結婚の条件

 

 

 かぐや姫が5人の貴公子に示した5つの条件の内・・・誰かが・・・どれかを満足すれば、結婚できる。そうでない場合は、「族内婚」のためかぐや姫は遠い自国に帰らなければならない。「族外婚」というのはむつかしく、なかなかうまくいかないものだなあ。竹取物語が語る神話的要素は、そのことを教えているのかもしれない。私の勝手な想像である。4つの条件は親族の応援がないと達成できないのかもしれないが、「燕の持つ子安貝」は、本人の持つ「愛の力」があればそれを得ることができる。結婚というものは、外的条件もさることながら、やはり一番大事なのは本人の持つ「愛の力」であるということであろうか。竹取物語が語る神話的要素は、そのことを教えているのではないかと思ってみたりしているが、神話について勝手な解釈は慎まなければなるまい。

 なお、ちなみに、「竹取物語」は男のあるべき姿を語っているように見え、女のあるべき姿はシンデレラの物語がそれを語っているように見えるのだが、どうであろうか。今私は、「環太平洋の環」における神話を問題にしている。私たちのよく知っているシンデレラではなくて、アメリカインディアンの神話に注目することとしたい。

 

 それでは、中沢新一の「人類最古の哲学、カイエ・ソバージュ氈i2002年2月、講談社)からアメリカインディアンの神話を紹介することとしたい。まずはここをクリックして「見えない人」の話を読んでください!

 

 如何でしたでしょうか。

 

 それでは、最後に、「人類最古の哲学、カイエ・ソバージュ氈i2002年2月、講談社)で述べられている中沢新一の解説を紹介して結婚哲学に関する一連の話を終わりたいと思いますが、中沢新一は、神話に関連して極めて重要なことを述べていますので、次回はその点に触れておきたいと思います。それでは、「見えない人」についての中沢新一の解説です。

 

 『 ここにはインディアンの結婚哲学が表明されていますが、その哲学はヨーロッパ版シンデレラにあらわれているそれとは、異質な考え方です。人類的な分布をするシンデレラ神話は、総力をあげて宇宙の重層的諸レベル間に仲介機能を発見しようとするもので、結末のハッピーエンドにしても、そうした仲介の一形態にすぎないものだったはずです。それがヨーロッパの民話に変形されると、ほかの仲介機能を、ただひたすらに社会的仲介機能である結婚のハッピーエンドになだれ込んでいこうとする傾向が、あらわれるようになってしまいました。そのために、神話の全編が「外見的なものへの欲望」によって汚されてしまっている、とインディアンは考えたのではないでしょうか。

 このお話の最後で、「見えない人」にみいだされたこの少女が、霊性高い妹の手によって、火傷の傷を消してもらい、ちりちりの髪も美しく梳(くしけず)ってもらって、みたこともないような美しい女性になったとあるのを見て、「何だ、やっぱり<見えない人>だってきれいな女の人のほうがいいんじゃない」と言ってひがんでいる人がいるかもしれませんから、ひとこと最後に言い添えておきますが、ここでいわれている<美しさ>は星や野の花や動物のような美しさのことであって、人間のお化粧やおしゃれがつくりだせるものでもなく、こういう自然な美しさは誰の中にも潜んでいるものなのだから、みなさんもどうかご安心ください。 』

 


次は、「神話と現実」という問題を考えます。

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Iwai-Kuniomi