巫蠱(ふこ)の術

 

蠱(こ)は三つの虫が皿の上に乗っている。そういう漢字だが、実際には、蛇(へび)、がまがえる、むかで、おたまじゃくし、蛆虫(うじむし)、とかげ、蜘蛛(くも)、バッタ、蚕(かいこ)、虱(しらみ)などの虫やは虫類を指している。したがって、巫蠱(ふこ)の術

とは、本来、虫やは虫類を自由にあやつるという自由に使いこなす術をいうのだが、広く解釈して、魚や鳥、犬やネコ、羊(ひつじ)などの小動物をあやつる術をいう場合も少なくない。

 

この巫蠱(ふこ)の術は道教における呪術(じゅじゅつ)である。道教の呪術(じゅじゅつ)には・・・・まあいろんなものがあるのだが、・・・・呪術(じゅじゅつ)に限らず、・・・・道教の影響は我が国のいろんなところに及んでいる。

映画「陰陽師」の中でも出てくるが、円仁を通じて我が国に伝えられた「泰山府君」は陰陽道によって全国に広がっていったが、もともとは道教の神である。陰陽道(おんみょうどう)は道教が我が国独自の発達をしたものである。ということで・・・・、もちろん、陰陽道(おんみょうどう)のルーツは道教である。

 

道教は仏教の伝来とともに我が国に伝えられたとされているが、私は、道教は仏教の伝来よりももっと古い時代に我が国に入って来ているのではないかと考えている。徐福(じょふく)伝説が示すように、中国から直接黒潮に乗って我が国に来た人もいたし、朝鮮半島経由で渡来した人もいた。古来、私たちの想像異常に多くの人たちが中国から我が国に渡ってきたと思う。しかし、本格的な伝来はやはり仏教の伝来と一緒ではなかったかと思う。

陰陽道の元祖は賀茂氏だが、その賀茂一族のルーツというか本願地は葛城である。葛城は、広くは蘇我一族や聖徳太子一族など百済系の本拠地で・・・・・、いうなれば仏教伝来のふるさとみたいなところである。葛城といえば「役の行者」だが、役の行者は賀茂一族だと考えられているし、役の行者は道教に通じていたとの説が有力である。

私の考えでは、役の行者は、道教を下地にして、それを仏教化したのではないかと思う。道教の仏教化、すなわち修験道である。仏教化しないで・・・・神道と結びつきながら純粋に発達したのが陰陽道(おんみょうどう)で、これは、・・・・妖しき故をもって・・・・、すなわち極めて危険なる故に・・・・・、律令制度の中で、陰陽寮が設置され、もっぱら宮中専属とされたのではないか。こんなものが市中に出回ってはたまらない。

 

そして、空海や円仁によって密教が我が国に伝えられてくると、次第に・・・・密教が陰陽道(おんみょうどう)と対抗できるようになっていき、宮中においても密教が陰陽道(おんみょうどう)と並立するようになっていったのではないかと思う。今私が申しているのは宮中のことである。それまでの仏教では、陰陽道を超えることは叶わなかったのではないか。私はそんなふうに見ているが、その真偽はともかく、平安時代は宮中において陰陽道(おんみょうどう)が隆盛を誇っていたことは間違いない。藤原道真などは常に多くの陰陽師(おんみょうじ)を従えていたといわれている。

その後武家社会になっては、当然陰陽道の宮中での重みは薄らいでいく。そして、宮中での立場が崩れるに連れて陰陽道の市中での普及が強くなっていく。これは当然の帰結であろう。我が国の文化における道教なり陰陽道なりの影響は大変大きい。道教や陰陽道を語らずして我が国の文化を語ることはできない。

私が今ここでいろいろと語っている・・・・そのホームページ「桃源雲情」は地域の理想郷として・・・・・「桃源境」を意識してのことである。「桃源境」は道教の思想と深く結びついて生まれた人類の夢である。道教の最大の功績は「桃源境」を生み出したことではないか・・・・私はそんな思いを持っていて、道教に対する憧れが強い。それにしても中国は唐の時代の宗教弾圧は凄いものがったようだ。道教を重視するにしてもここまで排他的になったのではやはりおかしい。

 

いずれにしろ、巫蠱(ふこ)の術をはじめ、道教の呪術を熟知しないと・・・・宮中のことは理解しにくいかも知れない。卜筮(ぼくぜい)や風水ももちろん道教の呪術である。


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