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ネットワーク上における「無償デジタル財」との競争

 

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國領二郎

慶應義塾大学大学院経営管理研究科

 

 

 

 

1.ネットワーク文化とビジネスの邂逅

 

 コンピュータ・ネットワークが発展するにつれて、それが生み出す空間

の中でさまざまな形態の経済活動が行われるようになってきている。それ

は疑うべくもなく、価値の生産と分配なのだが、そのメカニズムは必ずし

も従来の資本主義経済の原理に従っているとは見えない。

 

 もう少し正確に言うと、極めて矛盾した動きが見えると表現した方がい

いのかもしれない。現在、電子ネットワークの中には純粋とも言ってもい

いほどの営利主義と、資本主義を否定するがごとく自己の利益を省みず他

人に奉仕することを目的とした活動の両方が緊張関係を持ちながら併存し

ている。

 

 情報ネットワークは一方で市場における情報流通を活性化させ、完全情

報に基づく市場経済を生む力を持っているようにも思われる。より純粋な

市場経済の誕生を促している、と言ってもいいのかもしれない。これを最

も具体的な形で体現し、かつ発言しているのは他ならないマイクロソフト

社会長のビル・ゲイツ氏であろう。ゲイツ氏(Gates(1995))はネットワ

ークを「究極のマーケット」と呼び、「社会的動物であるわれわれ人間

は、そのマーケットでものを売り、交換し、値切り、新製品に目をとめ、

議論し、新しい人々と出会い、暇をつぶすことになる。(p22)」とし、情

報の不完全性の除去によって「摩擦ゼロの資本主義(第八章)」が生まれ

る、としている。金融業界などにおいて、経済の情報化とグローバル化に

伴って市場原理が各国市場に浸透しつつある現状などを見るとこのシナリ

オに従った動きが現実のものとなっているとの見方もできる。

 

 これと対極に位置づけられるのが、金子郁容氏(金子(1992))に見ら

れるような、奉仕的な動機に基づくネットワーク上のボランティア活動で

ある。金子氏は個人が見返りでなく、奉仕することが自らに与える喜びを

目的に活動する現象を「もうひとつの情報社会」と呼び、ネットワーク化

につれてボランティアが拡大することを示唆した。事実、インターネット

などはボランティアが組織化を行う上での強力な基盤となっている。NP

O(non-profit organization)を法的に認知する動きが近年高まってい

るのも、ネットワークの進展と無縁ではない。

 

 西垣通氏(西垣(1994))はインターネットが爆発的に普及する直前に

マルチメディア社会の底辺に、むき出しの商品経済至上主義的な原理と従

来の言葉や国境の垣根を越えた「感性共同体」作りの可能性とが併存して

いることを指摘した。この予言とも言える分析はインターネットの上でか

なり顕著な形で現実のものとなりつつある。これに近接した考え方とし

て、松岡正剛氏は人間の社会との関わりには対価を要求するカセギと奉仕

をするツトメがあり、その二つを両方果たしてこそ「一人前」であるとし

ている。石井寛治氏(石井(1994))は情報化が市場経済を進展させつつあ

ることを認めた上で、生産手段の私的所有に基づく今日の資本主義経済は

企業が情報を独占することを前提としており、情報流通が進むこととの間

に根源的な矛盾を持っていることを指摘している。

 

 本章の目的はコンピュータ・ネットワーク上で営まれる経済活動に特徴

的に見られる「無償供与」という現象を分析することで、今生まれつつあ

る経済空間の特性についての考え方を提示することにある。なぜだか良く

分からないし、急激に増え、形態が変化しているので、どれだけあるのか

もきちんと把握できていないが、ネットワークの上には無償の財やサービ

ス提供が多い。それがなぜであるかを分析することによってネットワーク

上の経済空間の構造を探ろうというのが本章の設計である。

 

 結論を先に書いてしまうと、資本主義対カウンターカルチャー、カセギ

対ツトメ、交換経済対ボランティア経済、と言ったように、ネットワーク

文化と利潤追求行動を対立的な構図で描くのが主流となりつつある中で、

この二つの世界は必ずしも対立的ではなく、共通点を持ち、相互補完的で

すらある、というのが筆者の視点である。

 

 

 

2.ネットワーク上の無償デジタル財

 

 コンピュータ・ネットワーク上で提供される電子的な財やサービス(以

後、このような電子的に流れ、経済価値を持つデジタル符合の集合をデジ

タル財と呼ぶ)にはその生成に多くのコストがかかり、商業的な価値を持

っている場合がほとんどであるにもかかわらず、無償で提供さることが多

い。また、有償をうたっていても「ただ乗り」することをあえて妨害しな

い商品提供の形態をとっているものも多い。その形態はさまざまなのだ

が、共通の原因によって無償提供という共通の結果が現われている。

 

 動機はあえて問わない。と、いうより、むしろ無償提供が商業的動機と

奉仕的動機の両方に基づいて増えているところに着目している。動機にい

かんにかかわらず、サイバースペースには無償提供が起こりやすい環境が

ある。その原因を分析するのが本章の目的の一つである。

 

 インターネットのホームページ上で提供されている膨大な情報を見るだ

けでネットワーク上に無償デジタル財が大きくなっている現象が存在する

こと自体は誰しも認めることであろう。例えばこの文書を書いている時点

で、マイクロソフト社はインターネットのいわゆるブラウザソフトを無料

で提供している。自分のコンピュータをこのソフトウエアが載せられてい

るコンピュータに通信回線で接続するだけで、物理的にはどこへも行かず

入手することができる。(このようなやり方をダウンロードと呼ぶ)この

手法はネットスケープ社が同じくブラウザソフトについて教育機関に対し

て無料での利用を認めている路線を拡大したものといえる。この二種類の

ソフトウエアだけでも、数千万本が使われると考えられ、非常に大きなサ

ービスが無料で提供されていると言えよう。これが数少ない商品が多くの

人間に使われている例外的な現象ではなく、提供されている種類も多いこ

とも付記すべきだろう。http://www.vector.co.jpに見られるホームペー

ジには2万本以上のフリーウエアとシェアウエアが登録され、誰でもがダ

ウンロードできるようになっている。

 

 これまではダウンロード可能な応用ソフトウエア−いわゆるシェアウエ

ア−がネットワーク上の無償デジタル財の大きなものであったが、近年イ

ンターネットの登場とともに、リアルタイムにサービスをネットワーク上

で提供するものが現われている。アメリカン航空などのホームページにア

クセスすると、誰でも座席予約システムを利用することができ、同社の路

線だけでなく世界中の航空会社を対象に、世界中の任意の二地点を結ぶル

ートがあるかどうかを検索させてくれる。

 

