草野心平「蛙のうた」

 

 

[ 聾のるりる ][ たまごたちのゐる風景 

[ 河童と蛙 ][ 青イ花 ][ 秋の夜の会話 

 

 

 

 

■聾のるりる

 

あたくしはさいぜんから月を見てをります。もうどの位みてゐていたのか。すこし位置がちがったやうにも思はれますがよくは分かりません。あたくしのわきですかんぽも黙ってをります。ひるまとかん違ひしてゐるのでせうか。ああまた水すましがきました。月のおもてにローマ字を描いてをります。さうしてまたくらい水の方へ消えてゆきました。

あたくしは想い出します。くらびすとかいふカンタセリアの坊(せんせい)さんが話されたことでしたが。大昔。月はひどい疱瘡を患ったさうですが。御自分でそれを治されたのださうで御座います。けれどもそれからは冷たくでこぼこになり僅かに天を支配する大きな精神であんなに光ってゐるのだといふことでした。

すかんぽさん。夢みることはいけないでせうか。眠ってみる夢ではなく眼をあいて見る夢です。あたくしたちの幸福を夢みることはいけないでせうか。あたくしがこの耳で雨の音などを聞くことが出来ました頃。お母さんはあたしたちの先祖のお話をしてくだすったことがあります。それはまだこの世に雪のないずっと遠くのことなんですけれど。あたくしはそのお話を半分ほどもきかないうちにもう泪がでてなりませんでした。でも御覧。こんなにあたしたちは立派なのです。楽しく歌ひ。自然は泪も出しきれないほど美しく。ねえほら。みんな泳いだり浮んだり。さ。ね。お前も歌ふんだよ。るるっていって御覧。さうさう。もう少しづつけてるるるっていって御覧。そんな風にしてあたくしは歌をおぼえました。すかんぽさん。ずゐぶんおしゃべりをしました。御免なさい。でもあたくしの憶えた最初の歌をきいて下さるでせうか。

 

ひるまの風は。

どこいった。

どこいった。

みんな木の中。

ねてゐます。

うごく光は。

ほたるさん。

動かないのは。

おほしさん。

 

あたくしはたいへんこの歌が好きでしたが。ガビラといふあたくしのきゃうだいの男のこはつまらないといっていつも火事のやうな歌をうたってゐました。ほうれ見ろやい星が流れていらあ。ある夜ガビラに言はれるままに空を見ますと。空はただまっ青でした。かつぐもん……とあたくしが言ひかけましたとき。あたくしは叫んでしまひました。その時のおどろきはいまもなほ憶えてをります。それから分かったことですが。星がたくさん降る夜はいつもより空気が青く深いことです。ガビラがみんなを説きまはり動かないのは……を。天からすべる。おほしさん。になほすことになりましたのもその時からで御座いました。そのガビラもいまはもう好きな稲妻も見ることはありません。去年の七月のまぶしい雨上がりヤマカガシに喰はれて死んでしまひました。

すかんぽさん。ずゐぶんしづかな夜ですね。あなたはなにを考えてゐられるのでせう。あなたのいい匂ひのなかで遠い記憶の音楽がたのしいさざなみのやうにあたくしのどこかでしてをります。生きてゐますことはこんなに切なくうれしいものですのに。あたくしの丈夫なきゃうだいたちのいくにんかはもうこの世界にはをりません。みんな無残な死にかたでした。でもあたくしのお母さんは喧嘩や自殺で死ぬのではなく殺されて死ぬのは立派なことだと教へてくださいました。

水すましはもう眠ってしまったのかしら。あなたのきれいなまんまるのなかに浮かんだまま朝のばら色の天をまちたいのですけれど。お月さま。あたくしはここにをります。大きな恋愛のやうな気持で御座います。

 

 

 

■たまごたちのゐる風景 

 

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れるともなくみづは流れ。かはづらを。ああ雲がうごく。

 

雪があった。そしていまは斑雪(はだれ)もない。ゆるんだ空気の中に櫟が一本しんとたってる。藍と白とのするどい縞とほい山脈(やまなみ)は嶮しかった。いまはもう遥かにぼうっとかすんでゐる。羊雲がうごくともなく動いてゐる。

 

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れるともなくみづは流れ。かはづらを。ああ雲がうごく。

 

田ん圃の土手の食パン色の枯草には。生ぶ毛をはやした新芽の青もかほを見せ。春の魁けいぬのふぐりは小さいコバルトの花をひらいた。そのコバルトのさかづきに天の光をみたしてゐる。

 

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れるともなくみづは流れ。かはづらを。ああ雲がうごく。

 

 

 

■河童と蛙

 

るんるん るるんぶ

るるんぶ るるん

つんつん つるんぶ

つるんぶ つるん

 

河童の皿を月すべり。

じゃぶじゃぶ水をじゃぶつかせ。

かほだけ出して。

踊ってる。

 

るんるん るるんぶ

るるんぶ るるん

つんつん つるんぶ

つるんぶ つるん

 

大河童沼のぐるりの山は。

ぐるりの山は息をのみ。

あしだの手だのふりまはし。

月もじゃぼじゃぼ沸いてゐる。

 

るんるん るるんぶ

るるんぶ るるん

つんつん つるんぶ

つるんぶ つるん

 

立った。立った。水の上。

河童がいきなりぶるるっとたち。

天のあたりをねめまはし。

それから。そのまま。

 

るんるん るるんぶ

るるんぶ るるん

つんつん つるんぶ

つるんぶ つるん

 

もうその唄もきこえない。

沼の底から泡がいくつかあがってきた。

兎と杵の休火山などもはっきり映し。

月だけひとり。

動かない。

 

ぐぶうと一と声。

蛙がないた。

 

 

 

■青イ花

 

トテモキレイナ花。

イッパイデス。

イイニホヒ。イッパイ。

オモイクラヒ。

オ母サン。

ボク。

カヘリマセン。

沼ノ水口ノ。

アスコノオモダカノネモトカラ。

ボク。トンダラ。

ヘビノ眼ヒカッタ。

ボクソレカラ。

忘レチャッタ。

オ母サン。

サヨナラ。

大キナ青イ花モエテマス。

 

 

 

 

 

■秋の夜の会話

 

さむいね。

ああさむいね。

虫がないてるね。

ああ虫がないてるね。

もうすぐ土の中だね。

土の中はいやだね。

痩せたね。

君もずゐぶん痩せたね。

どこがこんなに切ないんだらうね。

腹だらうかね。

腹とったら死ぬだらうね。

死にたかあないね。

さむいね。

ああ虫がないてるね。