人類はるかなる旅

 

 

 中沢新一の言う「東北」つまり「環太平洋の環」という概念とそこから展開される哲学は実におもしろい。おもしろいなどと言ってはいけないのかも知 れない。すごいのだ。世界的スケールで東北地方の伝説や民話が理解できる。環太平洋の仲間たちよ、手を携えてやっていこう・・・という感じだ。その感じは 中沢新一の著書「熊から王へ(2002年6月、集英社)」からの抜粋「熊の主題をめぐる変奏曲」で 十分おわかりいただけるであろう。

 ここではその補強として、NHKスペシャルの「日本人はるかなる旅1、マンモスハンター、シベリアからの旅立ち(2001年8月、日本放送出版協 会)」にもとづいて、日本人の起源について説明しておきたい。最新の研究成果である。

 

 人類学の領域では、かって世界の三大人種を、ネグロイド、コーカソイド、そしてモンゴロイドと呼んできたが、今日ではそれぞれ主な居住地域から、 「アフリカ人」、「ヨーロッパ人」、「アジア人」という呼び名で分類している。「アフリカ人」は、ホモ・サピエンス誕生以来ずっと故郷の地に暮らし続ける 肌の黒い人々。「ヨーロッパ人」はアフリカを旅立ったのち、東に向かったわれわれの祖先たちと別れ、欧州に住み着いた人々を指す。そして、太陽の昇る方向 を目指して長いたびを続けた集団が「アジア人」である。

 ここで注意しなければならないのは、「アジア人」とアジア人とは違うということである。「アジア人」は、中沢新一の言う「東北」つまり「環太平洋 の環」に対応した概念であり、アジアの人々という意味ではない。先に述べたように、「東北」、「環太平洋の環」とは、日本の東北地方から北海道、サハリン 島、アムール川流域から東シベリアにかけての地帯、さらにはアリューシャン列島から北米大陸の「北西海岸部」と呼ばれている地帯まで広がる、広い領域を含 んでいる。この「アジア人」の仲間のうち、もっとも長い旅路を歩いたのは、南米大陸の南端まで到達したアメリカ先住民の一派である。彼らはシベリアから ベーリング海峡を越え、アラスカを抜けて北米大陸を南下、さらに南米大陸を一気に下って、かってマゼランが「火の国」と名付けた最南端のフェゴ諸島まで、 実に5万キロもの移動を成し遂げた。その末裔はオナ族、ヤーガン族という狩猟民族であり、19世紀、ダーウィンの航海記録にも顔を出している。しかし、そ の後ヨーロッパからの侵略という不幸に見舞われ、21世紀の今、ほとんど姿を消してしまった。

 ともにアフリカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたのは、遺伝学の分析によると今から5万年前から6万年前頃の ことである。

 

「ヨーロッパ人」と別れ東に向かった一団は、大きく二つのルートに分かれる。故郷アフリカの温暖な気候を求めつつ進んだ「南回廊」と、極寒のシベリ ア平原を進んだ「北回廊」である。南回廊は西アジアから南アジア、インドネシアを経由しつつ、中国南部から朝鮮半島を抜け対馬海峡を越えるか、柳田国男の 唱えた「海上の道」、つまり琉球諸島を北上するルートをたどる。北回廊はシベリアを越え、サハリンから北海道へといたるか、モンゴル、中国北部を経由しな がら朝鮮半島を通って到達する道をイメージしていただきたい。

 二つ別々の道を歩んだわれわれの祖先たちは、それぞれ旅の途中で人類史上に燦然と輝く偉大な記録を残している。北回廊を歩んだ人々は、温暖地方で しか生きられなかった人類にとって始めての「寒冷地克服」という快挙を成し遂げ、そして南回廊にコマを進めた人々は、陸地しか移動できなかったヒトが、初 めて海を渡るのに成功するという「海洋適応」を果たしたのである。この二つの偉業をともに成し遂げたのが、いわゆるモンゴロイド、つまり私たちアジア人の 祖先たちである。そして先ほども言ったように、その私たちアジア人の祖先たちのうち、一部がベーリング海峡を渡ってアメリカ先住民の一派となったのであ る。アメリカ先住民の一派なども広い意味の「アジア人」つまりモンゴロイドである。

 

 最先端の遺伝学によれば、北京原人やジャワ原人などのいわゆる原人は、150万年前になってはじめて生誕の地アフリカを離れて世界に拡散したが、 それらの末裔はいつしか遠い昔に絶滅してしまった。現代人の直接の祖先は、20万年前に、やはりアフリカで誕生したホモサピエンス(新人)である。世界各 地の考古学上の成果から、ホモサピエンスは10万年余りもアフリカを離れなかったことがわかっている。彼らがアフリカを離れてはるかなる旅を最初に始める のは10万年前頃である。アフリカを離れたホモサピエンスの一団はまずはヨーロッパに定着する。約5万年前のことである。それがクロマニヨン人といわれる 「ヨーロッパ人」の祖先である。そして、それら「ヨーロッパ人」と別れさらに東に向かった一団は、先に述べたように、「南回廊」と「北回廊」に別れて旅を 続けるのであるが、オーストラリアに到着するのが約4万年前、シベリアに到着するのが約3万年前といわれている。それらの分派が当然日本にもきた。つまり 「海上の道」も当然あったのであるが、中沢新一の言う「環太平洋の環」と「東北」というのは「北回廊」のことである。だからここでは「北回廊」に焦点を当 てておきたい。

 

 マンモスは、氷河期を代表する哺乳類である。身の丈3.5メートル。見た目には恐ろしげだがふだんはおとなしい草食の動物である。当時の人はこれ を好んで食べたと考えられている。鼻や足の先、頭の肉が特に好まれたようだ。脂からは燃料、毛皮からは衣服の生地、骨からは道具の材料と、捨てるところが ない。当時は、動物の中でもっとも貴重な獲物だったようだ。計算によると、メスのマンモス一頭から得られる肉の寮は1.8トン、一頭を仕留めれば10人の 集団がゆうに半年間食いつなぐことができたという。

 このマンモスが棲息した唯一の場所が、氷河期のシベリアからヨーロッパにかけての地域であった。氷河期にも比較的温かい時期がある。そういう時期 には、この地域にオープン・ウッドランドというマンモスなどの大型動物の成育にもっとも適した植生帯が広がっていたのである。人類がシベリアに進出した理 由はここにあるようである。約2万年ほどを中心に数千年間は、氷河期の中でももっとも寒い時期であり、シベリアの多くは不毛の大地と化した。この気候変動 の追われるようにマンモスは南へ南へ移動を始める。それを追って人類の大移動が始まる。その一部が日本列島にやってきた。そう考えられている。その大移動 は、ベーリング海峡を越え、先にも述べたように、アラスカを抜けて北米大陸を南下、さらに南米大陸を一気に下って、かってマゼランが「火の国」と名付けた 最南端のフェゴ諸島まで、実に5万キロもの大移動であったのである。


それでは北米における

「東北」の呼び声に

耳を傾けてよう!!