 さらにインターネットの普及に伴って顕著に見られるのが、従来個人や

小さな会社がボランティア的に提供することが多かったネットワークの無

償デジタル財の領域に、大きな商業的な目的を持つ会社が参加してくるよ

うになったことである。これは無償デジタル財という現象が単に慈善や善

意でのみ提供されているのではないということを表している。やや文学的

な表現をすることをお赦しいただけるなら、ボランティア的な世界と商業

的な世界が今ネットワーク上の無償デジタル財という現象面で接触し、対

立するか、共存するか、融合するのかの分かれ目にきている。本章では、

商業目的でありながらも無償で提供するという新しい現象に特に焦点を当

てて考えることとする。

 

 その意味で、厳密に考えた時に本章で取り上げる商品が真に無償である

か、といえばそうでもない場合も多い。後に分析するが、無償で提供され

ているものの中には他の有償の商品との抱き合わせになっているものもあ

る。また、知名度を高めることを目的に提供されるようなものも、間接的

に有償であると言っても良いかもしれない。広告収入をあげることを目的

とし、受益者の支払を要求していないものもある。

 

 そのような無償性に対する疑義があることを理解した上でここでは分析

対象をあえて次のように定義する。すなわち「コンピュータ・ネットワー

クを配送手段としているデジタル財の提供にあたって、提供者が受益者に

よる対価の直接的な支払いを受けないまま利用することを許している事

象」である。この中にはいわゆるシェアウエア、つまり対価を要求はして

いるが、支払わなくても少なくとも一定期間利用が可能であるようなもの

も含まれる。ここまで定義を広げると、インターネットやパソコン通信上

で提供されているソフトウエアや情報コンテンツなどはほとんど全て対象

内となる。既に膨大な数が存在し、現在爆発的に増えている。

 

 このような広い定義を取る理由は筆者が商品そのものがデジタル(つま

り0か1かという記号を電子的に記録したもの)であるものはその技術

的、コスト的特性から見て無償提供をしやすく、そのしやすさがゆえに複

数の異なった動機に基づく商品の無償提供を促している、と考えるからで

ある。

 

 より具体的には本章ではデジタル財として、(1)応用ソフトウエア、

(2)情報コンテンツ提供(3)情報サービスの三つを分析対象とする。

第一の応用ソフトはいわゆるシェアウエアに代表される、コンピュータに

機能を与えるソフトウエアがパソコン通信やインターネットの上で無償供

与されている現象である。

 

 第二の情報コンテンツは、新聞記事、音楽、映像などがネットワーク上

のデータベースに蓄積され、情報提供者に対する支払いを行わずに受益者

が受信できるようになっている場合である。インターネットの拡大ととも

に、このタイプのサービスが急拡大した。例えば日本の主要な新聞社は全

てインターネット上にホームページを出し、程度の差はあれ、記事情報を

出している。それらの中には、有料情報と比べて少ない情報量しか提供し

ていないものも多いが、ポイントキャスト社など、インターネット上での

記事提供を専業としている会社の中には広告収入を得ることを収益構造の

柱として、大規模な情報提供を行っている。

 

 第三の情報サービスには、ネットワーク上の第三者間をつなぐタイプの

ものが多い。例としてインターネット上の囲碁サービスがある。ネットワ

ークに接続すると対戦相手を探索し、対局を行う機能を提供してくれる。

(武川・國領(1995))

 

 

 

3.奉仕の場としてのコンピュータ・ネットワーク

 

 なぜコンピュータ・ネットワーク上では無償の財の供給が行われやすい

のであろうか?理論的な説明は可能なのだろうか?てがかりはある。ネッ

トワーク以前にも無償の財や役務提供はあったからだ。

 

3.1 無償供与の理論

 

 奉仕的なサービスが提供される理論的な説明の代表的なものは

Blau(1964)に代表される社会的交換の理論である。久慈(1984)に従えば財

や役務供与は次の四つの形態に分けられる。

 

1. 経済的取引:相手からの獲得を計算づくの供与。ただし金銭による

用具的便益の獲得と決済。

2. 社会的取引:相手からの獲得を計算づくの供与。ただし金銭でない

ものによる用具的便益の獲得と決済。

3. 社会的贈与:相手からの獲得計算なしの進呈的供与。ただし相手か

らの自発的供与物を獲得。

4. 一方的恵与:みかえりの期待がない供与で実際にもみかえりがな

い。

 

 このうち社会的交換の範疇に入るものは(2)と(3)であるとされ

る。Blau(1964)の表現に従えば交換を基盤とした行動とは「報酬をもたら

す他者の反応を条件とする行為」である。経済的取引のように事前にみか

えりの契約がなされなくても、社会的に見返りを想定することが自然な局

面で何かを供与することは、交換の一種であるとしているところが重要な

点であろう。より現実に近いレベルにおいて日本では贈答文化が根強く存

在していることはこの好例であろう。南(1994)は実証的に日本における

社会的交換を分析している。

 

 経済学的なアプローチからはBoulding(1973)が贈与を「両当事者の間に

交換不能物の受け渡しはありうるにせよ、ともかく交換可能物がある一方

向に受け渡しされているのに対し、それと反対の方向にはいかなる交換可

能物の受け渡しもないような、二人の当事者の関係である」と定義してい

る。まず動機は度外視して、観察可能なレベルで定義を行っているところ

が特徴と言っていいだろう。その上で動機が加味され、贈与は与え手がそ

れをもらう受け手の福祉と自分を一体視する「贈り物」と、恐怖の結果あ

るいは脅迫のもとで差し出される「貢ぎ物」とに分けられる。交換が相手

からの見返りを受けて効用の増大をはかるもの、としているのに対し、相

手の効用の増大そのものが自分の効用の増大である、としているところが

大きな特徴である。

 

 金子氏のボランティアをめぐる理論は交換理論が固定的な対象物の交換

を念頭においているのに対して、互恵的なインタラクションを行う過程に

効用が発生し、それが誘因となって無償の財やサービスが供給される現象

と解釈できる。つまり提供する人間が提供することそのものに喜びを感

じ、受け手からは何も期待しない、という意味で交換理論とは一線を画す

ものと言ってよく、Bouldingの贈り物に近い概念と言ってよいだろう。

 

