将門(まさかど)岩

 

 平将門(たいらのまさかど)は、平安朝中期の人で、

鎮守府将軍・良持(よしもち)または良将(よしまさ)のの子供とされている。

将門は、天慶(てんぎょう)の乱で有名だが、

京都では、

比叡山は四明岳(しめいがだけ)の頂上にある岩の上より都を見おろして

天下制覇の野望を起こしたと伝えられている。

 

そして、

京都の人々はその岩を将門(まさかど)岩と呼んでいる。

 

 

 そのあと、天慶(てんぎょう)2年(西暦939年)に、将門は王朝の転覆を謀り反乱を起こす。これとあたかも呼応するかの如くして、西国で藤原純 友(すみとも)の反乱が勃発し、都人(みやこびと)を震撼せしめた。

 

 将門が実際にこの将門岩の上より京都を見おろして天下制覇の野望を起こしたのかどうかは判らない。しかし、都人(みやこびと)の意識としては、将 門の生き霊が比叡の頂き・四明岳(しめいがだけ)に漂っているように思われたのであろう。災いは鬼門の方向からやってくる。都人(みやこびと)は毎日比叡 の頂きを眺めては恐れおののいていたのではなかろうか。

 

 八坂の塔と一条戻り橋で有名な・・・かの「浄蔵」が、朝廷 から命ぜられて、比叡山は延暦寺で、大威徳法(だいいとくほう)という祈祷を行っている。将門の生き霊は四明岳(しめいがだけ)の将門岩に押し込められ、 将門の勢いは急速に衰えていく。

 

 翌年、遂に、将門は、下総の国に追討されて首を切られ、四条河原で梟首(きゅうしゅ)にされる。梟首とはさらし首のことだが、早馬でもってきても 腐敗がすすんで・・・きっとすさまじい顔であったに違いない。そしてその首がこともあろうに、天空に駆け上がり、暫くは将門岩の上空に漂ったのち、憤怒の 形相のまま、関東の地を目指して飛んでいったとされている。その落ちたところが大手町である。

 

 神田明神では将門の霊をお祭してあるけれど、いろいろ不吉な話があって、将門の怨霊は鎮まったとは言いがたいようだ。首塚には熱心な信者のお参りや奉仕が絶えないが、なんせビルの谷間の狭苦 しい空間である。狭いながらも清清しい聖地で私の特に好きなところであるが、将門は必ずしも誠に窮屈で気持ちがはれないのではなかろうか。ビルを壊す訳に はいかないので、お祭りを少しでも数多くやるしかないが、お祭りの数がちょっと少ないようだ。首塚に礼を失しないようにし、きちっと霊をお祭していかない といけないのではないか。事実、今も怨霊の祟りがあるようである。

おそろしや、おそろしや!

 

 

 京都は、

四条河原に梟首(きゅうしゅ)される前に、

将門の首は、

いっとき四条烏丸付近で留め置かれたようで、

 

 

そこでは今なおずっと念仏供養が行われている。

空也念仏である。

そのお陰で、京都では、・・・将門の怨霊は鎮まっている。

 

東京でも空也念仏を加えた方がいいのではないか。

 


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将門岩にはケーブルで行く!  是非御覧下さい!

将門の首塚は東京の大手町・・是非お立ち寄りを!