般公衆の利用に供するための「多摩川河川敷地の開放計画」を決定、その実現に乗り出すこととなる。
これにより、公共団体の運動場や公園・緑地は大幅に増えることとなったが、国民生活の向上に伴って、更なる開放を求める声が高まった。そこで、建設省は、昭和49年、引き続き第2次開放計画を策定し、営利的な利用を縮小し一般利用の拡大を図ることとした。第1次開放計画と第2次開放計画によって、公共団体の運動場、公園・緑地は、以前の20カ所77haが、85カ所350haに増えた。箇所数で4倍、面積で5倍弱である。
しかし、これは、都市の運動場不足や公園不足を多摩川の広大な河川敷で代替しようとするものであったので、都市における絶対的な運動場不足や公園不足が続く限り、多摩川の河川敷は運動場や公園だらけになって多摩川の自然環境が著しく損なわれることになりはしないか、そんな心配もでてきた。そんな危機感から、多摩川における自然保護運動が野火のように燃え上がったのである。ご承知の方は少ないと思うが、多摩川は全国における自然保護運動の発祥の地である。
都市における絶対的な運動場不足や公園不足の中で、多摩川の河川敷に運動場や公園を求める動きは、確かに沿川の市区町に根強いものがあった。これも、住民のニーズに応えようとする動きであって、十分理解できることである。国が河川の管理に当たって公共団体の意向を十分尊重しなければならないのは当然であって、そう言った公共団体の意向と自然保護運動の狭間で我々は一体どうすればいいのか。京浜工事事務所は、そのことを真剣に考え、多摩川の河川敷利用に関する沿川住民アンケート調査、多摩川の植生調査など多くの調査を進めてきたが、昭和50年度になって、さらにそれら調査を充実させるとともに広く学術経験者の意見を聞いて、多摩川の河川環境に関するマスタープランを策定することとした。
多摩川においてそういう河川環境に関する計画策定作業がスタートしたことを受けて、建設省では、地域社会における河川環境の将来像及び管理方針について検討すべく、河川環境管理財団に調査研究を委託した。
河川環境管理財団では、直ちに山本三郎氏を委員長とする「河川環境管理委員会」を設置した。そして、昭和51年7月には、同委員会の答申として「多摩川、荒川、江戸川の河川環境の将来像の基本方向について」という答申が出された。多摩川の河川環境管理計画は、その委員会の下に設けられた西川喬氏を委員長とする「多摩川部会」において原案を策定することになったが、その策定作業において、この答申がベースになったことは言うまでもない。
詳細は省略するが、一つだけ重要な点を述べておくと、治水及び利水機能に対する配慮を十分行うは当然のこととして、河川敷の利用にあたっては、「河川でなければ果たせない機能をまず確保する必要があり、他の陸域では代替のできぬものを優先する必要がある」ということが明確に述べてあって、都市の絶対的な運動場不足や公園不足から、安易に河川敷にそれを求めようとする機運に対し警鐘を鳴らした内容のものになっている。
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(2)建設省の河川環境施策・・その経緯
東京オリンピックの開催の開催された昭和39年という年は、たまたま新河川法の制定された年でもあるが、建設省の河川環境施策を語る上で忘れ得ない年である。新河川法の制定と東京オリンピックが契機になって、都市河川を中心にして河川敷をめぐってのいろんな施策が始まった。その主たるものは、占用許可準則の制定と解放計画の実施であるが、多摩川の第1次開放計画もほぼ終わった昭和44年には、建設省は、「都市河川環境整備事業」を発足させた。
この都市河川環境整備事業というのは、河川敷地を運動公園その他都市公園として積極的に利用していこうという事と、中小河川の水質浄化のため浄化用水を大河川から導水してこようというものであるが、建設省として初めて河川環境改善のために事業展開を図ったものであり、この年もまた建設省の河川環境施策を語る上で忘れ得ない年である。この事業制度のおかげで全国の河川環境は随分改善されたかと思う。
そのような河川敷地における運動公園その他都市公園の整備が逐次進む中で、人々の河川環境に対する関心も次第に高まっていき、そして多摩川を中心として自然保護運動も次第に熱を帯びるようになっていった。昭和50年代は、都市におけるアメニティーが言われ始めた時でもあるが、町づくりの中で河川を活かしたい、そういう動きも少しづつではあるが出てきて、河川環境の重要性がいろいろと言われるようになった。
そういう状況の中、昭和54年に、多摩川河川環境管理計画が出来上がった。それが一つのきっかけになって、河川局では河川環境管理を河川行政の中でどう位置づけるか、河川局の重要課題として認識されるようになる。
そして、昭和56年3月には、治水、利水と調和のとれた望ましい河川環境管理のあり方について、今後の方向を得るため、建設大臣から河川審議会にその旨の諮問が行われた。そして、昭和56年12月に、河川審議会は「河川環境のあり方について」歴史的とでも言える答申を行ったのである。つまり、この答申をもって、河川環境の管理は、治水、利水と並ぶ河川行政の主要な柱になった。以後、河川行政は大きく変わっていく。
紙面の都合もあって、その答申の内容を紹介できないが、重要な点は、河川環境管理計画の位置づけが明確になった点であろう。答申では、「河川環境管理基本計画」と言っており、以後そのような呼び方が一般的になったが、多摩川で策定されたとものと同趣旨のものと考えてもらえばよい。
ただし、河川環境管理基本計画には、水量及び水質の総合管理に関する「水環境管理計画」と河川空間の適正な保全と利用に関する「河川空間管理計画」の2種類の計画があり、多摩川河川環境管理計画はその後者に当たる。
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3 明日の河川環境を求めて
(1)河川環境についての最近の動向
近年、潤いとかアメニティー、あるいは環境ということがたいへん重要な時代になってきているが、河川の環境についても地域の皆さんの関心がたいへん高くなってきている。
町づくりのなかであるいは国民的な自然志向の中で、河川の環境ということがたいへん重要な課題になってきているかと思う。
現在、河川事業は、第8次治水事業5カ年計画にもとづき進められているが、平成4年度からスタートしているその5カ年計画ではじめて河川環境ということが大きく取り上げられた。3つの柱の内ひとつの柱が「水と緑豊かな生活環境の創造」ということであって、町づくりの中で水と緑豊かな生活環境をつくっていこう、その際河川事業としても積極的に協力していこうということである。もちろん、河川の環境整備については、昭和40年代の中ごろに事業制度ができているし、過去それなりに努力が払われてきたが、建設省のいや国の重点的な施策として取り上げられたのは、5カ年計画にそういった柱が立てられてからと言っていいかと思う。
昭和40年代の中頃にスタートした河川環境整備事業は、河川敷を運動公園その他公園として積極的に利用していこうと言うことと、中小河川の浄化のため浄化用水を大河川から導水してこようというものであった。その事業のおかげで全国の河川の環境はかなり改善されたかと思う。その後、建設省の工事事務所などを中心としていろいろ新しい取り組みが行われていくが、それらは現場サイドの自主的な努力であり、制度的に注目すべきは昭和62年度の「ふるさとの川モデル事業」のスタートであろう。このふるさとの川モデル事業というのは、河川の改修工事を進める際、公園事業や街路事業など都市計画事業と一緒になって潤いのある河川をつくっていこうというものである。言うなれば、町づくりと一緒になって潤いのある河川環境をつくっていこうというものである。そのほかにも、「桜づつみモデル事業」とか「マイタウン・マイリバー整備事業」とかが創設され、「水と緑豊かな生活環境の創造」という柱が打ち立てられた平成4年の5カ年計画、つまり現5カ年計画ではさらにいろんなメニューが追加され、現在に至っている。現在では、例えば「多自然型川づくり」とか「魚の上りやすい川づくり」とか自然にも配慮した川づくりなども積極的に行うようになっている。
また、みなさん方も既にご承知のように、去る1月13日、建設省は、[環境政策大綱]を発表した。河川環境については、もちろん河川局の努力がまず一義的に大切であるが、公園との関係や下水道との関係などほかの部局との関係が大変密接なものがあるので、やはり建設省全体の取り組み姿勢というものが大事だと思う。環境政策大綱に述べられているような基本的スタンスで今後建設省全体が動いていけば、世の中は相当大きく変わるものと思われる。大いに期待したいものである。
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(2)川づくりとコミュニケーション
環境政策大網の内容は多岐にわたっているが、私が注目している点を申し上げれば、建設省としても、今後、ボランティア活動を積極的に支援しながら、市民と連携した環境づくりを進めていこうと言う点である。さきほどコミュニケーションの重要性について私の持論を述べたけれど、ボランティア活動を支援しながら市民と連携した河川環境作りを進めていく、そのことを私のライフワークと考えているので、建設省がそういう考え方を正式に打ち出したということで、私は大変うれしく思っている。したがって、川づくりとの関係で、今少しコミュニケーションとか交流ということについて話をしておきたい。