 社会的交換、ボランティア、顧客間インタラクションに共通する一つの

現象が自発性である。社会的交換と顧客間インタラクションにおいては、

交換相手と事前にみかえりの契約をすることなく、相手の自発的なみかえ

り供与を想定して供与が行われる。ボランティアの場合には財の供与その

ものが提供者の内発的な動機によって行われている。

 

3.2 コンピュータ・ネットワークとボランティア

 

 社会的交換の理論、贈与の経済学などは主として、貨幣的な経済的取引

から外れた場で経済価値の供与が行われる説明として使われてきた。コン

ピュータ・ネットワークとの関連でこれがよく取り上げられるのがボラン

ティアの文脈においてである。コンピュータ・ネットワークがボランティ

ア的な活動を支えるコミュニケーション手段として有効であり、ネットワ

ーク社会が進展するとともに互恵的な奉仕による社会の構築が展望され

る。

 

 阪神大震災において金子氏が指導したインターVネットワーク・プロジ

ェクトはネットワーク上におけるボランティア組織化の一つの雛形を表し

たといって良いだろう。ネットワークをボランティア活動の基盤として使

う手法は近年の日本海における原油流出事故の時にもいかんなく発揮され

た。インターネットのホームページを活用して何がどこで不足している

か、何が今問題になっているか、などのさまざまな情報が共有され、ボラ

ンティアの組織化が行われた。

 

 デジタル財の流通について本章の分析に大きな影響を与えた研究とし

て、佐々木(1996)のシェアウエア分析がある。佐々木によれば1996

年10月時点でニフティサーブの送金代行システムに登録されているシェ

アウエアだけで、約3600件ある。これは有料であるものの一部であっ

て、完全に無料であるものの方が多いことが推定されるので、シェアウエ

ア全体では数万から十数万本あると考えるのが自然であるように思われ

る。

 

 佐々木はシェアウエアをプロセス・シェアリング・エコノミーという表

現し、作者がシェアウエアを世に送り出すプロセスの「楽しさ」を対価と

して受ける経済として説明している。ボランティア経済の中から経済的な

価値が生み出され、ネットワーク上で無償で提供される現象の説明として

有用なものであると考えられる。

 

 西垣氏(牧野・西垣(1996))は「インターネットとは、贈与の世界」と

断定し、「インターネットには贈与経済に基づく本来の姿があるのに、そ

こにただ乗りするような形で至上経済のビジネスネットを作ろうとするの

は、少し筋違い」と表現している。確かにインターネットには他の商用ネ

ットワークと異なり、情報を無償で公開する研究者のネットワークとして

育ってきた歴史があり、このような見方をする専門家も実は少なくない。

 

 自発的、互恵的活動が行われる一形態として筆者が研究しているのが

「ネットワーク穣の顧客間インタラクション」である(國領(1997))。

顧客間相互作用はマーケティングの領域である程度検討が進んでいるもの

であるが、ネットワーク上ではこれが質的にも量的にも拡大する。ある商

品についてユーザの間で強い共感が生まれると、時にユーザは自発的に商

品の普及や改良に自発的に努めているようになる現象だ。フリーソフトの

多くは商業用ソフトウエアに機能を追加するためにユーザが作ったもの

が、他のユーザ使用のために公開されたものである。

 

 

 

4.商業的な意図を持った無償供与

 

 ボランティア的な一方的恵与の世界がコンピュータ・ネットワーク上で

展開されていることは事実と認めざるを得ない。そしてネットワークの発

展とともに、これまでの経済の枠組みからはずれた財やサービスの供与形

態が広がるという予想にも説得力がある。

 

 面白いのはそういったボランティア的な活動とともに、ネットワークで

は商業主義的な動きも高まっていることである。周知のごとくインターネ

ット上では無数のベンチャービジネスがサービスを提供し始めている。一

見営利的とは見えないネットワークの上で無償供与されているものについ

ても、背後に極めて強い営利的な目的があるようなものも多い。この世界

には、小さなベンチャーだけでなく大きな会社も多く参入している。なぜ

そのようなことが起こるのであろうか?以下では商業的な動機を持ちなが

ら無償でデジタル商品を無償供与している事例を分類しつつ分析してみよ

う。

 

4.1 抱き合わせ販売型

 

 ソフトウエアの中には他のソフトウエアと連動してはじめて機能がフル

に発揮できるタイプのものがある。この代表例がインターネットのブラウ

ザソフト(インターネットのホームページを閲覧するためのソフトウエ

ア)で、情報を公開しているコンピュータ(通常サイトと呼ばれる)がサ

ーバソフトと呼ばれる情報公開用のソフトウエアを持っていることを前提

としている。

 

 このような場合、収益をあげるべき商品の販売促進のためには無料、な

いしは低価格で補完財を提供することに合理性が出てくる。(財の補完性

による企業行動の分析については浅羽(1995)などゲーム理論による分析

が盛んである。)古典的な例がかみそり台と替え刃の関係で、いったん台

の部分を販売してしまうと、替え刃に対する需要が安定的に発生するた

め、メーカーは台の部分を極めて安価に提供する、という行動を取る。

 

4.2 広告収入追求型

 

 情報提供をおこなったり、サービスを無償で提供する場合、広告収入が

目的である場合も多い。この形態のものは既に商業放送の領域で存在し、

それほど新しいものとはいえないが、大衆に均一の情報を流す既存の放送

に対して、コンピュータ・ネットワーク上では個人にカスタマイズした情

報と広告を出すことができるところが特徴である。

 

 上述のポイントキャスト社はインターネット上で無料の放送型の情報提

供を行っていることで有名である。大きな特徴として、「視聴者」が自分

の望む情報の領域(例えば特定に企業)を事前に登録しておくと、それに

関する情報を抜き出して送ってくれることである。同社によれば1996

年2月に開始されたサービスに対して、1997年3月時点で既に100

万人を越える視聴者を誇っている。月に50程度の広告主を募り、月2万

ドルから5万ドル広告料金を取っているという。同社は現在アジアへの展

開を始めている。

 

 これと対象的なのは先にも述べたウォールストリートジャーナルで、年

間49ドルの講読料で記事情報を公開している。紙媒体で講読している読

者には割引をしているところが特徴で、既存の市場と収入を維持しながら

新しいメディアに対応しようという配慮がうかがえる。広告も出してい

る。

 

 広告収入を主たる収入源とする戦略をとった時には競争戦略はより多く

の視聴者に見て貰うこととなり、どれだけ良質の情報を無料で提供できる

か、というところが焦点となる。

 

