水を生かした町づくりフォーラム

 

 

11月25日、出雲で「水を生かした町づくりフォーラム」

というシンポジュームがありました。

 

澄田知事さんのすばらしい基調講演のあと、

出雲市長の西尾さんと「斐伊川クラブ」の松井さんと私の三人が

パネルディスカッションを行ないました。

 

 

以下は、そのパネルディスカッションの要旨です。

 

司会――この地域の水資源を大切にした生活を、ディスカッションを通じて考えていきたいと思います。まず岩井参議院議員からお願いします。

岩井 水環境に対する市民運動がさかんになったのは東京オリンピック(一九六四年)のあとの「国民皆運動」の動きから。運動場をつくりたくても東京には場所がない。いきおい多摩川の河川敷を利用して運動公園づくりが計画された。それに対して「せっかくのすばらしい河川敷を残せ」・・・・って多摩川の自然保護運動が始まったのです。それが日本における自然保護運動の発祥といわれている。

 私は当時、建設省でこの運動に対応していたが大変に困った。そのころはまだ建設省は頭が硬かった。・・・・昨今は随分変わったと思いますよ。河川行政ほど変わったものはないと言われています。・・・・ですが、私から言わせればまだまだ・・・・だ。

 これから二十一世紀は「感性の時代」といわれている。人間らしい生き方をしようじゃないかと・・・・。哲学者の中村雄二郎さんが「知のトポス」と言っていますが、自然と響きあえる場所、宇宙と響きあえる場所・・・・そういう場所を街の中に作っていなければいけない。

 

司会――たとえば治水でも、堤を築いて「これで安全」という段階から一歩進めるということを提案いただいたと思います。斐伊川放水路計画という大きな事業を抱えているまちの市長さんとして、水をどんなふうに活用していきたいと考えていますか。

西尾 斐伊川ほどの清流が流れているのは本州の中では少ない。これを十分に活用しているかというと、いささか反省すべき点がある。

 小さな河川では出雲市駅の南側を走っていた赤川。百五十本の桜を植えたが、あれを吉野千本桜のようにすれば素晴らしい景観ができるわけです。もう一つは神西湖。これを治水、利水という観点から活用しようという動きが始まった。

 まちの真ん中を走る高瀬川を観光用水として活用する方法も考えたい。

 斐伊川治水事業では、真ん中の放水路事業が一番進んでいる。単に事業をやるだけではなく、親水、交流の広場をつくることが私たちに課せられた責務である。

司会――斐伊川というところに着眼して、斐伊川を愛していこうという活動を進めておられる人たちがいます。その事務局長をしている人が松井さんです。松井さん、斐伊川くらぶの活動を紹介してください。

松井 斐伊川くらぶは上流から下流まで流域全体が地域づくりに取り組もうという動きです。ことの起こりは十六年間勤めた県職員だった。企画調整課というところにいたわけですが、そこで斐伊川の上下流の連携ということで調査をしました。関係課で作ったプロジェクトチームで流域を歩き、その中で関心を持つ民間の人たちと会合を持ちました。

 県庁各課の人たちは仕事でやっていたのですから、発言も少ない。そのときに県職員に失望しました。民間の人たちはすごい熱心だった。地に足のついた活動の展開には非常に重要だった。

 松江市に住んでいる人間は、水がどこから来るのか考えるチャンスが欠乏している。私は上流の方々と会うことによって、水を飲むたびにダム移転者の人の顔が浮かぶようになった。

司会――私たちはあまりにも水が身近にありすぎて、水の大切さを我々も忘れていると思います。外国に行って感じるのはまず水の問題。外国と日本の水に対する考え方の違いを、外国生活が長かった西尾さんからいただきたい。

西尾 私が滞在していたのはアメリカですが、治水事業は徹底していました。カリフォルニア州の年間降雨量は少ないのですが、ロッキー山脈からパイプラインをひいて、都市住民を養っていました。アメリカは電力と治水について二十世紀前半に先行投資して万全な態勢を整えている。

 日本におけるこれからの大型治水事業の採択は、財政難の中なかなか難しくなってくるのではないだろうか。積極果敢な政策をお願いしたい。

 

司会――治水行政について国は今、どんなことを考えているのでしょうか。

岩井 行政改革の流れの中で、地域住民がやれるものはできるだけ地域でやるという流れがでてきた。・・・・・地域でできるものは地域でやる。地域でできないものを都道府県が、都道府県ができないものを国がやる・・・・そういう風にパラダイムの転換をしなければならない。

 従前の自然保護運動には、反対運動の形をとるものが多かった。さきほど話しました多摩川の例を挙げると、今ではすっかり反対運動から脱皮して、行政と連携するように変わりました。

 基本的には生活者がどうしたいのかということがなければ、二十一世紀の・・・・「水を生かした町づくり」というのはできない。

司会――松井さんのNPO法人としての活動は、地域の反応や理解はどうなのでしょうか。

松井 NPOという言葉自体をまだよく理解してもらっていない。私たちの事務所は当初木次町に会ったのですが、松江市に移しまして、白潟本町の商店街の一角の空き店舗に大家さんのご理解のもと格安で入りました。塩があったので、あいさつまわりで近所に配ったのですが、けげんに思われて受け取ってもらえなかったところがあった。でもしばらく時間が経つと、「斐伊川くらぶというところは良いところらしい」という話になった。

 知ってもらうためには日常的に活動を続けるということが大切で、事務局を持つことで広がりも出てくる。とにかく、まずやること、スタートすることです。

司会――最後に、出雲はこんなふうにしたら良い地域になるんじゃないかというアイデアを各パネラーからどうぞ。

松井 例を紹介したいと思います。尾原ダムでも建設省の人と一緒に山でドングリを集めて、険しい山道にまいていった。ドングリの森ということでやっています。

 このほかに使い終わった食用油を畑に捨てている家庭は多いのですが、なかなか分解されずに流れ出てしまうこともあるのです。これをせっけんなどにする運動は従来からあるのですが、廃油を車の燃料にしていこうという運動があります。水を汚さない日常生活からの活動が必要ではないでしょうか。

西尾 上津の道路をリバーパークウェーとして四車線にして、川を眺めることができるようにする。北山山系を日本海を眺めることができるようにパークウェーにする。そうすると素晴らしい景観が現れる。「水に親しむまちいずも」を提唱していきたい。斐伊川だけでなく、神戸川でも大花火大会を始める。

 

岩井 まちづくりも行政、企業、住民の三位一体で進めるべき。二十一世紀は自然との響きあい、宇宙との響きあいの時代だ。その空間をどうまちの中で作っていくのか。水と緑のネットワークを具体的にどう作っていくのか検討すると同時に、できるところから少しずつやっていくべき。そのためには行政と一緒になってやっていく住民団体が必要。町づくり型NPOができるとよいと思います。

 

司会――今日は三者三様のご意見をいただきました。これからこの地域のまちづくりにおおいに役立てていきたいと思います。ありがとうございました。

 

Iwai-Kuniomi