異業種間交流とか産学官の交流の重要性が言われてから久しいかと思うが、ご承知のように四全総においても地域間の交流が大きなテーマになっている。しかし、交流と言うことがいろんな分野で本格的に進められるようになるのは、むしろこれからで、町づくりとか地域づくりと言った場面において産、学、官、野の交流ということが近年ますます重要になってきているのではないか。河川環境というか、川づくりにおいても、近年人々の関心が大変高まっており、産、官、学、野の交流、あるいは地域住民と行政とのコミュニケーションというものが今や大変重要になってきている。
河川環境については、これもまた先程述べたように、今後さらに積極的な取り組みが必要であるが、その場合きわめて重要なことは、地域住民と行政とのコミュニケーションということである。洪水対策や水資源開発については、広域的な視点が特に重要であり、たとえ地元の反対があってもやらなければならない場合がある。もちろん地元の理解を求めるため最大限の努力をするわけだが、強力な反対があるからやめると言うわけにはいかない。そういう意味では、広域的な立場が優先されると言うことかもしれない。それに対し、河川環境については、広域的な視点がもちろん不必要と言うことではないが、むしろ地先の希望が優先されるべきだろう。洪水対策や水資源開発は広域的、河川環境は地先主義的と言っていいかもしれない。したがって、河川環境については市町村という行政体を通じて地元の人々の思いが何らかの形で反映されることが望ましいと思う。
私は、21世紀はコミュニケーションの時代であるという認識に立ちながら、様々な交流活動を実践あるいは応援しているところだが、これからの川づくり、環境に配慮した川づくりを進めるに当たって、行政と地域住民とのコミュニケーション、あるいは産、学、官、野とのコミュニケーション、さらには地域間のコミュニケーションというものが重要である、その点を強く訴えておきたいと思う。
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(3)明日の河川環境を考える新たな視点
河川環境というと、普通、河川敷の公園的な利用とか魚釣りやカヌーなどの利用、あるいは魚や鳥、昆虫、植生などのいわゆる自然生態系を思いうかべるであろう。それはそれでいいかと思うが、私としてはもう少し広く考えたい。
河川と伏流水との関係、河川とため池や農業用水との関係、あるいは流域の林相といいますか森林と河川との関係など水系環境として河川の環境をみていきたい。これから河川の環境を論ずる場合、水の循環という視点が重要かと思う。まずこれが第一点である。
次に、河川に関連する社会的な環境、例えば農業用水の管理体制はどうなっているか、河川愛護団体の活動や組織はどうなっているか、それから河川モニターや河川愛護モニター、さらには河川里親制度がどうなっているのか。リバーカウンセラーもある。そういったことは、川づくりというか、いい河川環境をつくっていこうとする際に当然関係してくる。つまり、そういった社会的な環境を重視しないで河川環境を論ずるわけにはいかない訳だ。河川の利用状況も河川の社会的環境ということだが、今言った諸々のことも含めて河川の社会的環境というものを考える必要がある。
さらに文化系ということを申し上げておく。古代、弥生時代に入って、クニグニは河川のほとりに発生し、湿地の水田化、農業水利の整備など河川とのかかわり合いの中で、そう行ったクニグニは発展していった。もちろん、洪水との戦いがあったことであろう。そういった古代から中世、近世、近代とたいへん長い歴史の中で、地域は、河川と深い関わりを持ちながら発展してきた。中村二郎先生は、「我々は、身体で生きるのではなくて、身体を生きるのだ」とおっしゃっており、また「それと同様に、我々は、歴史にいきるのではなくて、歴史を生きるのだ」とおっしゃっている、歴史というものは、我々の身体と同じように大変大事なものである。歴史に学ぶとよくいうが、そういったことだけではなく、歴史というものは、我々の意識に関わってくるので大変大事なのである。河川を語るとき、その歴史を忘れてはいけない。河川工事の歴史はもちろんのこと、河川と地域のかかわり合いの歴史を忘れてはいけない。河川環境と歴史・文化、大変大事な課題だと思う。
河川環境、それは水系環境と言うことで考えなければならないが、水系環境の三代要素、自然生態系と社会系と文化系、それらを考えながらこれからの川づくりを進めていきたいものである。
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4 河川公園の事例
(1)河川公園整備の動向
東京オリンピックを契機として、国民の体力づくりが強く叫ばれ、河川敷を一般利用に供し国民広場とでも言うべき公園を作っていこうと言う動きが出てきたことは先に述べた。そして、それに呼応して、河川敷地占用許可準則が制定され、多摩川の解放計画が始まったことも述べた。
実は、この解放計画というのは、多摩川のみならず、淀川など全国6河川で当初スターとし、しかも、翌昭和42年には、江戸川、鴨川など9河川が加わった。したがって、河川公園というものは、東京オリンピックを契機として整備され始めたと言っていいかも知れない。
その後も、多摩川の場合と同様、全国的にも、河川敷を利用しての公園づくりが活発になっていった。図ー1に示すように、昭和40年当時全国で23カ所であった河川敷公園は、平成3年時点では、全国で851カ所にも達している。
現在、全国の河川公園の面積は約6500ヘクタールであるが、都市公園全体が約6万7000ヘクタールであるので、都市公園の約1割が河川公園と言うことになる。現在、約3万3000ヘクタールの河川公園が計画されているが、近年自然に対する関心の高まりから、ビオトープということも公園行政の課題になってきているかと思われるので、実際にはもっと河川公園は増えていくのではないかと思う。
現在、河川公園の約4割が緑地系、約6割が運動施設系である。また、地域別には、約半分が市街化区域、残りの約半分が市街化調整区域となっている。私の感じでは、緑地系のもの、市街化区域のものがもう少し多くて良いのではないかと思う。
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(2)特色ある河川公園の事例
自然との共生・・ホタルの棲む川(札幌市 オカシバルシ川)、咲き乱れるワイルドフラワー(北上市 和賀川)、自然とふれあえる水辺を(足立区 荒川)自然に抱かれるひととき(入善町 黒部川)、自然環境を保全する(清水町 柿田川)、風土を体験できるスペース(美幌町 魚無川)、甦る自然(北区 荒川)、生命が活気づく空間(葛飾区 荒川)、うるおいのある花屋敷(江戸川区 江戸川)、都市に豊かな自然を(調布市 野川)、自然を共有できる空間(福生市 多摩川)、まちの原風景がそこにある(巻町 矢川)、自然と歴史と文化のハーモニー(西川町 西川)、水と緑とたわむれて(小松市 木場潟)、心にしみいる緑(焼津市 栃山川)、やわらかな陽光が差し込む(裾野市 小柄沢川)、緑の通り抜け(扶桑市 木曽川)、手足を伸ばして自然を感じる場(木曽川町 木曽川)、さえずりが聞こえる(山口市、小群町 ふしの川)
親水機能の増進・・水遊びの島(世田谷区 多摩川)、音無川ルネッサン(北区 石神井川)、親水シンボル空間(藤沢市 引地川)、水と親しむイベント(三刀屋町 三刀屋川)、清流を未来のこどもたちのために(宮崎市 大淀川)、広がる黄色いじゅうたん(鵡川町 鵡川)、市民に開かれた水辺空間(弘前市 腰巻川)、群れなす白鳥の水辺(若柳町 迫川)、いきいき・のびのび・はつらつ(大館市、長木川)、親水意識の高揚を図る(田島町 阿賀川)、名水をより身近に(大子町 久慈川)、区民が憩える水辺(墨田区 大横川)、区民の森(江東区 横十間川)、水辺の香(江東区 古石場川)、区民の水辺(江東区 仙台堀川)、木場の香(江東区 福富川)、河岸の原風景の復元(板橋区 新河岸川)、思いっきり水と遊ぶ(黒部市 黒部川)、黒部のきらめき(宇奈月町黒部川)、都市生活に潤いを(鯖江市 日野川)、みずとひと(岐阜市 早田川)、みずとひと(岐阜市 清水川)、水とたわむれる空間(静岡市 安倍川)、詩人になる道(岡部町 木和田川)、童心に帰れる場(半田市 矢勝川)、鳳来に光輝く清流を(鳳来町 宇連川)、心安らぐ空間(尼崎市 蓬川)、水と緑の共生(宝塚市 逆瀬川)、水辺に刻まれた歴史(松山市 石手川)、リフレッシュ空間(佐々町 佐々川)、街並みに潤いとやすらぎを(知覧町麓川)、時と共に流れゆく(川辺町 万之瀬川)
景観との調和・・湖国のイメージ(大津市 琵琶湖)、四季折々の色彩(西宮市 夙川)、季節感ある景観づくり(斑鳩町 竜田川)、日本的景観演出(沼隈町 山南川)、シンボリックな都市の水辺(徳島市 新町川)、和服の似合う場所(日立市 鮎川)、前橋の杜(前橋市 利根川)、新しい水辺風景の創造(葛飾区 中川)、思索にふける空間(福光町 小矢部川)、清流に映える緑(岐阜市 忠節用水)、明日の風土づくりに(大垣市 水門川)、明鏡止水の地(草津市 琵琶湖)、緑の中を駆けめぐる(池田市 猪名川)、洗練された水辺風景(船穂町 高梁川)、涼水とのたわむれ(宮島町 紅葉 谷砂防河川)、水辺に浮かぶ緑(唐津市 松浦川)
河川文化の醸成・・洪水との戦いを知る(松島町 高城川)、無形文化の継(山形市 馬見ヶ崎川)、史実のメモリアルパーク(伊東市 伊東大川)、伝統行事の舞台(五十崎町 小田川)、長崎の歴史を残していく(長崎市 中島川)、四季折々の花と緑(潮来町 前川)、ふるさと体験ゾーン(有田市 有田川)、野外イベントの殿堂(津山市 吉井川)、緑と共に躍動する(唐津市 松浦川)