4.3 テスト型

 

 ソフトウエアは商品してから予想しなかった問題が出る場合が多く、商

品として完成するまで無料で配布し、熱心なユーザに試して貰う、という

ことをよく行う。いわゆるβ版と呼ばれるものである。これも昔から存在

したものであるが、以前はメーカーが指定した限定されたユーザのみがこ

の試験に参加したものが、ネットワークの発展とともに配布のコストが下

がったため、一般の人間までがβ版を手に入れられるようになってきた。

さらに有償のソフトウエアの機能を削った「お試し版」が配布される場合

も多い。

 

 先にもふれたが、インターネット上にhttp://www.vector.co.jpという

サイトがあり、2万件を超えるフリーウエア及びシェアウエアを紹介して

いる。このサイトの面白いところは、ソフトウエアベンダに対して、フリ

ーソフト配布用のサーバーを有料で提供していることである。ソフトウエ

ベンダーがデモンストレーション用に開発したソフトを無料で潜在的な顧

客に対して提供し、そのコストはベンダー側から回収する。ベンダー側か

らこのサイトを利用するメリットは自前でサーバーを維持しなくても良

い、という点と、デモストレーション用ソフトが集積しているサイトに置

くことでより多くの潜在的なユーザの目に触れることである。

 

4.4 顧客データベース構築型

 

 前項の「お試し版」の配布の動機が顧客データベースの作成にある場合

もある。自分の名前と電子メールアドレスだけを登録すれば、ダウンロー

ドが可能なソフトウエアをインターネット上で配布し、その後機能拡充版

の勧誘電子メールをダウンロードしたユーザに送る、といった手法であ

る。この型のものについてはデジタル商品だけでなく、物財についても同

じような現象が見られる。現在インターネットの上ではプレゼントを提供

するページが花盛りである。申し込んでくるユーザの顧客属性がどんどん

蓄積される仕掛けだ。

 

 

 

5.ネットワークの発展とその経済的機能

 

 第3節、第4節にみる通り、コンピュータ・ネットワークの上では商業

的な意図を持っている主体によってもデジタル財の無償供与がおこりやす

い、ということが言えそうである。

 

 このようなことが起こる原因を筆者はネットワーク上のデジタル財提供

に関わるコスト構造に見る。つまりサイバースペースにおいてはコスト的

にデジタル財を無償供与しやすい条件があり、そのコスト構造ゆえにボラ

ンティア的な動機に基づく無償供与も商業的な動機に基づく無償供与も拡

大しやすいのである。本節では経済空間としてサイバースペースがいかな

る機能を持ち、その中でデジタル財の供給を行う上でのコスト構造がいか

なるものかを分析する。

 

5.1 経済空間としてのコンピュータ・ネットワーク

 

 まず、無償デジタル財が発達している背景となっているコンピュータ・

ネットワーク環境について少し整理しておこう。周知のごとく、1993

年にインターネットの商業利用が始まって以来、コンピュータ・ネットワ

ークは爆発的に拡大してきた。図1は最近のインターネットの爆発的な伸

びを表している。

 

[Image]

 

 コンピュータ・ネットワークは必ずしも新しいものではなく、1950

年代に開発され軍事用に使われていたものが、1960年代に民間用とし

て使われ始め、発達してきた。開発された当初はコンピュータ同士を接続

するのは困難な作業で、特定メーカーの特定の機種同士しかつながらず、

必然的にネットワークは事前に特定された固定的、閉鎖的なメンバーだけ

がつながるものであった。これに伴い、コンピュータ・ネットワークは一

つの会社の中や、非常に関係が緊密な企業間のみで運用されていた。

 

 この閉鎖的なネットワークが技術の発達と標準化の進展とともに、次第

にメーカーや機種をまたがって相互に接続が可能になるようになってき

た。これに伴って、より広い組み合わせの会社間でデータ交換をしたいと

いう動きになってきた。これを妨げてきたのが日本電信電話公社のみに通

信事業を認める規制であったが、これも1982年に部分解禁され、19

85年には全面解禁されるようになった。

 

 このように80年代から始まったコンピュータ・ネットワークのオープ

ン化が90年代になって一気に広がった。その大きな推進役がインターネ

ットである。これまでの特定の企業や企業グループに固有のインターフェ

ース(通信手順)を用いた結果、ネットワークのメンバーは事前に特定さ

れた少数のみとなり、ゆえにシステムは閉鎖的なものとなっていた。これ

に対し、インターネットに代表されるオープン・ネットワークは標準的な

方式を用いることによって、必要とあらば広く世の中の全てが接続可能な

状態とすることを目指すものである。図2はネットワークをオープン性と

利用者の事前特定性によって分類したものである。

 

[Image]

 

 クローズド・ネットワークの場合、システムによって接続される相手は

必然的に事前に特定されているコンピュータである。これに対してオープ

ン・ネットワークは事前に特定されていない相手とのコミュニケーション

に使うことが出来ることが一大特徴である。(実は事前に特定されている

相手とのコミュニケーションにも使え、イントラネットやエクストラネッ

トと呼ばれており、非常に興味深いものだが、本章では特に取り上げな

い。)こうして、世界中のコンピュータユーザが自由にお互いのマシンを

接続し合えるオープンな環境が出来上がる。

 

 限りなくオープンに近いコンピュータ・ネットワークとしてインターネ

ットより一足早く発達したのがパソコン通信である。パソコン通信は(

1)ネットワークに参加する人間が全て運営会社と契約関係を結ぶ、(

2)数多くあるパソコン通信ネットワークの相互の互換性はないなどの理

由で、オープンなネットワークとは断定できない。しかし、非常に多くの

メンバーを有している(大手は数百万メンバーを誇っている)ネットワー

クは実質上不特定のメンバー相互間のコミュニケーションを可能としてお

り、ネットワークの中において極めてオープンな環境を提供している。オ

ープン・ネットワーク時代の社会現象の暗示する現象が多く見られるのが

この場である。本論文中で取り上げる事象もパソコン通信上の経済現象が

多い。

 

 オープンなネットワークの誕生によって生まれるのが図2中右上上に見

られる、事前に特定されていない相手とのコミュニケーションである。電

話やファクスの如く、世界中のコンピュータが相互に接続可能となり、単

に意思伝達だけでなく、財やサービスを運ぶ媒体となりうるようになって

きている。情報やソフトウエアを作った人間誰しもが広く世界中に作品を

流通させられるようになってきているのだ。

 

