国際社会の一体性回復は可能か

 

 

 3月26日の日経新聞で、京都大学の中西寛教授は、日本は国際社会の一体性回復を主導していかなければならないと主張している。北朝鮮の軍事的脅威に対処するためには、国際社会の一体性回復という課題が死活的に重要だということらしい。そうかもしれない。私も、できることならそうあって欲しいと思うのだが、わが国にそういう外交がはたしてできるのか。あの傲慢なアメリカの力の政治をある程度セーブしながら、北朝鮮問題の平和的解決ができるかどうか。まことに心配なことである。でもやらなければならないのかもしれない。アメリカからは、わが国に核武装を強いられるかもしれない。勿論そういった無理難題は拒否しなければならない。アメリカと北朝鮮との武力衝突を回避できるか。私達日本の試練がまもなくやってくる。

 

 国際秩序を考えるうえで、アメリカの圧倒的な軍事力が基本的に重要であるが、もうひとつ忘れてならないのは、国際協調の政治的枠組みである。今回のイラク戦争の問題は、その政治的枠組みをはずれて、アメリカの圧倒的な軍事力だけが前面に出てきたことに対する世界の危機感である。先に述べたように、国連は世界秩序を維持していく能力を失っている。アジアとアフリカ諸国に牛耳られているからだ。国連の態度が軟弱であるために、イラクの脅威が増大していったのであろうし、911テロの後、アメリカが痺れを切らしたとしても非難されるべきは国連ではなかろうか。私の考えでは、世界平和のために必要な国際協調の政治的枠組みは、今回のイラク戦争で崩れたのではなくて、もうとっくの昔に崩れてしまっていたのだ。勿論、そういった失われた国連の権威を取り戻すことは必要で、そのためにわが国は何をしなければならないのかということだ。私は、常任理事国でもないわが国が国連や国際社会の中でできることはまあ知れていると思うのだが、中西寛はそうは考えていないようだ。

 

 『 強国による軍事力行使は反発を招く。文化的、歴史的に多様で複雑な社会が圧制除去により平和で安定した社会になるという考えは控えめにいっても楽観的すぎる。 』・・・・まったく同感だ!

 

 『 小泉政権が国際秩序における軍事力定義づけという本質問題に踏み込まず、また、最終的にもっぱら国益と「日米同盟」を選択の理由としたことは、国際政治の基本問題について正面から発言する意志ないし能力をもたず、また、行動原理として自己利益しか持たないかのように受け取られかねない態度であった。

 もちろん国益は国家の行動原理して基本的なものである。しかし国際政治に責任をもつ主要国は、むき出しの国益追及の場を越えて何らかの秩序をもたらそうとする存在である。 』

 

 『 将来の国際秩序にとっては米国の指導性と他国の政治的抑制とがうまく組み合わされる状態が望ましいし、その実現は不可能ではない。なぜならそれが国際社会のグローバルな一体性と文化的多様性を尊重した地域秩序を両立させるもっとも確実な方法と思われるからである。 』

 

 中西寛のいうとおりかもしれない。そのとおりかもしれないが、むつかしい。前から何度も言っているように、アメリカの力の政策は、アメリカの国民性にかかわる問題であり、時間をかけて是正していく必要がある。テロ対策という当面の緊急課題があろうがなかろうが、今後、世界のリーダーはアメリカであり、日本はアメリカと組んで世界平和に貢献しなければならない。アメリカと反目しあって碌なことはないと思う。かといってアメリカの言うがままにやればいいといっているのでもない。前に述べたように、アメリカには、当然、言うべきは言っていかなければならないが、アメリカに対する発言力を発揮するためには、アメリカとの同盟をより強固なものにしていく必要がある。そのためには、国民レベルのコミュニケーションが重要であり、文化交流が重要である。日本の中にも親米派を増やしていかなければならないし、アメリカの中にも親日派を増やしていかなければならないのである。そういう地道な運動でしかアメリカは変わらないと思う。だから、地道な運動こそ重要なのである。過激な反米運動はダメだ! 親米派とのネットワークによって、アメリカはダイバーシティー国家(サラダボウル国家)に変っていかなければならないのだし、また私たちも、親日派とのネットワークによって、アメリカをそれほど野蛮でない国に変えていかなければならないのである。

 ただし、中西寛が言うようにしたたかな外交は必要である。イラクの戦後処理に関して中西寛が言っていることをお聞き願いたい。

 

 『 日本としては戦争の早期終結を掲げ、あくまでも今回の戦争目標がフセイン政権打倒に限定されていることを強調し、イラク国民ないしイスラム社会を敵視していないことを示していくことが重要である。

 さらに、イラクの戦後復興についても、米国に政治的責任を負わせるとともに、武力行使に反対に回った諸国やイスラム諸国などの関与が可能にする枠組みが作られることが望ましい。そうした枠組みを構築するために日本は一定の資金や援助、人員を負担する必要があるだろうから、法的、財政的準備をしておかなければならないが、対外的にはコミットメント(公約)を明言せず、カードを持っておくことが賢明だろう。 』

中西寛が言うように、準備はしながらカードはなかなか切らないというしたたかな外交が今求められる。今の政府に果たしてそれがやれるか。それが問題だ。それが問題だが是非ともやってもらいたい。私もしたたかな外交を政府に訴えていきたい。

 

 もう一つ深刻な問題がある。上述したように、今後果たしてアメリカと北朝鮮との武力衝突を回避できるかという問題だ。私達日本の試練がまもなくやってくる。北朝鮮問題は核問題の解決が大前提である。金政権の打倒なくして、核問題の解決ができるのか? 誰にも先を見通せないのかもしれないが、ともかくアメリカの圧力をベースとして、揺さぶりをかけていく必要があろう。経済援助はやりながら、毅然たる態度で交渉に臨む必要がある。アメリカの武力行使は最後の最後であろう。まあ、この程度のことは誰でもわかっていると思うのだが、やはり、私は、アメリカの傲慢さを思うとき、日韓米の三国協調関係を作り上げていくことは至難の業であろう。でもやらねばなるまい。問題は方法であって、いよいよ試練のときが近づいている。この点についてもしたたかな外交を政府に訴えていかなければなるまい。

 

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Iwai-Kuniomi