川辺のまちづくり・・まちおこしのメインステージ(藤代町 小貝川)、スーパー堤防でまちとつながる(中央区 隅田川)、まちから近づきやすい川(金沢市 高橋川)、既存の河川公園とひとつに(池田町 吉野川)、都市のインターフェイス空間(熊本市 加勢川)、花と笑顔あふれる水辺(札幌市 軽川)、原色の自然風景(角館町 檜木内川)、市民に自然と健康を(礪波市 庄川)、雄大な自然の創造(北町 手取川)、大地の鼓動をとらえる(刈谷市 逢妻川)、幅広い自然の利用(久留米市 筑後川)
大規模な河川公園・・緑の軸線(札幌市 豊平川)、まちを代表する「顔」(旭川市 美瑛川)、水と出会うレクリエーション(氏家町 鬼怒川)、レクリエーション拠点と自然の宝庫(浦和市 荒川)、まちを包み込むみどり(大曲市 雄物川)、ひととひととの交歓の場(高崎市 碓氷川)、平野を見下ろす緑のクッション(太田市 渡良瀬川)、多摩川を花いっぱいに(川崎市 多摩川)、市民が深呼吸できる広場(尼崎市 武庫川)、創造する自然と感性(岡山市 百間川)、新しい流れが始まる(熊本市 坪井川)
独自のユニークさ・・地域の歴史・文化を保全(葛飾区 江戸川)、親しまれる分区園(小矢部市 小矢部川)、21世紀へのストーリー(浜松市 新川)、公園となった遊水池(名古屋市 庄内川)、温泉を楽しむ(本宮町 大塔川)、川を見直す多彩なイベント(丸亀市 土器川)、夢ふくらんで(岩出山町 江合川)、魚釣りのできる公園(板橋区 石神井川)、光ふりそそぐアメニテイ空間(足立区 荒川)、駅と河川の一体化(横浜市 鳥山川)、子供からお年寄りまで楽しめる(高岡市 庄川)、市民と共に育む緑(福井市 足羽川)、都市のオアシス空間の提供(沼津市 狩野川)、自然に飛びこむ(富士宮市 潤井川)、ロマン漂う緑道(春日井市 生地川)、都市に息づく緑(犬山市 木曽川)、潤いと活力のある街づくり(大津市 淀川)、見晴らしの良い広場(倉敷市 高梁川)、水と緑に打たれて(大野町 毛保川)、川と人とのアメニテイ空間(佐賀市 多布施川)、人間性回復の場の創造(加世田市 万之瀬川)
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(3)川と公園
以上述べて来たように、昭和56年の河川審議会の答申を契機に河川環境施策は大きく変わって来たし、これからも随分変わるものと思う。環境基本法が制定され、建設省も環境施策大綱を制定するなど、正に、今は、時代の大きな変わり目だと思う。今の動きは、決して一過性のものと言うようなものではなく、今後ますます加速されることこそあれ衰えることはないであろう。
私は、21世紀のキーワードとして[自然、文化、コミュニケーション]と言う三つのキーワードを考えているが、自然について言えば、21世紀は、梅原猛先生が言われるように自然と共生できる科学文明を作り出して行かなければならないし、国づくりにおいても自然豊かな美しい国土を作るということが最も重視されていくだろうと考えている。このような観点から、今の動きを理解し、今後の動きを見通している。ただし、誤解のないように私の自然観を言っておくと、私の自然観は、[自然は人工を完成し、人工は自然を完成する]、そのような絶対的な認識論に立っての自然観であって、過激な自然保護派のそれとは全く違う。自然に人工の手を加えない川づくりも町づくりもあり得ない。しかし、自然は、川づくりや町づくりにおいて、もっともっと考慮されなければならないと思う。
自然の二大要素は水と緑であり、これからの国づくり、町づくりにおいて、川と公園という課題は大変重要な課題であると思う。今までこう言った課題についてほとんど議論されたことがないが、今後、国づくりや町づくりに関係のある人は、自然を考え、水と緑を考え、そして川と公園を考えていただきたいと思う。本稿は、そのために書いており、川のサイドから見た公園サイドへの若干の問題提起と考えてもらえばいい。
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(4)水と緑のプロムナード
これは、都市の中小河川を想定しているが、河川事業と公園事業と共同して、河川を活用しての水と緑のプロムナードが作れないものか。
ほとんどの都市河川は、従来、都市化の急激な進展に対応して、洪水対策を急がなければならなかったので、高い直立護岸もしくはそれに近いものが多い。水面は、河岸から随分下にあるため、景観も悪いし、ボート遊びなどもできない。護岸は、お化粧程度の改善はできるかもしれないが、抜本的な改善は困難であろう。
しかし、水面については、堰を設ければ、豊かな水面を創出することはさほど難しい事ではない。従来、そういった堰は、、洪水対策上ないほうがいいので、河川管理者は許可しなかった。今もその方針が変わっている訳ではないが、私は、今の技術水準からして許可はできると思うし、場合によれば、河川管理者がそれを設置することも可能であろう。 河岸は、道路になっている所が多く、緑道にはなりにくいかもしれないが、河川管理用の通路として確保されている所もあるので、そう云った所は、工夫をすれば十分緑道になり得ると思う。
憩いの広場は、公園橋として整備できると思うが、河川に隣接した土地があれば、ポケットパークを逐次作って行けばいいであろう。河川は、線として、町の景観上かけがいのないものであるので、場所はよほど考えなければならないが、橋上レストランというものも考えられるかもしれない。
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(5)治水緑地
これも都市河川を想定しているが、河川事業と公園事業と共同して、水と緑のプロムナードなどに関連した治水緑地が作れないだろうか。
高い直立護岸やそれに近い場合は別として、都市河川によっては、何とか川底に降りて遊べるところもある。しかし、一般的には、河川の断面に余裕がないので、そう云った利用を促進するための工夫の余地も少ない。したがって、上流に治水緑地が作れれば、その分余裕ができるので、川原を作り出したり、川の流れに瀬と淵を作ったりできると思う。
川原があり、瀬と淵があるということは、そこに豊かな自然があるということである。何とかそう云う都市河川が作れないかと思う。
問題は、水量であろう。水質については、総合水質浄化事業も始まったことでもあるし、私は、何とかなると思っている。水量については、下水処理水を活用するという例も出て来ているが、総合治水対策で言うところの「雨水の貯留・浸透施設」が、水循環と言う視点から、もっともっと幅広い施策が展開されて行けば、河川の維持流量は十分回復可能であろう。治水緑地は、大規模な雨水の貯留・浸透施設である。
治水緑地は、水と緑のセンター公園でもある。
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(6)水と緑のマスタープラン
近年は、ビオトープということが都市計画上も重要な課題になって来ているが、ビオトープで大切なことは、水と緑のネットワーク化ではなかろうか。都市計画に確かに「緑のマスタープラン」と言うのがある。しかし、水と緑を一緒に考えた「水と緑のマスタープラン」というものはない。何故か。
都市河川は、確かに、公園サイドから見て魅力のない状態になっている。しかし、今述べたような、水と緑のプロムナードとか治水緑地とか、河川サイドと公園サイドが共同して取り組めば、都市河川も魅力のあるものになって行くはずである。いや、絶対にそうしなければならない。そうでないと、我が国が国際的に尊敬されるなんて事には到底ならないと思う。我が国は、我が国の伝統的な自然観、それは、私に言わせれば、先に言った「自然が人工を完成し、人工が自然を完成する」と言う自然観であるが、そういう自然観に基づき、美しい国、美しい町を作って行かなければならない。相当の予算がかかっても。
かかる観点から、河川サイドと公園サイドが協力して、「水と緑のマスタープラン」 を策定しなければならない。
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(7)川の風景・・その修景と視点場の整備
湖沼や大河川には、場所によって素晴らしい風景がある。そして、そういう所は、然るべき修景を施して行けば、その風景はさらに素晴らしいものになって、人々にしみじみとした感動を覚えることであろう。近江八景や多摩川八景などのように、湖沼や河川の素晴らしい風景を特定し、視点場を整備しながら然るべき修景を施せないだろうか。
地域づくりの基本は、個性ある地域づくりでなければならない。そして、個性ある地域づくりとは、私に言わせれば、その地域の自然的特性と歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を震わすよう配慮された地域づくりでなければならない。
21世紀における、新しい時代の都市計画は、都市の機能面を追求するだけでなく、そう言った風景とか景観と言うものをも大切にして、そのための修景というものが考えられなければならない。そして、そう言ったことが、都市づくりのみならず、一般的な地域づくりにまで拡大されなければならないと思う。
風景は、風土と景観が解け合ったものであり、単なる景観ではない。その地域の自然的な特性とか歴史・文化的特性とかが感じられなければならない。必ずしもそれだけではないが、端的に言えば、川とか山はその地域の風土を形成する基本的要素であるので、風景を考えるとき、川とか山を基調にするのが一般的であろう。川とか山を基調にして、人々の心の琴線に触れるような風景を作り出して行くべきである。これからの国土づくり、地域づくり、町づくりにおいてそれがないと、到底世界から尊敬される文化国家とは言えないであろう。我が国は、21世紀において、世界から尊敬される文化国家を目指さなければならないと思う。
