鎌倉大仏

 

 

 

火に焼けず 雨にも朽ちぬ 鎌倉の

はだか仏は 常仏かも

 

 

 

 

先の句は正岡子規でありますが、

もう一つ与謝野晶子の句を紹介しておきましょう。

 

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は

美男におわす 夏木立かな

 

 

この大仏像は阿弥陀仏であります。

 

源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局(いなだのつぼね)が発願し、

僧浄光(じょうこう)が勧進して(資金集めして)創ったと言われています。

 

はじめは木造で1238年に着工し6年間で完成したが、

その3年後に台風で倒れたので、

再び勧進して、

1252年に現在の青銅の像がつくられた。

大仏殿に安置されていたという。

 

大仏殿は、何度か台風で倒壊その都度復旧されたが、

1498年の高潮で流出、以来そのままにされて、現在の露出の仏像となった。

もちろん必要に応じ修理が行なわれて現在に至っているものである。

 

 

 

 

それにしてもでかいですね。

 

時の権力の関与なしに

こんなものが果たして

民間の勧進だけで創られるものでしょうか。

 

それが私の第一の疑問でありますが、

もっとも基本的な疑問は、

そもそもですね、・・・・・

奈良の大仏にも匹敵する・・・・・

何故このようにばかでかい阿弥陀仏がつくられたのでしょうか。

何故?

 

このへんの疑問を考える前にすこし境内を散策してみましょう。

大仏像の後ろから前を見ると、写真のように、前方に甘縄神社の杜が見えます。

立派な杜(もり)です。 

このような杜(もり)をいっぱいつくりたいですね!

 

大仏像の後ろの広場には観月堂などがあり、

とても良い雰囲気の知的空間(知のトポス)ですから、

鎌倉へお出かけの際には是非お立ち寄り下さい。

 

茶店の御主人が甘縄神社の氏子総代だそうですので、

甘縄神社のお祭りのことなどを聞くとよいでしょう。

 

この観月堂は、

韓国季朝の時代(1392〜1910年)に季王朝の宮廷内に建てられたもので、

いろいろと紆余曲折の末、今ここにあるものである。

 


それでは、鎌倉大仏の秘密に迫っていきましょう!

 

Iwai-Kuniomi