地域づくりの新たな可能性を求めて
日本は、戦後の工業化、都市化の過程をへて、人口の約八割が都市に住む都市型社会に変貌してきた。この裏面で、農村部は全体として過疎化、高齢化し、農村が本来的にもっている役割を低下させてきたかにみえる。このひずみが、現代社会の閉塞状態へとつながる。
農村をすてたローマが亡んだように、都市社会だけが長く繁栄することはない。日本社会の再建のためにも、農村がもつ食料の供給、国土の保全、環境の保持、文化の伝承、教育的機能といった他にかえがたい重要な役割を、もう一度評価していくことが必要である。
市町付合併によって農村を都市内の辺地につなぎとめることは、決して農村それ自体の発展を保障するものでないばかりか、農村の個性と発展の芽を摘みとることにもなりかねない。一律の市町村合併でなく、農村社会をのびのびと発展させる社会システムがもとめられている。
これからの社会像と農村社会への期待
日本は、成熟社会の段階をむかえ、歴史上はじめて人口が減少する段階をむかえようとしている。経済成長のみを追いもとめる「右肩上がり」の発想を転換し、社会の理念を、「成長」から「サステイナブル・ソサイティ」(持続可能な社会)へと切り変えることがたいせつである。
これからの時代は、福祉、医療、教育、文化などの社会サービスが重要になり、広域よりも狭域の社会で、日常生活が営まれるコミュニティに密着した人的サービスがより必要になる。自然的、社会的環境がよりよく保たれ、福祉・医療サービスの整った地域に人々があつまり、そこに活力ある経済活動がそだつ時代になるであろう。そのような質の高い地域が全国に分散し、一極集中型でない社会が築かれてこそ、現在の集権的経済のもろさを克服し、安心して暮らせる底割れのしない経済をつくることが可能となる。
21世紀は、(1)心の豊かさが求められる時代、(2)環境と健康が重視される時代、(3)農村社会が再評価される時代、(4)交流・連携と情報化の時代、そして(5)地方分権と住民自治の時代になるであろう。その兆候はすでにはじまっている。20世紀には、農村から都市にむかって、一方的な人口の大量流出がつづいた。しかし、今、その一方的な人口の流れに変化が出はじめている。不況やリストラといった景気変動に伴うIターン、Uターンだけでなく、自主的に農村定住を選択する若者や、定年帰農がふえている。心の豊かさを求める時代になり、環境と健康への志向が強まったことと関係している。人間らしさを回復する場として、農村社会が再評価されはじめているのである。
農村は、その立地条件と資源の有利さをいかして、資源循環型社会、環境保全型社会の先端的地域になることが可能である。そのためにも、農村の個性を見失うような市町村合併をできるだけせずに、地域社会が小規模であることの有利さをいかし、顔の見える行政を築くことが望まれる。
分権型地域経済・社会システムヘの組み替え
これまでの経済は、成長と効率をキーワードに一極集中型の経済システムをつくった。その土台の上に小泉内閣の「構造改革」は、弱者を排除し、強い「競争社会」をつくろうとした。そのために、信金・信組の破綻、企業の倒産、従業員のリストラ(解雇)が拡大し、日本経済が沈みはじめている。一極集中型経済のもろさといってよいであろう。
この危機を救う有効な処方箋の一つが、地域からの分権型経済・社会システムへの組み替えである。どの地域も第二、第三の“小布施”や“馬路”をめざすことが重要である。そのためには、次の三つの取り組みが必要である。
第一に、自分たちの地域は自分たちで立て直すという自前の発展努力である。馬路村の今日を築いたのは、村の農協を中心にしたこの努力である。
まず地域の将来像(グランド・デザイン)を地域住民が共有し、将来像の実現にむけて地域の協同の力を発揮することである。多くの農村がもっていた複合経営、複合収入の強さを、今日の条件に合わせて再興することが重要である。小布施町の「六次産業センター」は、生産、加工、流通・販売を一貫しておこなう、一種の複合経営である。愛媛県内子町の直販店「からり」は、農家の野菜生産と販売をむすんで年商三億円以上をあげている。