 経済活動を行う媒体としてのオープン・ネットワークには次の四つの機

能がある。すなわち(1)広報、(2)取引処理、(3)配送、(4)決

済である。具体的に何が行われるかを理解する上役立つと思われるので若

干説明しよう。第一の広報には二つの側面がある。すなわち財・サ−ビス

の提供者からユ−ザに対する情報提供と、その逆のユ−ザから提供者への

情報のフィ−ドバックである。前者の代表的な例は広告宣伝である。後者

は顧客情報を吸い上げデ−タベ−ス化するという形で最近盛んに行われて

いる。このような活動はコンピュータ・ネットワーク以前も無料のサ−ビ

スが提供される大きな要因となってきたことを付言しておくべきだろう。

テレビ・ラジオなどは単に広告そのものを無料で提供するだけでなく、広

告以外の番組(情報コンテンツ)を無料で提供してきた実績がある。

 

 第二の取引処理は経済行為を行う主体の間でその行為に必要な情報を交

換する媒体としてコンピュータ・ネットワークを使う場合である。商業取

引の場合には受発注処理などがその代表的例で、組織をまたがるコンピュ

−タネットッワ−クの活用として最も早く普及してきたものである。この

ようなタイプのコンピュータ・ネットワークはいわゆる「取引コスト」を

下げるものとして注目されてきた。Malone(1987)などはコンピュータ・

ネットワークの発展が取引コストを下げることによって、従来市場外で取

引されてきたものが市場取引の対象になるようになる、との説を展開し

た。

 

 第三の配送手段は商品がデジタルな情報である場合に、商品の配送が物

流を一切伴わないで、コンピュータ・ネットワークの上で完結する状況を

指している。ここでも伝統的には放送における番組提供がこれにあたる

が、コンピュータ・ネットワーク上ではこれ以外にカラオケやコンピュ−

タ用応用ソフトなどが流れている。このような商品が提供者のスケジュ−

ルに従って提供されるだけでなく、需要者の要求に基づいて提供されるい

わゆる「オンデマンド」式に提供されているのも、コンピュータ・ネット

ワーク上のデジタル商品配送の特徴である。オンデマンド式の特徴は需要

者が通信コストを負担している場合が多いことで、提供者は自分のコンピ

ュ−タに商品を登録しておくと、世界中の需要者がそこまで「取りにきて

くれる」ことである。配送コストが極めて低い商品提供形態が生まれてい

る、と表現してもよかろう。

 

 第四の決済手段としてのネットワ−クは、文字通りコンピュ−タを支払

いの媒体として利用するものである。本章は無償デジタル財を主題として

いるので、この側面は必ずしも大きく取り上げないが、コンピュータ・ネ

ットワークはかねてより、国際的な決済ネットワ−クとして大きく発展し

てきた。それがここにきてのオ−プンなコンピュータ・ネットワークの発

展とともに、広く消費者や小規模事業者が決済を行う媒体として活用され

始めている。

 

5.2 コンピュータ・ネットワーク空間のコスト構造

 

 ここではいよいよ、なぜサイバースペース上ではデジタル財の無償の提

供が行われやすいのか、という問題に対する直接的な分析を行ってみた

い。結論を先に書いてしまうと、オープンなコンピュータ・ネットワーク

には動機のいかんに関係なく、無償でデジタル財を提供することがやりや

すくするような経済構造をしている、ということだ。その要因を要約する

と次の三つになる。(1)サイバースペース上におけるデジタル財の提供

にあたっての変動費の低さ、(2)デジタル財を販売しようとした時の課

金コストの高さ、(3)デジタル財生成にあたってのネットワーク外部性

の強さ。これら三つの要因は全てデジタル財の無償供与のインセンティブ

を高めている、という見方である。

 

5.2.1 変動費の低さ

 

 デジタル財がパソコン通信やインターネット上で提供される場合の極め

て大きな特徴はそれが「少なくとも提供者にとって」変動費がゼロか限り

なくゼロに近い形で提供できることだ。(この項の議論は筆者なりに展開

してあり、責任は筆者にあるものの、元々は金子郁容研究室の示唆に負う

ところが多い。明記して感謝したい。)

 

 例えばインターネットで情報公開を行う場合、いったん自分が外から情

報を取るために回線を敷設しコンピュータを設置すると、追加的な費用を

ほとんど必要とせずに情報提供が始められる。自分のところで設置するの

が嫌で外部のレンタルサーバを借りると月数万円といったオーダーの負担

で情報公開ができる。

 

 大切なのはその後で、このようなサーバをいったん設置すると、何人が

その中から情報を取り出そうが、情報提供者側には全くコストがかからな

いのだ。現実には情報を受ける側は通信コストなどの形でコストを支払っ

ているかもしれないが、少なくとも情報提供者はいらない。この辺の構造

はパソコン通信でも同じで、パソコン通信サービスのライブラリに自分の

開発したデジタル財を登録すると、後は開発者の負担は全くなく、利用者

がダウンロードしていく。

 

 やや技術的になるがインターネットの場合には、利用しているTCP/

IPという通信方式が変動費の小さい構造を作る要因となっている。同方

式はパケット通信と呼ばれる技術の応用で、情報が小さな塊(パケットと

呼ばれる)に分けられ、他の情報が流れていない空き回線容量を使って送

られる。電話に代表される回線交換方式を使うと、いったんつなぐと、情

報を流していようがいまいが、一定の回線容量を占有することになるのと

対照的である。

 

 両方式の優劣についてはこの論文の趣旨から外れるので避けるが、ここ

で関係があるのがTCP/IPを用いるインターネットにおける情報提供

は稀少な資源を要求するユーザが増えてくるにつれて、一人あたりに割り

当てる資源を小さくする(これは通常反応速度が下がるという形で現われ

る)ことで対応するため、資源の利用効率が極めて高くなるほか、ユーザ

追加に伴う変動費用を非常に小さくする。

 

 もう一つ指摘できるのは、TCP/IP方式はパケットが通信相手に届

かないことがありえ、それが起こった時には再送することで対応するよう

になっていることだ。同じ量の情報を伝達しようとしても、その時によっ

て使用する通信回線の容量が異なるため、従量料金制度を取ると不公平が

発生する。これによってインターネットの世界では使用量に関係なく同じ

料金を取る定額制が普及している。(インターネットの技術的な特性を社

会的な面を踏まえて解説した好著として村井(1995)がある。)実際には変

動費が発生していても、デジタル財を提供する主体はそれを負担しない仕

組みが出来ている。

 