そう言った素晴らしい風景づくり、つまり修景の仕事は、誰がやるのであろうか。今は、そこまで機が熟してないので、誰の仕事と決めつけた言い方はできないが、当面、川を基調にして視点場を作り然るべき修景をして行くというようなことは、多分、公園サイドが中心になるかと思うが、河川サイドが協力すれば、ある程度実施可能ではなかろうか。河川内の修景あるいは河畔の修景は、ある程度河川サイドでできると思う。
大規模な河畔の修景が必要な場合は、河川の背後地を公園として整備する必要があるかもしれないが、その場合でも、既に河川側の施策として桜堤モデル事業とかスーパー堤防整備事業とかがあるので、現在でも協力できる場合が少なくないと思う。将来は、両者の共同事業制度を創設することも可能であろう。
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(8)水と緑の回廊・・その本格的整備
大河川は、水と緑のネットワークの主軸である。大河川を、水と緑の回廊として、本格的な整備が図れないものだろうか。
現在は、今までの急激な都市化の進展により、自然環境という観点からは問題も少なくないが、それでも都市における残された貴重な自然空間である。したがって、これを大切にしなければならない。これを大切にし、現状の改善すべき所は改善し少しでも理想的な姿にもって行く、そのような努力が必要であろう。
河川を都市における貴重な自然空間と見たとき、最も大きな問題は、河川と背後地との関係が多くの場合切れているということである。これを何とか改善しなければならない。 河川は、洪水の流れる所でもあるので、自ずと河川管理上の制約があって、緑、とりわけ高木が少ない。自然生態系を考えたとき、理想を言えば、これは大きな問題であって、何とかしなければならない問題ではなかろうか。
河川を水と緑の回廊と考えるのであれば、所々において、どうしても河川と一体になった林あるいは森が必要である。勿論、河川サイドでは、目下のところ、何ともならない問題である。しかし、これからの問題として、今後、公園サイドにお願いするか、自然公園ということで環境庁にお願いするか、あるいは総合的な河川環境整備制度を創設して河川サイドで実施するか、方法はともかく、21世紀を視野にいれた新たな取り組みを急ぎ模索しなければならないと思う。
当面の問題としては、河川に隣接する背後地の公園で、河川あるいは河川公園と一体的な形になっていないものがある。至急これの改善が必要であろう。
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(9)既設の河川公園・・その点検と整備
河川公園も先に紹介したように、随分と増えた。今後も増えて行くであろう。既設の河川公園を点検し、今後の参考にするとともに、必要な改善措置を講じて行く必要があるのではないかと思っている。
多くの河川公園は、それぞれ公園管理者によって、それなりの考えをもって計画され、適正に管理されていると思われるが、私の目から見て、もう少し改善したらどうかと思われるものもないではない。
・駐車場がないか不足しているもの
・トイレや手洗いがないか汚いもの
・人工の手が加わり過ぎて周りの環境と不釣り合いなもの
・もう少し自然性を増やす余地のあるもの
・日陰の施設が不十分なもの
・コーヒーショップなどの利便施設の設置が考えられるもの
・排水が良好でないもの
・維持管理の適正でないもの
・その他
これらを改善する場合、一般に、河川管理上の制約が厳しいし、公園管理者側の予算上の制約も当然あるので、なかなか理想的にはいかないこともあろう。しかし、総合的な見地から、双方歩み寄って工夫をすればかなり改善できる場合も少なくないと思われる。地域のため、国民のため、是非、河川サイドと公園サイドとがパートナーシップを以て、積極的に取り組んで貰いたいものである。
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5、九頭竜川を生きる
はじめに
私は、只今ご紹介いただきました、岩井國臣でございます。私は、ひょんなことから参議院議員になり、今は国会議員ということでありますが、川づくりや地域づくりに対する想いは捨てがたく、政治活動の傍ら、引き続き、川づくりや地域づくりについても、ライフワークとして、それなりに、取り組んでいきたいと考えております。つまり、二足の草鞋を履いてゆこう・・・ということであります。本日は、九頭竜川治水百周年の記念行事・・・ということでありますが、多分、政治家というより、元河川局長ということでご招待いただいたと思いますので、私のライフワーク、川づくり、地域づくりの立場でお話しさせていただきます。
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1)、川づくり、地域づくりのネットワーク
東京、埼玉、山梨、長野の県境に、奥秩父の山々がございますが、奥秩父は、川との関連で申しますと、荒川、多摩川、笛吹川、千曲川それぞれの源流ということでもあります。
その広大な山地には、2,000m以上の山が20もあって、北アルプス、南アルプスに次ぐ高山地帯を形成しているのでございます。その奥深い森林と深く刻まれた渓谷の大自然たる姿はすばらしい。
私のこれからの人生で、奥秩父の山や谷をできるだけ歩きたい、そんな想いから、河川局長の時に、マルチハビテーションよろしく秩父市に居を定めました・・・。河川局長、そして河川環境管理財団理事長の時は、金帰月来の週末だけの生活ではありましたが、私は、秩父で生活をしておりました。秩父は、・・・・その歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かでありますので、奥秩父の大自然もさることながら、里の生活にも大いに胸をふくらませていたのであります。
国会議員になり、そういう生活が一寸難しくなりました。しかし、いずれは秩父で骨を埋めようと思っておりますし、国会関係の忙しいときでも、できるだけ秩父には行きたいと思っています。そして、できるだけ、・・・奥秩父の山に登りたいと思っております。
当時から、奥秩父の山に登るため、そのベースキャンプとして、山小屋を作りたいと思っておりましたが、昨年の年末に、やっとその山小屋ができました。荒川村の三峰口駅というところです。駅から歩いて二十分、マイカーの人ですと車から降りて十分です。少し急な登りを尾根筋まで登り、すばらしい眺めのところにあります。
秩父というところは、日本列島で一番古い地層、秩父古生層で有名な所ですが、その秩父古生層と第三紀層との間の断層が荒川本川のその辺にに出ていて、その断層は、地質学者なら一度は見るべきところだそうです。
昔、あのナウマン象で有名なナウマン博士が、来日のおり、当然その場所に来て、世界で最も美しいと感嘆した、と言われる場所が、そこから少し山の方に登った所、つまり、私の山小屋の登り口にあります。もっとも今では、遠景の武甲山が、石灰岩採掘のためその美しい姿をすっかり変えてしまっているし、荒川の流れも、発電のためすっかり少なくなっているため、往時のすばらしい姿はないのでありますが・・・。それでも私の山小屋からは、ナウマン博士が世界一と言ったその風景を彷彿とさせる、すばらしい景色が楽しめます。
また、私の山小屋の登り口は、御嶽山の登山口のすぐ近くです。御嶽山は、木曽の御嶽山を開いた行者の在所が三峰口駅のすぐ上流にあり、秩父にも御嶽山があるのです。秩父の御嶽山もすばらしい景色です。両神山、雲取山、甲武信岳など奥秩父の山々が一望に眺められます。私の山小屋は、その御嶽登山に格好の場所にあります。
河川環境管理財団の理事長のときならいざ知らず、これからはあまり奥秩父に行くわけにもいきませんが、その山小屋は、川づくり、地域づくりの仲間に開放するつもりです。
そして、私の山小屋に来ていただいた方で「サロン荒川倶楽部」というものを作りたいと考えています。折に触れご招待する方は、後ほど述べます「川のホームパーティー」の仲間の他、私の山仲間、秩父の仲間、建設省の仲間などであります。
以前から私の夢であった「サロン荒川倶楽部」の発足がいよいよ近いということです。私は、川づくり、地域づくりの運動を、全国ネットワークで進めたいと思っておりますが、その一環として、サロンネットワークというものを考えているのでございます。そして、私のこの「サロン荒川倶楽部」を、是非、全国のサロンネットワーク誕生のきっかけにしたい。今そんな想いを抱きながら、川づくり、地域づくりの運動を展開しつつあるところであります。
ところで、そのサロンネットワークなるものは、堀内さんという私の仲間のアイディアでございます。堀内さんの案内で利根川の下流、佐原に行ったとき、香取神宮のすぐ横の江戸時代の、あれは何でしょうか……茶店のあとかなんかだと思いますが、それを活用してサロンを作ろうということになった訳であります。堀内さんと私が発起人になって、佐原の町おこしの人達に呼びかけたら……ということで、今堀内さんがその可能性をサウンディング中であります。サロン香取、あれは実にムードがあっていい、・・・利根川の舟運を復活させようという動きもありますので、その拠点佐原に、川づくり、地域づくりのサロンが実現できるとホントにいいですね。
今泉さんという、これも私の仲間ですが、その方が進めておられる九州・地域づくりフォーラムの事務所も、一寸狭すぎるかもしれませんが、風呂があり、寝袋なら数人泊まれるので、十分サロンになるでしょう。………サロン博多というところでしょうか。広島の仲間、西林さんのところの、都市小屋「集」は、今のままでもう立派なサロンだと思っています。後はパソコンがあれば申し分なしです。