農村では、公共事業頼みからの早期脱却が欠かせない。不況だからこそ公共事業よりも雇用効果が大きい福祉・医療などに投資を移し、地域内に新しい雇用・就業の場を開発することも有効である。島根県岩見(いわみ)町では、福祉・医療で約300人が働いている。弱者にやさしい地域社会づくりが経済効果をもたらし、それが日本経済の基礎体力の強化となる。
第二に、都市と農村の連携をつよめ、これを地域づくりに活かすことである。
交流は、都市の市民が農村に対する理解を深める上で重要な意義をもつ。市町村合併の推進におけるような、統治対象としてしか位置づけない農村観があるなかでは、正しい農村理解を広げる交流の意義はとくに大きいといってよい。
都市との交流・連携は、対等でなければ長つづきしない。交流には、姉妹都市交流、山村留学、産直、文化交流など、目的もレベルもさまざまある。交流自体にも意義があるが、交流を自己目的化せずに、人、物、情報の交流を地域づくりに活かす戦略的発想も必要である。その方向は「六次産業」化であり、日本型農村滞在リゾートの堆進であろう。
第三に、地域における「共同」部分の再建である。
地域における「共同」部分の問題がある。地縁的な農村共同体の重要な要素として、「公」と「私」の間に「共」(共同)が存在していた。
かつては、農業生産から福祉にいたるまで「共」のおよぶ範囲は広かったが、農作業の機械化や金肥の普及、兼業(常勤)化などによって、実体として希薄化している。村祭りも消えたところがある。合併による広域化は、「共」をますます弱める作用を持つのではないかと思われる。
それは農村としての特性を失うことを意味する。
しかし、これからの協働社会、ボランティア社会、地域の自治機能を考えると、農村共同体から薄れていった「共」の今日的な再建問題は重要な課題である。
市町村合併に代わる、地方自治の強化
市町村合併の理念や目的が「効率」や「行財政基盤の強化」に偏っている現在、今後の自治体建設および運営には、平和、基本的人権、住民福祉、環境保全、分権と住民自治が重視されるべきことをのべておくことは必要であろう。
また、市町村の組織のあり方としては、「意志決定と執行を住民の身近におく」ことが望ましい。それは、主権者である住民の参加を促し、住民参加の便宜をはかるためである。
地方自治の強化に役立つ組織の境界については、池上洋通著『市町村合併これだけの疑問』(自治体研究社)が整理しているように、地方自治法が「市町村の配置分合」であるから、合併だけでなく「小さすぎたら大きくし、大きすぎたら小さく」したらよいという意見には同感である。
ただし、地方自治を強化するためには、境界の変更以外に、境界をさわらずに市町村の内部で、適切な規模で地域ごとに「内部分権」をする方法も考えられる。これは、現在の比較的大きな都市や昭和の大合併で地理的範囲がかなり広くなっている町ではとくに必要であろう。
長野県塩尻市では一九八〇年代に、集落(地区)単位、住民参加で「集落計画」(集落の長期計画)をつくり、住民自らができることは実践し、市役所は集落活動に対応できるシステムをつくつていた。これも「内部分権」の一つである。このころの塩尻市は、実によい成果をあげていた。
行政の組織は、そのような「内部分権」を徹底しつつ、必要に応じて広域的な一部事務組合や広域連合をくみ、あるいは市町村間で水平的「協力」をするなど、実態に合わせて多様に展開することができよう。その場合、市町村は、広域・狭域双方の行政のなかで、いわばコーディネータの役割を果たせばよい。もちろん、その市町村自体はしっかりと存在している。総務省は、一部事務組合の欠陥をあげつらって、総合行政組織しか認めないかのようにいうが、情報公開を十分おこない、「内部分権」によって住民参加がすすむことを考えれば、問題を克服しながら一部事務組合などによる広域行政を実施することは可能であろう。