 定額といえば使用量に応じて定額なだけでなく、コンピュータ通信は多

くの場合、通信する距離が価格と無関係である点も大きい。電話などにつ

いては距離が遠くなるにつれて料金が高くなる構造があるが、インタ−ネ

ットなどのコンピュータ・ネットワークは隣の人間に電子メ−ルを送るの

も地球の裏側に送るのと同じ料金となる。より正確に言えば、パソコン通

信などは国内レベルで全国均一であり、インターネットの場合は全世界均

一である。

 

 さらに、物流を伴わないデジタル財の供給の場合、需要の絶対数だけが

問題で地域的な集積が無関係である、ということもある。物流を伴う商品

流通の場合には、「平方キロメートルあたりの需要の密度」、といったこ

とが問題となる。ある程度以上需要が特定の場所に集積していないと、そ

こに物流拠点を構築し、配送するといったことができないからである。今

日では従量・容積あたりの付加価値の高い商品などについては宅配便など

の手段があって多少程度は緩和しているというべきだが、それにしてもあ

まり安いものは運べない。

 

 これに対してコンピュータ・ネットワーク上では需要の総数だけ十分に

あれば、需要が広い地域に拡散していても全く関係がない。例えばインタ

ーネット上で米国の経済紙であるウオールストリートジャーナル紙が提供

されているが、この講読料は年間49ドルである(1997年4月現在

)。この事例についてはえてして年額49ドルという絶対額に注意が集中

しがちである。確かに日本の代表的な経済紙である日本経済新聞の購読料

が月間で4000円を超える水準であることを考えるとこの値段の安さは

脅威である。しかし、それ以上に重要なのはインターネット上のウオール

ストリートジャーナル紙は「世界のどこででも49ドルである」という点

だ。たとえ町中に同紙を取っている人間が一人しか存在しなくても、その

町にインターネットさえ入っていれば49ドルで講読できる。この特性の

帰結として、コンピュータ・ネットワークにおける経済圏は極めて大き

い。いったんデジタル財をネットワーク上のライブラリに登録すれば、パ

ソコン通信であれば日本中数百万台、インターネットであれば世界中数千

万台のコンピュータからアクセスが可能となる。

 

 以上のように、基本的に変動費負担がデジタル財提供者にとってゼロか

極めて小さいのがネットワーク上の流通空間の特徴であると言って良いだ

ろう。価格メカニズムが限界費用を基礎としたものであるとすると、これ

は価格ゼロの世界、ということになる。このような費用構造の中ではいか

なる経済活動が合理的なのであろうか?筆者は経済学者ではないので、き

ちんとした経済学的な定式化は専門家にまかせるとして、彼らにヒントを

提供すべく、ここで整理をしておこう。

 

 伝統的に経済学では大規模な装置産業の問題として固定費が非常に大き

く、変動費が小さい構造を扱ってきた。平均費用が逓減し、市場占有率は

高くなる。これはデジタル財の分野では極端にマーケットシェアが高くな

るものが多い、マイクロソフトの商品、ネットスケープ社の商品などは代

表例である。他にもインターネット関連の商品は優れた商品は極めて短期

間に世界中のマーケットを席巻する傾向が見られる。

 

 デジタル財の費用構造の性格が従来の装置産業のそれと大きく異なるの

は装置産業の場合は耐用年数の長い固定資産が固定費の中心であるのに対

して、デジタル財の場合には開発費がほとんどである。アプリケーション

ソフトなど機能を提供するものについては商品の寿命が極めて短い場合も

多い。

 

 費用のほとんどが開発費であり、それを流通させるための変動費がほと

んど発生しない、という状況で選択肢にあがってくるのが、固定費部分の

みを何らかのスポンサーシップでまかない、受益者には無償で提供すると

いう方法である。無料のテレビ番組はこの代表例であろう。

 

 より伝統的には情報という財が料金をとって提供されるようになったの

は近代工業社会になってからで、印刷などの変動費を伴う媒体によって大

衆に商品として提供されるようになってからだと言える。中山

(1996:p.8)は著作権に関連してこのことを次のように述べている。「た

とえば、源氏物語の時代においては、創作者にはパトロンがおり、創作者

は複製者(当時は手書きをした者)から対価を徴収する必要性がないのみ

ならず、むしろ他人による複製を歓迎する傾向にあった。」複製されるこ

とで多くの人間に読まれ、作者としての名声があがれば、より有力なパト

ロンからより多くの援助を受けられる、という構図である。写本という技

術体系を前提とすると、作者にはコピーが増えることに伴う変動費はない

からこれでいい。印刷ではそうはいかない。

 

 1997年春の時点で有償か、無償かという対比で面白いのが、インタ

ーネット上のウオールストリートジャーナル紙の有償サービスとポイント

キャスト紙の無償サービスである。収支についてはどちらも明らかにして

いないので定かではないが、どちらも多くの読者を獲得している。先にの

べたとおり、前者は年間49ドルで提供されているもので、紙媒体の新聞

をとっている読者には割引サービスがある、と言う特徴をもっている。後

者は読者に強制的に広告を見せることで、無料のニュースを見せるもので

ある。

 

 無料サービス型が強いのか、有料型が強いのか、という点についてはま

だ決着がついたとはいえない。無料型の強みは当然高い普及率が得られ、

それによって多額の広告収入を得ることができる可能性があることであ

る。ただし、そこにいたるまでは赤字覚悟となり、良質のサービス提供の

ために必要な投資ができなくなる可能性がある。

 

 有料サービスの強みは限界利益が大きいために、いったん閾値を越えれ

ば極めて大きな利益とキャッシュフローを確保することができ、良質のサ

ービスが提供できるということだ。ただ、無料のサービスと有料のサービ

スが併存しており、その二つの質が近い場合に無償の方が有利であること

は当然であり、無償デジタル財の存在によって有償デジタル財が閾値を越

えることができないことも十分想定できる。

 

 こう考えていくと、有償デジタル財が存在しうるのは、提供しているデ

ジタル財が十分に差別化されており、同等以上の価値を持つ代替財が無償

で提供されていない時に限られる、ということになる。無償のものが繁栄

しやすい土壌がそこにある、といって良いだろう。

 

5.2.2 課金コスト

 

