いわき大国魂神社

 

 

 

御神体「ごもっともさま」

 

 

 いわき大国魂神社は、

夏井川の下流左岸の平地を見下ろす高台にある。

 

もともとは「かがいの祭り」が行なわれた神社。

その名残りが御神体「ごもっともさま」である。

 

御神体「ごもっともさま」は、

全国いたるところにあるが、

有名なのは、尾張の田県(たがた)神社のそれではなかろうか。

 

秩父は三峯神社の「ごもっとさま」は

極めて格調が高く、もっとも古い形態を残している。

誠に愉快な祭りだ。

ごもっとも。ごもっとも。

節分の時に「ごもっともさま」神事が行なわれるが、

男性のシンボル「ごもっともさま」は擂粉木で、

女性のシンボル「ごもっともさま」はマメを入れた升である。

ごもっとも。ごもっとも。

マメはクリトリス。

ごもっとも。ごもっとも。

「豆の神話学」・・・ごもっとも。ごもっとも。

 

「福は内、鬼は外」が二度繰り返されると、

「ごもっともさまぁー!」を掛け声が合の手のように入り、

一同大拍手。

祭りは一気に盛り上がります。

ごもっとも。ごもっとも。

 

「かがいの祭り」はいずれ「筑波と徳一」というページで述べることになると思うが、とりあえず、「杵島ぶり」を書いたホームページを紹介しておこう。

 

いわき大国魂神社は、いわき平菅波の平野を見下ろす高台にある。

 

 

向かって右側の御神木裏に・・・

かのありがた〜い「ごもっともさま」御鎮座されている。

せいぜいさすって子宝に恵まれよう。

ごもっとも。ごもっとも。

階段を登る。

もうすぐだ。

 

やっと着いた!

 

 

静で良い神社ですね。

古代の信仰は「かがい」に想いを馳せ、しばらく時を楽しむ。

 

それでは、甲山古墳に参ろうか。

 

田んぼの中をゆく][もうすぐだ!][甲山古墳

 

 

それでは、いわき大國魂神社[オホクニタマ]の由緒を書いたホームページを紹介しておこう。

 

当社は、いわき市平菅波に鎮座しており、大己貴命、事代主命、少彦名命をお祀りし ている。

養老2(718)年、朝廷は石城国を置きました。現在の浜通り地方全体が一国とな りました。石城国の中心地域は、いわき市の豊間、高久、夏井であったのです。この 地域はそれ以前から文化が栄え、中田横穴、八幡横穴、天冠男子像埴輪、夏井廃寺塔 跡、根岸遺跡、そして、当社飛地境内の甲塚古墳などが知られています。古代の人々 は、美わしい国土に宿る霊力を国魂神として讃え、お祭りしていました。石城国造建 許呂命(いわきのくにのみやつこたけころおのみこと)の一族によって、奉斎された のが大國魂神社であります。

甲塚はこの国造の墳丘であるといわれます。石城国はやがて陸奥国に編入され、この 地域は岩城郡に属することになりました。醍醐天皇の御代に撰修された延喜式神名帳 には、岩城郡七座として、大國魂、二俣、温泉、佐麻久嶺、住吉、鹿嶋、子鍬倉の各 神社名を記しております(927年)。岩城郡の郡司が奉斎する神社として、大國魂 神社は、崇敬されていたのです。

鎌倉時代になると、地頭岩城氏の一族国魂氏(国魂村地頭)が祭祀権を掌握し、さら に南北朝時代には、神主山名氏が、平窪、矢野目、国魂三村を領有し、「大國魂大明 神祭礼以下神役勤仕」したことがわかります。室町時代には、領主岩城氏によって社 殿の大造営が行われ、江戸時代には平藩主による修復が重ねられました。当時、神主 、下社家、巫女あわせて二十数人が奉仕していたといわれます。幕末の元治2(18 65)年には朝廷より「勅宣正一位」の神階を授かりました。明治12(1879) 年、郷社に加列し、大正12(1923)年に県社に加列されました。

 

主な社宝として、次のものが伝えられております。

国魂文書一巻(県指定重要文化財)

国魂石室記一軸

石室出土品鬼角、管玉

神輿二基(平藩主内藤家、安藤家寄進)

勅宣正一位大國魂大明神一幅、関係文書

内藤政栄公(俳号露沾)献詠和歌、俳諧

神社明細帳一冊(宝暦6年)

豊間浜関係文書二通(天明5年)

棟札、木簡二十八枚

福島県いわき市平菅波字宮前54

 


 それでは、次は草野心平です。

縄文の心、「いわき」の心、それが草野心平!

宮沢賢治の大恩人、草野心平!

ここをクリックして下さい!