交流センター、田中さんのところの「YU]は、もともと、サロン都市小屋「集」として発展してきたものでありますから、サロンネットワークのいうなれば総本山みたいなものであります。広島の仲間、加藤新さんの網走の別荘地には、是非、ログハウスを作ってもらって、サロンにしてもらいたいと…………すでに加藤さんに話をしてあり、加藤さんもその気でおられるようです。大分の仲間、幸野さんたちがやっておられる、久住花公園も立派なサロンになりそうです。
川づくり、地域づくりのためのサロンネットワークは、ともかくスタートできそうです。決して非現実的な話ではないということです。趣旨に賛同する人が増え、全国にいっぱいサロンができ、川づくりや地域づくりに取り組んでおられる人達が、パソコン通信のオンラインミーティングだけでなく、……できるだけ旅をして、オフミをしてもらいたい。………それが私の願いであります。 久しぶりだよ、おふみさん・・・てなところです。
マルチメディア時代におけるサロンのモデルを提案したい・・という想いを持ちながら、とりあえずは、誠にささやかなものではありますが、この1月10日に、私の「サロン・れん」がオープンしました。東京は、九段にあります。「サロン・れん」の冷蔵庫は出し入れ自由。碁盤が3面、将棋盤が一面あります。パソコン通信の勉強ができ、インターネットで世界が覗けます。
後ほど述べますが、これからの川づくりや地域づくりにとって、交流とか連携というものが不可欠でありますので、それを補完する道具立てとして、パソコン通信が欠かせません。そこで、私たちの仲間でパソコン通信「川のフォーラム」を去る十一月二十二日に開設いたしました。
川づくりと地域、川づくりとリージョナルコンプレックス、川づくりとグランドワーク、川づくりとパソコン通信、川づくりとマルチメディアといった今日的な課題を研究するために、多摩川では、建設省京浜工事事務所のご協力を得ながら、ハイコミュニケーション研究会というものを作り、活動を開始しております。
私は、広島時代、地域づくりにおいてロマンを持とう、或いは我々の生き方においてもロマンを持とう-----、そんなことを言い続けながら、「交流活充運動」という運動を展開してきました。活充という言葉は、一寸耳慣れない言葉でありますが、経済的な側面での地域活性化と地域の人々の精神的な充実感、それらを同時に表す言葉であって、活性化の活と充実の充を合わせて作った新語であります。
すなわち、中国地方で今進められている交流活充運動の、活充という言葉には、従来ややもするとそれに偏りがちであった経済的な側面だけでなく、・・・・地域の伝統・文化に根ざしつつ、・・・精神的な心の充実感というものを追及したい、そういう願いが込められていおります。
私としては、広島時代のその運動を今も続けているつもりであり、サロンネットワークや川のフォーラムも、或いは多摩川のハイコミュニケーション研究会もいわばその一環である訳であります。
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2)、ロマンある地域づくり・・特に過疎地域を意識して・・
今申しました「交流活充運動」なるものが目指す「ロマンある地域づくり」とは、・・・その地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を振るわせるような気配りのされた、個性ある地域づくりということになろうかと思います。
そのようなロマンある地域づくりは、歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かでですね・・・・、しかも九頭竜川という立派な川があり、川や海や山のすばらしい自然のある・・・福井のような所こそ、その可能性が高いのではないでしょうか。私はそんな予感と期待を持ちながら、今日の話を進めて参りたいと思います。
これからの時代は、自然再認識の時代、共生の時代、あるいはコミュニケーションの時代、いろいろの言い方があるとは思いますが、私は、21世紀における世界のキーワードとして、自然、歴史・文化、コミュニケーション、この三つのキーワードを考えております。コミュニケーションと交流とでは少しニュアンスが違いますが、ほぼ同じような言葉でありますので、ここでは議論の展開上とりあえず自然、歴史・文化、交流の時代だと言っておきます。
過疎地域の活性化に当たっては、自然や歴史・文化など・・・地域の財産を活用し、さまざまな交流ないし連携を図り、・・<地域らしさ>というものを作っていく必要あります。そしてその際重要なことは、・・・地域の人々が共通の理念を持っているかどうか、地域に対し情報発信できているかどうか・・であります。そのことによって、人々は地域に誇りや愛着をもって生活することができるのであります。
私が思うには、過疎地域においてこそ、地域の自然的特性に応じ、人と自然が共生する地域社会をつくり出すことが可能ではないか、・・・その点をとりあえず強調しておきたい。
そして、自然を言うときに大事なことは、人と自然との共生とは、・・自然の猛威とも共生するということであり、ついでにその点も強調しておきたい。そういう自然との共生社会を目指してこそ、理想的な地域づくりと言えるということであります。
過疎地域において理想的な地域づくりを進めることは、とりもなおさず、世界のなかでの我が国のアイデンティティを確立することでもあります。自然、歴史・文化、交流という3つのキーワードの中で、特に、自然というキーワードが当面の重要課題であることを指摘しておきたいと思います。
自然再認識の時代において、やっと、過疎地域における地域活性化に新たな機会が訪れた。私はそのように考えています。
ドイツにおける「美しき我が村運動」のような国民運動を緊急に展開して、過疎地域の本格的な活性化を図らなければならないのではないでしょうか。
勿論、これからの国土づくりに当たっては、過疎地域や都市地域の如何にかかわらず、自然は重要である。自然は配慮ないし保護する対象としてのみでなく、回復し、創造する対象として、また、健全な姿で将来世代に引き継いで行くべき資産としてとらえていくことが求められております。つまり、地域の如何にかかわらず、こうした観点に立って、人の営みと自然の営みの新たな統合を目指すことが必要であるのであります。しかし、世界に誇れるような、理想的な自然との共生社会は、先程も述べましたが、私は、過疎地域においてこそ実現可能であり、国土政策の中でこのことはしっかりと認識されなければならないと考えておるのであります。
心の豊かさや生活のゆとり、或いはうるおいを求める方向で、国民の価値観が変化し、人々の自然への憧憬が高まるなかで、今も述べましたが、都市とは異なる、自然と歴史・文化に恵まれた生活空間や風景を有する農山漁村は、人間の活力の涵養や活動、居住の場として国民全体で守り支えていくべき、かけがえのない資産であると位置づけられるのではないでしょうか。
このような農山漁村の新たな位置付けを踏まえ、地域自らの選択に応じて自主性と創意・工夫を発揮し、従来の対策にとらわれない新たな視点で、都市との交流さらには諸外国との交流も念頭に置いた、農山漁村の魅力の向上と地域社会の変革に取り組む必要があると思います。
都市との交流、さらには諸外国との交流を目指した地域づくりにより、地域の発展に向けた新たな可能性が生まれ、全国に個性豊かな地域が展開される。交流をキーワードとする地域づくりは、自然のみならず歴史・文化を生かした地域づくりが前提であり、それを前提として新しい文化の創造を目指す地域づくりでもあります。
地域づくりについては、それぞれの地域の住民の選択と責任のもと、地域自らが主体的に取り組めるような体制づくりが、今、強く求められている。これはまず間違いのないところでありましょう。
地域づくりは人づくりとよく言われますが、地域づくりに取り組むサークルないし団体が生き生きしていなければならない。数名のサークルから大きな団体までいろんな組織があって、いきいきと独自の活動をしている。そして、それらの組織が何か・・ある共通のテーマで結ばれている、そういう地域社会はいきいきしている。坂本慶一先生は、リージョナルコンプレックスと呼んでおられますが、今後、わが国は、そういう地域社会の実現を目指さなければならないのであります。それが開かれた地域社会であり、共生、交流、連携をキーワードとする共生社会であります。
リージョナルコンプレックスを形成していくため、福祉その他各分野の施策が必要でありますが、国土政策においてもそのことが重視されなければならないのであって、地域における多くのサークルないし団体が何を共通のテーマにして交流、連携するのが適当なのか、今後、そういった議論が必要でありましょう。
現在は、本格的な高度情報化の時代の幕開け。先程も述べましたように、これからの地域づくりには交流、連携が不可欠でありますので、マルチメディアやパソコン通信を前提としたコミュニケーションシステムを地域に構築していく必要があります。そのことは、高度情報化を推し進めることにもなりますが、何よりもリージョナルコンプレックスの育成にとって極めて重要なことであります。
今後の国土政策の最大の課題は、過疎地域の活性化であります。人口はともかく、いきいきとした地域社会を作ることであります。共生、交流、連携をキーワードとした共生社会を作らなければなりません。そのためには、リージョナルコンプレックスを作らなければなりません。そして、そのためには、マルチメディアやパソコン通信が不可欠であります。
したがいまして、これからの国土政策の重要戦略は、如何にリージョナルコンプレックスの育成をしながら地域づくりを進めていくか、・・・・地域におけるパソコン通信をどう普及させていくか、そこになければならない。私は、そのように確信するのであります。
ドラゴンプロジェクトは、いうなれば、リージョナルコンプレックスを作っていくことと同じことでもありますので、・・・・もう少しリージョナルコンプレックスについて説明しておきたいと思います。