 無償デジタル財の存在を説明する単純にして有力な説明として、課金コ

ストが高いから、というのがある。確かに有料にしたくても、取るべき金

額に比べて課金コストが高すぎる、という問題は大きい。5.1項で述べ

たとおり、オープンなネットワークの大きな魅力は全世界に散らばった極

めて大きな母集団を市場とすることができることで、既に数千万台のコン

ピュータ接続されているインターネットの場合、市場の数%を押さえるだ

けで数百万人の市場、ということになる。しかも、前項に述べた理由でデ

ジタル財の場合は単一の商品がその商品カテゴリーの中で高いマーケット

シェアを確保する場合も多い。

 

 一億円程度の開発コストを100万人に販売することで回収しようとす

ると一人あたり100円程度取りたてるということになる。利益を30

0%取っても400円ということになる。一般的にインターネット上のデ

ジタル財の市場は比較的小額の商品を数十万から数千万単位で販売するこ

とで成立する、と言われている。このビジョンの実現のために今最も大き

な課題となっているのが、小額の金額を回収する手段に適当なものがない

ことである。例えばクレジットカード会社にシステムを使った場合、通信

料(回線料と請求書の郵便料金)だけでも100円近くかかる計算にな

り、とても割に合わない。

 

[Image]

 

 井上(1997)は1996年にデジタルコンテンツをインターネット上で提

供している会社及びその調査をしている会社二十社あまりにインタビュー

を行い、事業者がいかなる決済手段を求めているかを調査した。その過程

で現在無償提供されているシェアウエアの多くは課金コストの問題で無料

となっており、さらには本来はもっと安く提供したいと思っているソフト

を課金コストに見合うようにするために金額を高く設定する傾向がある、

と報告している。

 

 井上はさらにネットワーク上のマーケティング手法と課金システムの類

型を分析した。図3は井上の分類に筆者なりの視点を加味して作成したも

のである。販売方法とその課金システムを(1)オープン型(事前に登録

していないユーザでも、その場で自由に購入できる)かクローズド型(メ

ンバー制)か、(2)都度課金(利用のたびに従量制で料金計算する)

か、まとめて課金(利用度合にかかわらず月額いくら、などといった定額

制)か、(3)都度決済(利用の度に決済する)か、まとめて決済(月締

めなど)かによって分類している。「都度」とか「まとめて」とかいう概

念がここで出てくるのは、同一のサイトからさまざまな応用ソフトやコン

テンツを入手することを想定している。コンテンツの領域では一般的な状

況である。

 

 課金コストの高さを反映して、井上の調査でも都度課金をしているとこ

ろは少なく、多くがまとめて課金を行っていた。都度課金を行っていると

ころでも、都度決済を行っているところはさらに少なく、調査した中では

二社に過ぎなかった。まとめて決済方式のメリットは、利用たびの都度課

金の金額が小さくとも、複数回数の利用をまとめることによって、決済一

回あたりの金額を大きくすることが可能であることだ。

 

 ネットワーク事業者が数多くのデジタル財提供者のために、その課金メ

カニズムを提供し、ネットワーク利用料金と合算して回収するメカニズム

を提供している場合がある。この代表的例がパソコン通信サービスである

ニフティサーブ上に提供されている課金代行サービスである(佐々木

(1997))。このシステムはニフティサーブ社がパソコン通信サービスの利

用料金とともにシェアウエアの料金を回収し、10%の手数料を引いて提

供者に還元する、というものである。

 

 都度課金しながら決済は何らかの形でまとめて行うという形式で、ある

程度のニーズは満たされるものの、これらはユーザがそのサービスを提供

しているメンバー制のサービスに加入していること(つまりクローズド

型)を前提としており、メンバー制が事前登録を要求する限りにおいて市

場を限定的なものにせざるをえない。これでは電子商取引の可能性は制約

されたものとなる。

 

 このようなメンバー制の制約を大幅に緩和し、ネットワーク上の小額決

済の切り札となるのではないかと期待されているのがデジタルキャッシュ

である。暗号技術を駆使することにより、偽造や複製が不可能であった

り、した場合に追跡が可能にしたりしたデジタル信号を貨幣として利用し

ようというものである。厳密に言うと正確ではないが、「充電可能なプリ

ペイドカード」と認識していただけるとここでの議論には十分である。カ

ードが物理的に存在するのがいわゆるICカード式であり、ソフト的にハ

ードディスク等の汎用記憶媒体に記録されるものもある。これまでのネッ

トワーク上の課金コストの大きな部分が認証のため利用のたびに認証用ホ

ストコンピュータに通信しなくてはならないことに伴う通信コストであっ

たが、デジタルキャッシュはそれを通常の貨幣に換金する時までは、それ

自身が貨幣であるがごとく取引主体間で移転させることができるため、コ

ストが大幅に小さくなる。

 

 このように現在、ネットワーク上の小額支払に向けた技術開発が目白押

しであり、これらの少額課金の仕組みが構想通り稼動するようになると、

本章の対象としている無償デジタル財が相対的に小さな存在になることも

ありうる。はっきり予想できるのが、小額課金が可能になると今までにな

い大量の有償デジタル財供給がネットワーク上で行われるようになり、無

償デジタル財が全体の中での比率を下げることである。

 

 この可能性を認めつつ、筆者は課金コスト問題が解決した後にもデジタ

ル財の無償供与という現象は絶対的な規模としては拡大していくのではな

いかと考えている。前節の変動費の低さや後節のデジタル財創造における

ネットワーク外部性の存在は残るからだ。

 

5.2.3 デジタル財創造におけるネットワークの外部性

 

 変動費の小ささ、課金コストの二つはともにいったん出来上がってしま

ったものの流通コストであるが、知識の塊というべきデジタル財には、そ

の生成プロセスに極めて大きな特徴がある。知識とは単一の個人や組織の

中で内部完結的に発生するものではなく、さまざまな人間が生んだ過去の

蓄積や、組織内外の個体間情報交換プロセスを通じて価値が蓄積されてい

く。

 

 Nalebuff and Brandenburger (1996)はこのプロセスを財の補完性とい

う切り口で分析している。今日のデジタル財、例えば応用ソフトウエアは

一つの会社が単独に全ての機能を提供するのではなく、いくつもの会社の

製品が組み合わされて使われることで大きな機能を発揮することができる

ようになっている。

 

