いかみの怨霊

 

 

 

平安時代は、歴史的に、もっと も平和な時代である同時に怨霊その他の魑魅魍魎がうごめくもっともおぞましい時代でもあった。

 

最近は誠におぞましい事件があとを立たないが、それらおぞましい事件の中でも親が子供を殺す、子供が 親を殺すという事件ほどおぞましい事件はない。母親の気持ちとしては、自分は殺されてもいい、子供だけは何とか助けて欲しい・・・というのが当たり 前・・・。それが、事もあろうに、自分も殺され、最愛の子供も殺される。しかも・・・・自分が信頼していた夫に・・・である。怨めしい。夫が怨めしい。こ れが怨みをはらさいでか・・・。

 

 

 

いかみの怨霊はそういう・・・夫を怨む母親の怨霊である。何を隠そう、その母親こそ・・・、い かみ(井上)内親王、光仁天皇の皇后である。聖武天皇の娘である。場合によれば天皇 になってもおかしくないお方である。地位の高いお方の怨霊は凄まじい。いかみの怨霊はどんなに恐ろしいことか・・・・・。こんな恐ろしい怨霊が今までの歴 史にあったであろうか。

 

愛する妻と子供を殺すのも・・・新しい時代を切り拓くため。それが・・・政治における権力闘争という ものか・・・・? でも酷い! 酷すぎる! 光仁天皇はものすごく悩まれたに違いない。 ものすごく苦しまれたに違いない。

註:奈良時代から平安時代に切り替わる頃の・・・ものすごい権力闘争についてはここをクリックして下さい!

 

宇治の三室戸寺は・・・・そういう光仁天皇の勅願によって建てられた。実際に建立を指揮されたのは大安寺の行表である。

その頃最澄は未だ少年である。最澄は、新羅系の一族であり、志賀の里に生まれ育った。志賀漢人(しが のあやひと)とである。志賀の国分寺は、石山寺のすぐ北にあり、最澄は若い頃そこで学んだ。師は大安寺の行表である。

 

行表が志賀漢人(しがのあやひと)とであったかどうかはわからない。行表は奈良の大安寺か ら志賀の国分寺に派遣されていたらしい。いうまでもなく奈良と志賀を結ぶ中継点が宇治である。行表と宇治とは切っても切れない関係にある。そんなことか ら、行表は光仁天皇から勅願寺の建立を命ぜられたのかもしれない。しかし、私は、それ以上に・・・、行表と光仁天皇の関係は深いものがあると感じている。 私の直感としては、行表が志賀漢人(しがのあやひと)であったかどうかは別として、志賀漢人(しがのあやひと)のネットワークと深い関係があったと思って いる。その志賀漢人(しがのあやひと)のネットワークが光仁天皇の誕生を助けたのではないかと思っている。

註:行表が志賀漢人(しがのあやひと)であったかどうかは別として、志賀漢人 (しがのあやひと)のネットワークと深い関係があったと・・・私が直感するのは、まったく理由がない訳ではない。もちろん学術的な根拠があるというもので はなく、状況証拠が積み重なっての・・・直感であるが・・・。ここをクリックして下さい!

 

そのような事情から・・・・・、最澄は、奈良の大安寺で得度受戒したのである。大安寺は、東大寺華厳 講師の養成機関として、当時、まさに華厳教学の中心であった。東大寺を支える奈良仏教の最高権威であったのである。いうまでもなく、藤原の菩提寺は興福寺 であり、東大寺とは切っても切れない関係にある。全国の国分寺の頂点に東大寺があるから、志賀漢人(しがのあやひと)のネットワークとはまた別に、藤原を 含むそのネットワークが光仁天皇の誕生を助けたのではないか。志賀漢人(しがのあやひと)のネットワーク及び東大寺のネットワークに行表や最澄がいる。だ とすれば・・・・・、最澄は、後日とことになるが、当然、光仁天皇の勅願寺・三室戸寺を支えなければならない。事実、三室戸寺は、空海の修験と張り合 う・・・天台宗の修験道場になったのである。

 

通常、怨霊を鎮めるのは神社である。崇道天皇(すどうてんのう)の怨霊には崇道神社(すどうじん じゃ)、淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の怨霊には白峯神社、菅原道真の怨霊には北野天満宮などがある。御霊神社というものもある。しかし、法隆寺がそうであるように、寺が鎮魂 の役割をもって建立される例も少なくなく、おそらく鎌倉の大仏もそうであろう。宇治の三室戸寺は、余り知られていないが、いかみ内親王と他戸(おさべ)親王の怨霊を鎮めるための鎮魂の寺であ る。

 

 

浮舟の碑はその三室戸寺にある。現在の 三室戸寺は、「花の寺」と して観光客も多く、本 来の姿をなくしているのだが、本来の三室戸寺は修験の寺、鎮魂の寺である。まあ、いうなれば、神と悪魔、聖と俗、恐怖と崇拝、虚と実が分かちがたくまとわ りついている・・・・修験の世界である。宇治はこのように魔と呪の系譜に連なっている。極楽浄土である同時に地獄である。平等院の極楽浄土を見ると同時に その向こうにある地獄を是非見なければならない。