堀川の想い出


 私は、小学校5年生になるときに、安井小学校から梅屋小学校に転
校した。
 梅屋小学校は丸太町は府庁前にある。家は、堀川(厳密には東堀川
丸太町を少し下がった所にあった。その後、中学校は滋野、高校は朱
雀、そして大学は京都大学であるから、大学院を終了し建設省に入る
まで、大半は堀川丸太町の家で育ったことになる。


 家の 前は、3〜4メートルの道路を隔ててその向こうが例のチン
チン電車、我が国で最初に走ったとされる堀川のチンチン電車が走っ
ていた。その向こうが堀川であるから、家から堀川まで10メートル
もない。正に、私の家は掘川沿いにあったのであり、私は
毎日堀川を見て育ったのだ。


 私の小中学校時代は、終戦後のとにかく物のない時代であったので、
雨の後堀川を流れてくる野球のボールは、大変貴重な天からの贈り物
であった。柄の長い網を持って、川の縁から或いは橋の上から流れて
くるボールを手際よく掬ったものだ。よほど嬉しかったものらしく、
そのことは今も鮮明に覚えている。


 堀川の水は下水道の整備とともにしだいしだいに少なくなって来て、
今ではすっかり涸れてしまった。川底もコンクリートが張ってある。
いわゆる三面張の川になってしまったのだ。勿論、当時は、水も豊
かで三面張ではなかった。
 川としての機能が全くなくなってしまったので、下水道として蓋を
されても仕方のないことかもしれないが、私としてはちょっと寂しい。





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Iwai-Kuniomi