淳仁天皇 733‐765(天平5‐天平神護1)

じゅんにんてんのう

 

第47代に数えられる天皇。在位758‐764年。天武天皇の皇子舎人(とねり)親王の第7子。母は当麻山背。諱(いみな)は大炊(おおい)王。

 

立太子以前に藤原仲麻呂の長子真従(まより)の未亡人粟田諸姉(あわたのもろあね)を妻とし,仲麻呂の邸宅である田村第に住んでいた。この関係から,仲麻呂は彼の立太子と即位を望んだ。

時の皇太子は聖武太上天皇の遺詔によって立太子した道祖(ふなど)王(新田部親王の子)であったが,757年(天平宝字1)3月に廃され,翌4月に大炊王が立太子した。さらに,同年7月の橘奈良麻呂の変によって藤原仲麻呂が権力を確立したあと,758年8月,即位した。

 

762年5月,道鏡の問題を契機に,淳仁天皇と孝謙太上天皇との関係は決裂し,後者が国家の大事と賞罰に関する権限を掌握し,淳仁天皇は常祀と小事に関する権限のみを行うにすぎなくなった。これは仲麻呂政権にとって大きな打撃であった。

 

764年8月の藤原仲麻呂の没落後,天皇の地位を追われて淡路国の一院に幽閉された。これにより淡路廃帝,淡路公などと称された。765年10月,幽憤にたえず逃走を試みたが捕らえられ,翌日死亡した。時に33歳であった。陵は淡路陵(兵庫県三原郡南淡町賀集字岡ノ前)。     栄原 永遠男

 

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