これからの国土政策は、ハード面については産業基盤というより生活基盤が中心になりますので、それをどのように作っていくのか、そういったソフト面を重視しなければならない。生活基盤というものは、大変幅が広く、中にはハード先行でソフトが後からついてくるというものもあるにはあるが、むしろ、ソフトが先行して、それを支援する形でハードが後からついて行くというほうが望ましいであろう。私は、そんな風に考えております。
町とか村というものは地域の住民が作り上げていくものであり、町づくり、村づくりは、地域の住民が主役であります。ソフトが重視されなけらばならない所以であります。ハード面を考えると同時にソフト面を考える、また、ソフト面を考えると同時にハード面を考えるということが肝要であります。リージョナルコンプレックスの育成というのは、言うまでもなくソフト面であります。広域根幹施設は別として、生活に身近な施設になればなるほど、ソフトの内容でハードの内容が違ってくるし、ハードの内容でソフトの内容が違ってくる。したがって、これからの国土政策は、リージョナルコンプレックスの育成ということを考えながら、そのために必要などのようなハードをどのように作っていくのか、その点が戦略として極めて重要であるということであります。
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3)歴史を生きる
世界的な歴史学者J・ホールという人がおります。J・ホールの「日本の歴史」という翻訳本が講談社からでておりますので、読まれた方もあると思いますが、 J・ホール はその本の中でこう言っております。一寸、長いけれど読んでみます。
「日本は、その近代以前の歴史を通じて、構造変化は、・・・緩慢に起こり、しかも、外部の圧力よりも、より多くの国内の諸力によってもたされた。そして、このことの結果として、一応は新しいものに置きかえられてしまった諸制度も、確かに放棄され、脇にやられはしても、完全に一掃されることは滅多にないという傾向が生まれた。このように連続性をもった諸要因が、日本文化史という織物の中で一貫して走っており、云々・・・・。」
こう言っております。そしてまた「日本の歴史は、・・・人の心にひびく、人の想像力をかきたてることができるような、内在的な特質をいくつか持っている。」このようにも言っております。
さらに J・ホールは、「日本は、深遠な価値のある教訓を歴史家に与える、云々・・。」とまで言っているのであります。つまり、世界の歴史家にとって、日本の歴史は、大いに学ぶべき点が多い、ということのようであります。
そこで、思うのでありますが、歴史家のみならず一般の外国人にも、日本の歴史の特質、日本文化の特質、日本人の特質というものを正しく理解してほしい。私はそのように考えております。そしてそのためにも、我々自身、先ほどから縷々述べて参りましたような、・・・歴史を生かした地域づくりを進めることが、もっとも重要である。そのように思うのであります。
中国・地域づくり交流会の「哲学のみち研究会」では、哲学者・中村雄二郎先生のお話をお聞きしたことがありましたが、その中村先生は、その著「哲学の現在」の中で、「歴史への人間の関心には本質的なものがあるようだ」と仰言っておられます。
そして、「私たちは、自分たちの生きている時代や社会をよりよく認識するために、また、込み入った問題、解決しにくい問題に対処していくためにも、自分たちの時代、自分たちの社会をできるだけ総体的に、できるだけ多角的に映し出す鏡が必要だ。・・・歴史とは、私たち人間にとって、まず何よりもそういう鏡ではないだろうか。」と仰言っておられます。
さらに先生は、哲学者としてこのようにも仰言っています。「私たちは身体をもつのではなく、身体を生きるのである。歴史についても、それと同じように、私たちは人間として歴史をもつのではなくて、歴史を生きるのである。すなわち、私たちにとって、身体とは皮膚で閉ざされた生理的身体だけでなくて、その活動範囲まで拡がっている。それと同じように、・・・私たち人間存在として自己と共同社会との絡み合いのなかで、瞬間、瞬間を生きながら、まさにそのことによって、・・・重層的な時間から成る、出来事としての歴史を生きる。・・・ということは、つまり、歴史とは、拡張された私たちの存在そのものだということである。そして、私は、人間として自分自身を知ることが必要であり、根源的な願望であるとすれば、・・・その欲求と願望はおのずと私たちの存在の拡張としての歴史に向けられるであろう。いいかえれば、私たちにとって歴史を知るということは、すぐれて自己を知るということなのである。ここに、私たち人間にとって、歴史を知ることの格別の意味があり、またそのために、私たちは歴史に強く惹かれるのといえるだろう。」
少々長くなりましたが、歴史というものを認識する上で、先生の考え方は誠に重要であると思いますので、紹介させていただいた次第であります。・・・私たちが共同社会を生きる以上、歴史を知るということは、本質的なものであるということであります。中村先生の哲学を基に、私は「歴史を生きる」という言い方をしているのでありますが、少し視点を変え、俗っぽく・・と謂うのは何ですが、・・・一般的にわかりやすくですね、・・・行政として歴史というものをどう取り扱うか。その点についても一寸触れておきたいと思います。
マズローの欲求五段階説によりますと、人間の欲求にはもっとも低次の生理的欲求から、もっとも高次の自己表現の欲求まで五段階の欲求がある。そして、低次の欲求がある程度満足されないうちは次の欲求が起きず、また逆に、低次の欲求をある程度充足している人は、必ずそれ以上の高次の欲求を求めて、然るべき行動を起こすと言うのであります。・・・こういったことは、成熟化社会に突入したわが国においては、国民のニーズに応えていくという意味で、国づくりや地域づくりの面でも、充分、意識されなければならないと思います。従来の施策を踏襲しているだけではいけないのであって、新たな施策というものが常に求められる所以であります。
今後、わが国は余暇時間の増大とともに、さまざまな余暇活動(利用)が活発化する、これは間違いのないところであります。話は変わりますが、吉野ガ理遺跡について、発掘調査当時、初めて一般公開されるやいなや爆発的な人気を呼びました。三ヶ月の間に百万人を越える人が見学に訪れたと言われていますが、発掘現場の見学としては、日本国内は勿論のこと、世界でも空前の驚くべき数だそうであります。吉野ガ理遺跡に対する発掘調査当時の、あの爆発的な関心の高まりというものは、国民がより高次な欲求を求めている証拠だと思います。歴史とか伝統・文化というものを求める国民の欲求は、今後、ますます強くなっていくに違いない。吉野ガ理遺跡のみならず、各地にある遺跡につきましても、単なる保存という枠組みを越えて、国民の欲求に充分応え得るよう、然るべき整備を図る必要があると思うのであります。
皆さん方市町村長さんのご理解と熱心な取り組みを期待しております。
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4)九頭竜川治水の歴史
さて、今日は、九頭竜川の治水百周年記念の行事でありますので、ここらで少し、わが国の河川と九頭竜川を対比しながら、治水の歴史を語っておきたいと思います。
我が国は、その気象条件に加え、地形的、地質的にも激甚な水害が起こりやすい。それ故、古来、我が国は絶えず水害の脅威を被っており、「水を治める者は国を治める」として、為政者は、水害の防除に努力してきました。
そうした治水に対する考え方と努力があって、初めて今日の発展があるのであり、為政者は勿論のこと国民はそのことを忘れてはならないと思います。
なるほど、治水事業はそれなりに進んできてはおりますが、土地利用はそれ以上に進んできておりますので、水害の脅威から解放されたと言うにはほど遠い状況にあります。したがいまして、古来から治水に対してなされてきた大変な努力を忘れることなく、引き続き治水事業に力を注がなければならないのであります。
(一)古代
日本書紀によりますと、仁徳天皇が都を難波の地に移されたとき、いたく難波の水害を心配され、大河川工事を行われたとあります。その工事は枚方付近の堤防補強と天満川の開削工事のことでありますが、そんなに古い時代からそんなに大規模な治水工事が行われていたのか・・・と感心せざるを得ませんね。
ところで、福井についてでありますが、古代、福井においても、縄文・弥生人は、九頭竜川本川、日野川、足羽川がもたらす恵みと豊かな風土の中で生活を営み、文化を育んでいたのであります。しかし、時には伝説からも伺い知ることができるように、<九頭竜(九頭の竜)>が福井平野を奔放に暴れ回り、稔り豊かな農作物のみならず、耕地や住家間でも押し流して、沿岸の住民を飢え苦しませていたようです。
こうしたことから、このような水魔<九頭竜>に対決したのが、三国の豪族、オホドの王子(継体天皇)であると言われておりますね。
「大和の国の時代に、福井平野は大湖沼であった。そして、この湖沼の周辺には人の営みはなく、広大な土地が水に侵されているのは悪竜が棲んでいるからだと信じられていた。オホドの王子は、この悪竜を足羽山頂より<かぶら矢>を水に向かって射たところ、満水の湖沼の水は矢に導かれるように海に向かって激しい勢いで引き始め、次第に陸地が現れてきた。」
こんな伝説が残されているようですありますが、私には大変興味があります。オホドの王子は、三国の河口を切り開いたとも伝えられているのは、皆さんも良くご存じのことであります。
(二)奈良・平安
続日本紀によりますと、淀川の下流が排水不良であったため、淀川の神崎川への分水工事が行われているし、鬼怒川の流路付け替え工事や天竜川の堤防修築工事なども行われております。
