
上述したように、大磯の高麗(こま)山麓には、明治三十年まで高麗(こま)神社といわれていた高来(たかく)神社がある。その夏祭りの「祝歌」に高麗王若光集団一行上陸のようすをうかがうことができる。
「そもそも権現丸の由来をことごとく尋ねれば、応神天皇の十六代の御時より、にわかに海上騒がしく、浦のものども怪しみて、はるかに沖を見てみれば、唐(もろこし)の船急ぎ八の帆を上げ、大磯の方へ棹をとり、走り寄るよと見るうちに程なく浜に船はつき、浦の漁船漕ぎ寄せて、かの船の中よりも、翁一人立ち居でて、櫓に上り声をあげ、汝らこれにてよく聞け、われは日本の者にあらず、もろこしの高麗国(こまこく)の守護なるが、じゃけんの国を逃れ来て、大日本に志し、汝ら帰依する者なれば、大磯浦の守護となり、子孫繁昌と守るべし。あらありがたやと拝すれば、やがて漁船の船に乗り移り、上(のぼ)らせ給(たま)う。御代(みよ)より権現さまを乗せ奉(たてまつ)りし船なれば、権現丸とはこれをいうなれよ。ソウリャヤンヤイヤン。」
もちろん、これは後世になって作られたものであり、粉飾されているし、間違いもあるだろう。しかし、大磯の高来(たかく)神社にはいまなおこういう「祝歌」が行われている・・・このことは大変意味のあることである。