国家像

 

 

 司馬遼太郎流にいえば、「国の姿(かたち)」ということだが、戦後ずいぶんたつのに、未だにわが国の「国家像」が定まっていない。戦後を未だに引きずっているようだ。このことが何よりも一番問題で、私はそのために、平和の問題、憲法の問題を取り急ぎ勉強中である。

 

 靖国問題との関係でいえば、私は、いうまでもなく、わが国の伝統的な神道こそ良しとしており、戦前の国家主義的神道には批判的である。わが国はやよよろずの神々がいます・・・いうなれば出雲的な神々の世界であるべきだと考えている。そして、さらにいえば、神仏習合こそわが国伝統的な宗教感覚ではないかと考えている。

 天皇制についても、わが国の伝統文化からすれば、やはり今の象徴天皇が積極的に肯定されるべきで、明治憲法については批判的である。

 明恵の「あるべきようわ」

<URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwai/whatsnew/isomina2.html> 

と田辺元の「種の論理」

<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/haiburi1.html>

が私の出発点であった。

 

 そして、現在は、西田幾多郎の「場所の論理」にもとづいて「劇場国家にっぽん」というキャッチフレーズで「国家像」を描こうとしている。中沢新一の「緑の資本論」や中村雄二郎の「リズム論」などもベースにおかなければならない。まだまだ道は遠い。まだまだ勉強しなければならないことがあるのだが、とりあえず今の私なりの「新しい社会のビジョン」を発表した。

<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/doumei.html>

 

 天皇は、もちろん、明治憲法における天皇ということでもないし現憲法における天皇ということでもなく、今後改正されるであろう新憲法の下での天皇ということだが、わが国民統合の象徴天皇として、靖国神社に参拝されてしかるべきである。天皇をおろか総理大臣ですらそれができていないのは、そういう環境が醸し出されていないからであり、それは国家としてゆゆしき問題ではないのか。一日にも早くそういう環境をつくり出すべきである。 私はそのために、平和の問題、憲法の問題を取り急ぎ勉強中である。前途多難であるけれど急ぎたい。

 

  昨年、靖国問題で、私は、一連の意見を申し上げた。

<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/706.html>

 

 しかし、言葉足らずであったこともあり、ここに真意を明らかにしておきたい。

@、本来の神道を取り戻さなければならない。

A、靖国神社は、いずれ総理大臣や天皇も参拝できるよう環境を整えなければならない。

B、国際平和の思想を確立しなければならない。

 

Iwai-Kuniomi