この時代、特に注目すべきは、平安遷都に関連し、京都の賀茂川などの大規模な付け替え工事が行われたことでありましょうか。
このほか、続日本記によりますと、七八八年和気清麻呂が淀川から大和川を分流させる工事を起こし、延べ人員二十数万人も費やしたにも拘わらず、成功を見ずして中止したと言われております。なお、この工事は約千年後元禄時代に完成します。
(三)鎌倉
吾妻鏡によりますと、荒川、利根川、木曽川、賀茂川など水害の激しい箇所において堤防の修築工事が行われる程度で、あまり大規模な工事は行われなかったようです。
(四)室町・安土・桃山
各大名とも、食糧増産のため或いはお城の築造に関連して、大いに河川工事を行ったようです。特に、武田信玄による富士川の改修、加藤清正による菊池川、白川、緑川の大改修が有名です。加藤清正の築造した乗越堤(越流堤)は、勿論我が国で初めてのものですが、ライン川やローヌ川のそれよりもはるかに古く、世界で初めてだそうです。又、武田信玄が実施したいわゆる信玄堤と御勅使(みだい)川の付け替え工事など一連の大規模工事は、その知恵に全く驚嘆せざるを得ません。さらに、武田信玄が案出した聖牛その他の水制工は、実に我が国特異の工法であり、四百数十年後の今日といえども、ほとんどこれが改良の余地無きものとされております。そのほか、家康も矢作川の大付け替え工事を行っています。
(五)江戸
江戸時代は、軍備の余力もあって河川の修築に力を注いだため、全国の大河川において、洪水防御のための工事や舟運のための工事が数多く行われましたが、ここでは時間の関係もこれあり、省略します。
なお、江戸時代末期からいわゆる近代治水が始まるまでの福井の状況を少し述べておきます。
江戸時代における九頭竜川の洪水に関する記録につきましては、二百五十年間に四十六回もの洪水が記録されていて、平均すると五〜六年に一回の割合で記録に残るような洪水に見舞われていたようです。
実際には三日も雨が降り続けば、大水を警戒する太鼓の音が辺り一面に響きわたり、庄屋から水人足の触れが回る。見る間に田畑は冠水して一面泥海と化し、やがて屋敷内にも水があがり、年に二、三回は床上三〜四尺(一メートル以上)の水がつく。そのため飯米や布団、衣類はツシ(屋根裏にある物置)に担ぎ上げる。田の冠水が数日にわたると、稲は鯰の髭のように見える。このようになると、秋になっても稲の丈は一尺少々と低く、収穫も極端に減る有様であった。
このような状態は、明治時代の三大河川改修まで続いたと伝えられております。
九頭竜川の河川改修は、幕末から明治初年にかけても当然続けられてきましたが、これらは勿論局部的な工事にとどまっていたため、両岸或いは上下流間の地域的な対立を度々引き起こしたようです。
明治二年、福井藩、新堤防の築造に着手。
明治四年、廃藩置県のため中止。
(六)近代治水
古来、治水について大変な努力がなされ、いくつかの特筆すべき河川工事があります。しかし、その川の骨格を形作る大規模な河川工事は、なんと言っても明治維新後であります。すなわち、・・・・・オランダ、イギリスなどの治水技術、機械技術など、いわゆる近代治水技術によって、そのような大規模河川工事が可能になったわけでありますが・・・・、当時の経済力(財政負担能力)もさることながら、日本人の知的水準の高さというか、先駆者たちの熱意と努力には大変な感動を覚えます。新しいものに挑戦する意欲というか使命感は、ホントに大変なものがありますね。
大規模な近代治水はそれぞれの河川で行われ、それぞれ歴史的な意義を有しております。
したがいまして、近代における五大河川を挙げるとなるとなかなか難しいのでありますが、敢えてこれを挙げてみます。
第一位・・利根川の東遷工事(*規模と*近代治水技術の確立)
第二位・・木曽川の三川分流工事 (規模と*劇的面白さ、歴史的意義)
第三位・・淀川放水路(新川開削)(規模と*歴史的意義、地域形成)
第四位・・筑後川の分水路工事(歴史的意義)
第五位・・信濃川の大河津分水 (*技術水準の高さと歴史的な面白さ)
注:*は全国ナンバーワン
明治新政府になり、その混沌とした中にあって、早くも明治元年十月には淀川の改修を目的とした「治河使」が設置され、そして明治三年には治水行政の考え方を規定した「治水策要領」なるものが策定されております。そして、翌年には、その考え方に基づき、治水に関する初めての法規として「治水方規」なるものを太政官宣達として作っているのであります。
明治新政府最初の治水工事は、明治元年、淀川において始められ、その後、低水工事 を中心として次々と直轄工事が展開されていきます。
しかし、明治初期における直轄の河川工事は、舟運を目的とするものであって、洪水防御を目的とするいわゆる高水工事は、地方に任されていたのであります。
福井に目を転じると、福井藩で明治二年に着手、明治四年に中断の余儀なくされた新堤防築造工事を、ようやく明治十二年、再開。政府のお抱え技師、エッセルが指導しております。
その前年、明治十一年、河口処理として三国港の突堤工事に着手。これも政府のお抱え技師、エッセルとデレーケが指導。四年後の明治十五年、その難工事を遂に完成。明治二十二年以降、再三にわたり県議会で九頭竜川の治水について論議がなされたようです。そして、調査を実施する傍ら修繕工事を行っておりますが、本格的な工事にはどうしても着手できなかったようであります。・・・この当時の政府の考え方としては、内務技師沖野忠雄の意見書にあるとおり、極めて慎重であったようです。沖野忠雄の意見書を紹介しておきます。「春江新堤を築くと、全川にわたって大きな影響を及ぼすことから、新堤の高さを制限して、洪水の時に流水を越流させることが重要である。又、九頭竜川本川上下流及び対岸の堤防を増築し、日野、足羽両川にも相当な予防工事を必要とする。」
明治二十三年、初めて帝国議会が開催されるや、毎年のように治水に関する建議案が提出されましたが、その都度政府は調査中で逃げていたようです。そうこうしているうちに、遂に、あの未曾有の大災害、明治二十八及び二十九年の大災害を被るのであります。
そして、福井が生んだ大政治家、杉田定一先生の絶大な尽力があり、河川法の制定が行われ、そして九頭竜川の近代治水がようやくにして始まるのであります。杉田定一先生は、九頭竜川の治水工事の必要性を関係者に説き、万難を排してこれを決行すべきことを力説し、政府要路に対しても、明治二十九年の新法、河川法を適用して、九頭竜川の治水工事を国家事業として施行されるよう働きかけられ、遂に、明治三十一年、他県に先きがけ、九頭竜川の本格的な治水工事が始まるのでございます。杉田定一先生の誠意と熱意が、関係者の心を動かしたからこそであり、九頭竜川にとって、杉田定一先生は忘れることのできない大恩人ということでありましょう。
政府において、明治二十八年、二十九年と相次ぐ未曾有の大災害が全国的に発生し、また幸いなことに日露戦争の終結ということもあったのでありますが、第九回帝国議会に提出されていた建議案(明治二十九年二月二十四日)が契機となって、河川法が急遽制定されたのであります。 河川法の制定については、明治二十九年三月十日上程、同年四月八日公布という超スピードで行われたのであって、誠に驚嘆すべきことではないかと思います。
「・・・全国ノ現状ヲ視レバ、改修工事ノ必要ヲ認ムルモノ決シテ少ナカラズ。就中、淀川、木曽川、筑後川三川改修ノ如キハ、急務中ノ急務ナリト確信ス。」
このような経緯から、淀川、木曽川に続き筑後川においても中央政府直轄の河川工事がスタートする。
その後、河川法にもとづき、
第二グループ・・利根川(明治三十三年度)、庄川 (明治三十三年度)、九頭竜川(明治三十三年度)第三グループ・・遠賀川(明治三十九年度)、信濃川(明治四十年 度)、吉野川(明治四十年度)、高梁川(明治四十年度)などにおいて、直轄工事として本格的な大規模河川工事がスタートする。
九頭竜川の直轄改修が、信濃川のそれに先立つこと七年、利根川と同じ時期に始まったというのは、繰り返しになりますが、杉田定一先生のなみなみならぬご尽力のお陰であることは言うまでもありません。
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5)九頭竜川を生きる
私は、最初に、サロンネットワークやパソコン通信「川のフォーラム」について触れ、川づくりや地域づくりに関する「交流活充運動」というものを紹介しました。その中で、「ロマンある地域づくり」というものの定義をしておきました。そして、自然、歴史・文化、交流という三つのキーワードを挙げました。さらに、これからの国土政策において、過疎地域の活性化が重要課題であり、リージョナルコンプレックスの育成が重要戦略として浮かび上がってこなければならないことを指摘しておきました。リージョナルコンプレックスの問題は、三つのキーワードでは交流ということになります。歴史・文化については、歴史に焦点を当て、その重要性を述べたつもりです。そして九頭竜川の治水の歴史を述べました。いよいよ結論を申し述べなければなりません。「九頭竜川を生きる」とは、どういうことなのか。
治水事業は、社会資本を整備する事業のなかでも、国民の生命と財産を守るもっとも根幹的なものであります。わが国は、欧米先進諸国に比べ河川の氾濫する地域に人口、資産が集中し、そこに社会経済活動の中心があることから、治水事業が地域づくりや国づくりの基本であることはいうまでもありません。
この重大な使命を果たすために、国土の利用状況、社会活動状況等に対応して、的確な施策の展開と事業の推進を図ることが求められる訳であります。
しかるに、これまでの営々たる治水事業の積み重ねにもかかわらず、治水施設の整備水準は依然として低く、国民は水害などの危険から逃れ得ないのが実情であります。したがいまして、わが国は、真に豊かさを実感でき、安全で活力ある生活大国の実現に向けて、
