意見封事

いけんふうじ

 

律令制下で,政治上の意見を徴する詔に応じて,官人たちが封進した奏状。古代中国では《漢書》宣帝紀に〈群臣をして封事を奏するを得せしめ,以て下情を知る〉と初めて見える。

日本では唐令を基にして作られた大宝令(701成立)の中に,意見を述べようとする者は,密封して上進せよ,その意見は少納言から天皇に奏聞するが,公正を期するために開封してはならない,と明文化されている。

その具体的な規定は平安中期の《新儀式》《西宮記》等に詳しく見える。すなわち,まず天皇から宮廷の官人や地方の国司らに対して意見徴召の詔書が発せられると,人々は一定期間内に〈時政の宜,国家の利害〉に関する明確な意見を示し,密封して太政官に提出する。少納言(のち弁官)がそれを奏聞すると,天皇は表紙の封進者名を切り棄て,主題ごとに分類してから朝議に付託する。そこで公たちが〈封事定〉と〈御前定〉を行い,逐条審議の末に採択と決した意見は,関係官司に頒下して施行する,という手順になっていた。

その実例は奈良時代から平安中期までの記録に二十数例残っている。たとえば,759年(天平宝字3)には,中納言,参議,少僧都,播磨大掾らの封進した律令制刷新策が採用頒行されており,また823年,公に限って徴された意見は,翌年(天長1)良吏賢才登庸策六箇条が採択施行されている。さらに,914年(延喜14)三善清行の奉った《意見十二箇条》と957年(天徳1)菅原文時の奉った《封事三箇条》(《本朝文粋》等所収)は,延喜・天暦時代の名文としても著名。ただし前者には具体的な問題点と対応策が明示されているのに対して,後者は抽象的,懐古的な叙述に終わっている。やがて平安中期以降は,意見の徴召自体がほとんど行われなくなった。なお,室町後期には幕吏が将軍の諮問に応じて〈意見状〉を作った。

                           所 功

 

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