治水施設のさらなる充実を図らなければならないのであります。このことは言うまでもないことでありましょう。
同時に、水系環境は、地域の自然そのものでありますし、人々の生活文化や精神文化の形成に大きな役割を果たしてきており、自然への回帰志向、あるいは精神的なゆとりへの志向といった国民の意識変化を考えるますとき、生態系、風景、親水性等に配慮しつつ、うるおいのある美しい水系環境というものを創造することは、現下の緊急かつ重要な課題であると言わなければならないと思います。つまり、自然環境や文化を重視した治水事業の新たな展開が、今求められているように思われるのであります。水文化とか河川文化という言葉も最近はよく聞かれるようになりました。文化的な側面から、水とか河川を見直そうということであります。
かかる観点から、国際日本文化研究所の安田喜憲教授の提唱によりまして、ようやく、九頭竜川をモデルにドラゴンプロジェクトが始まったのであります。ドラゴンプロジェクトは、地域の活性化を図ろうとする21世紀に向けての新しい取り組みであって、全国的にみて勿論初めての試みであります。三全総において流域圏構想というものが打ち出されましたが、あれはいうなれば出すのが少し早すぎたのであって、今やっと流域圏構想の実現に向けて動き出せるような状況になったと思います。流域を中心として地域のあり方を論じ、水と地域のあり方を論じ、水の文化・河川の文化を論じ、流域における水管理のあり方を論じ、リージョナルコンプレックスの育成を図りつつ・・・地域レベルで実践的な取り組みをしようというのは、本格的なものとしては、このドラゴンプロジェクトが始めてであると思います。
また、ドラゴンプロジェクトのように、学際的なメンバーによって、地域のあり方を総合的に論ずるというのも全国で初めてのケースではなかろうかと思います。私は、21世紀のキーワードとして、自然、歴史・文化、交流の3つのキーワードを考えておりますが、川とか水を通して自然を考え、川や水を通して地域の歴史・文化を考え、川や水を通していろんな交流活動を実践していく、そういうねらいを持ったこのドラゴンプロジェクトは、全国的にみても大変意義深いものであるし、また地域にとってもこれからの地域活性化に大きなインパクトを与えるのではないかと思っています。私は、全力を挙げてこれを支援させていただく覚悟であります。
以上述べましたように、二一世紀のキーワードでもあり、又これからの地域活性化のキーワードでもある、自然、歴史・文化、交流という三つのキーワードを重要戦略として考えながら、・・九頭竜川水系の・・・川づくり、地域づくりを実践していこうとするもの、それがドラゴンプロジェクトであります。これは、とりもなおさず「九頭竜川を生きる」ことに他なりません。・・・・なぜドラゴンプロジェクトなのか、なぜ九頭竜川なのか。以上で、その答えを出しました。
次に、ドラゴンプロジェクトを進めていく場合の重要な視点、九頭竜川を生きていく場合の重要な視点というものについて、述べておきます。
米の自由化という問題に伴って、中山間地の問題が突如としてクローズアップされてきました。
中山間地の農業が今後どうなって行くのか、そして中山間地における農山村はどうなって行くのか、そういう深刻な問題があります。中山間地という言葉は、農業の立地条件からする地域区分であるかと思いますが、農林水産省を始めとして農業関係者の間では今真剣に中山間地の問題が議論されております。今後農林水産省が中心になって、中山間地の農業対策や農山村対策が講じられていくと思うので、ここでは中山間地という言葉を使いますが、実は、・・・中山間地の問題というのは・・・水源地域の問題・・ということでもあります。中山間地の農業が荒廃し、農山村が荒廃するという状況が進めば、結局は、農地が荒れ、山が荒れ、水源地域が荒廃することになる。・・ひいては河川が荒れて水害が頻発することになる。このことは明らかであろうかと存じます。河川管理者も決して無関心ではいられないのであります。
中山間地の問題は、水源地域の問題であり、過疎地域の問題でもあります。すなわち、中山間地の問題というものは、地域づくりと密接に関係しており、おそらく総合的に対応していかないと解決できないと思います。農林水産省だけの問題では勿論ないし、行政だけで解決できる問題でもないだろう。私は、森林組合や農協その他諸々のものを含めた民間レベルでの、上下流交流、都市と農山村との交流を進めながら、解決の糸口を見つけだしていかなければならないのではないかと考えているのであります。
そこで、交流をキーワードにした地域の活性化に関し、河川管理者のやるべきことはあるのかないのか。水資源開発を進める立場、ダムによって洪水調節を進める立場、発電水利など水利権を所管する立場、砂防事業を進める立場、地滑りやなだれ対策を進める立場、日常の河川水の水量や 水質を管理する立場などいろんな立場があるので、ソフト面が中心になるかも知れませnが、私は、今後やるべきことが多々あると思っているのであります。
その際、基本的に重要なことは、下流域の人々だけではなく、もっと広く国民的なレベルで、流域についての共通認識が必要だということではないか。そんな気がするのであります。
最近、水系環境とか水循環ということが言われるようになってきました。自然に対する国民的な関心の高まりの中で、いきおい河川や水に対する関心も高くなって来ております。そして、水というものを、山から海まで含めて考えるべきだという考え方が多くなってきております。さらに、川の水は小河川や農業用水などとも繋がって、流域全体で水の系というものが存在する。水量や水質を考える場合にも、また、自然生態系を考える場合にも、流域全体で考えることが肝要である。そんな考え方から水系環境という言葉がよく使われるようになった。そして、そういった水系環境の望ましい姿として、水循環ということが言われ出しました。水循環という言葉は、まだ水系環境という言葉ほどは定着していないようで、人によって若干イメージが異なっているかもしれないと思いますので、少し私の考えを述べておきます。
水循環が適性かつ健全に維持された状態とは、一つは、量に関して、基本的には自然の保水機能が十分あり土砂流出の悪影響もない状態であります。ただし、ダム等水利用施設のある場合は、適切な維持流量が確保されていなければなりません。その結果、・・・水量が豊か、洪水も急激には出ない、・・・また洪水時の土砂流出や流木が少ないという状況が作り出されていなければなりません。二つ目として、質に関して、汚水の流入もなく自然の浄化機能が維持された状態であります。その結果、・・・河川の水質はきれいであり、魚類等の生態系も豊かである。三つ目は、地下水や水路に関して、地下水涵養機能が維持され水路の水も豊かである状態であって、その結果、・・・湧水が保全され、身近な水路にも潤いのある水環境が形成されていなければなりません。
こんな状態は、おおよそ現実離れしていて、何を夢みたいなことを言っているのかということかもしれませんが、・・先程から再三述べてきましたように、・・・これからは自然再認識の時代でありますので、・・我が国が世界の中で我が国としてのアイデンティティを確立するためには、そのような生活環境を持つべく、必死の努力をして行かなければならないと思うのであります。多くの国民もそれを望んでいるのではないかと思います。
今、私は、そういう生活環境を回復すべく、いろいろと考えを巡らせているところであります。その際、当然河川管理者の責任は大きいのでありますが、大事なことは、・・・住民まで含めた多くの関係者の・・一致協力した動きが必要である・・ということであります。水量や水質の問題をですね・・水循環という視点に立って本格的に解決するとなると、それはもう流域全体の問題であり、住民まで含めた一大運動が展開できるのかどうかにかかっている訳です。・・基本的に、流域というものについての共通認識が必要である所以であります。
今述べましたように、九頭竜川水系を考えるとき、まずは流域というものについての共通認識が必要であり、その共通認識に基づいて、みんなで・・・水源地域としての中山間地のことを考え、水循環ということを考えなければなりません。
ドラゴンプロジェクトを実践するということ、そして「九頭竜川を生きる」ということは、・・・つとに中山間地のことを考え、水循環ということを考える・・ということでもあります。
私は、我が山小屋「荒川倶楽部」において、山を考え、川を考え、そして中山間地や水循環のことを考えていきたいと思っています。これからの川づくりは、さまざまな交流活動あるいは連携によって進められる。それが私の考えの核心部分であります。
謂うなれば、私は、梅原猛先生の言われる「循環と共生社会」の一つの姿を夢見ているわけでありますが、・・・・・私の予感としては、・・・・ドラゴンプロジェクトのような動きが、今後わが国の社会に広く定着していけば、・・・多分、そのことが梅原猛先生の言われる第三の文明というものをも作り出していくことになるであろう、そんな風にも感じているのであります。
みなさん、是非、ドラゴンプロジェクトを押し進めて下さい。是非、自然、文化、交流をキーワードとして、九頭竜川を生きていただきたい。九頭竜川の猛威とどう共生していくか、九頭竜川の恵みをどう享受していくか、そんなことを考えながら・・・九頭竜川を生きていただきたい。福井の歴史を我がものにして、九頭竜川を生きていただきたい。そして、さまざまな交流や連携を進めながら、・・・立派に九頭竜川を生きていただきたいと存じます。
私の切なる願いを申し上げ、話を終わります。
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