このプロセスを意識的に利用したといえるのが、オートデスク社のCAD

(computer aided design)ソフトウエアである。同社はCADを図面な

らどの業界にも共通して見られるプロセスを処理する部分(これを基本エ

ンジンと呼ぶ)と各業界や各国の実状に合わせてカスタマイズしなければ

いけない部分とに構造化、分離し、自らは基本エンジンの部分に特化し

て、カスタマイズ部分を基本エンジンにつなげる部分を公開することによ

ってサードパーティのベンダが自社のエンジンを取り込んだソフトウエア

を販売できるようにした。これによって目だたない会社ながら、マイクロ

ソフト社に続く、大ソフトウエア会社に成長したのである。

 

 このような戦略の成功に必須の要因はより多くの優秀なベンダーに自社

の製品と互換性がある商品を提供して貰うことにあり、そのために必要な

道具(開発ツールと呼ばれる)などは無償ないしは(無償だと無責任なベ

ンダが現われるなら)極めて低額の料金で提供する。

 

 3.2項でふれた顧客間インタラクションも多くの人間の知恵が相互に

刺激し合い、集積するプロセスと言ってよいだろう。森田(1997)はヒュー

レットパッカード社の携帯用小型コンピュータである200LXというマ

シンをめぐる、顧客主導の商品開発を描いている。200LXは発売当初

から愛好家の中で絶大な支持を得ていたにも関わらず、メーカーの手によ

っては日本語化されないでいた。これに対して、ユーザーがニフティサー

ブ上の会議室で組織化を行いつつ、日本語化ソフトを開発し、その成果物

をネットワーク上のライブラリにフリーソフトとして登録したのだ。日本

語化したい愛好家たちがネットワークの上で大勢集まり、自分たちのため

に仕事を分担して無償で日本語化ソフトとフォント(文字の表示形式)を

作り、公開してしまったのである。この成果はのちにメーカーの手によっ

て公式化され、サポートが行われるようになった。

 

 このように大勢の人間がネットワークの上でインタラクティブに協働作

業を行い、独立しては意味を持たない作品を作りあげていくことが良くお

こる。これはしばしばネットワーク上での著作物の著作権の帰属の問題と

して表面化する。中山(1996)はこの状況を以下のように記述している。

 

...マルチメディア時代には創作的行為のかなりの部分をコ

ンピュータが行っており、かつグループウエアの利用の場合は

それに関与した者の範囲すら明確でないことも多いくなる。結

果的には著作物と等価のものが出来上がっており、それについ

てまったく権利を認めないというわけにいかないであろう。し

かもそれらの作品が、高度に発達した通信インフラストラクチ

ャーを介して網の目のように流通し、それが改変・利用されて

さらに流通する、という状況が生ずる。

 

 ネットワークの上の会議室などで対話形式で学問上の議論が展開される

ことがあるが、この場合の個々の発言は概ねその発言を行った人間のもの

と言ってよいだろう。しかし、同時に個々の発言はそれ以前の人間の発言

を受けた形で行われており、発言は文脈の中においてのみ価値が発生する

場合も多い。この場合、発言集は総体としてその場の参加者すべての権利

物になる、と考えてよかろう。

 

 

 

 このように知識が集積し、相互作用をおこしつつ新しい知識が生まれる

環境においては知識の生み出し手はより多くの読み手があって欲しいと願

うものである。これは学者であれば共通した思いであろう。より多くの読

み手に読んでもらうことによって、さまざまなフィードバックや新しい情

報が寄せられ、自分の作品も改善されていく。研究のコストが研究助成と

いう形でまかなわれていれば、読み手からはお金を貰う必要は感じない。

 

 

 

6.ネットワーク文化と商業文化の邂逅

 

6.1 矛盾する二つの力

 

 第3節、第4節の分析は商業的な動機であれ、奉仕的な目的であれ、ネ

ットワークの上では無償のデジタル財提供が行われやすいことを示し、第

5節の分析はそれらが、(1)ネットワーク上のデジタル財提供にあたっ

ての変動費の低さ、(2)課金コストの高さ、(3)デジタル財生産にあ

たってのネットワークの外部性、の三つの共通する要因によって引き起こ

されている可能性を示唆した。

 

 これを価格をシグナルとする市場メカニズムの問題としてとらえること

も可能であろう。すなわち情報技術は市場メカニズムに対して二つの矛盾

する力を及ぼしている。第一は、価格メカニズムを強化する方向である。

すなわち、情報技術は市場における情報の不完全性を減らし、これまで情

報流通の不完全性ゆえに「不純」であり、それゆえに市場外で取引されて

きたものを市場取引の対象とする。筆者がかつて事例研究のチームに加わ

った中古自動車市場においても、従来は情報の非対称性が強くて、信頼が

顔なじみの間でしか成立しにくく、市場が地域化していたが、オークネッ

トという情報ネットワークを駆使する仲介事業者が生まれることによって

情報が透明化、共有化され、市場が全国化した。

 

 第二は、財としての情報は価格メカニズムではどうも律しえないよう

だ、ということである。情報には市場メカニズムを強化する作用があるの

に、情報そのものの生産、流通には価格メカニズムが正常に機能しにく

い、というところがパラドクスとして面白い。もとより情報が「公共財」

としての性格を持ち、限界費用を基盤とする価格メカニズムに必ずしも適

合していない、という認識は経済学にはかねてよりあったわけだが、現実

には情報を運ぶ媒体が通常の物財と同じコスト構造をし、市場経済的に流

れてきた。これが広報、取引処理、配送、決済を一貫してネットワーク上

で行う電子商取引が行われるようになると、情報の本来の性格が表に出て

くる。さらには情報の生産のプロセスにおける外部性も大きな要因であ

る。工業生産による物財供給体制においては、「売り手」と「買い手」の

区分は明確であり、少数の作り手=売り手が多数の買い手に供給した。と

ころがデジタル財は、多くの人間の知恵が集積し、相互に影響し合いなが

ら作られる時に大きな価値を生み出す。情報の産み出し手は、作った情報

がより多くの他者の目にふれ、そのフィードバックを受けることによって

財の質を高めていく。このような時に財にいちいち価格をつけ、流通を妨

げることは非生産的、ということになる。

 

 

 

6.2 生みの苦しみ:ネットワーク文化と商業主義のコンフリクト

 

 ここまでに見てきたように情報技術には市場−価格メカニズム−を強化

する力と、その枠からはみ出した生産・流通システムの登場を促す力の両

方を持っている。その二つは時に衝突をおこす。ここではコンフリクトの

現われ方の事例を二つ紹介しよう。

 

<事例1>インターネット碁サーバ

 

 武川・國領(1996)及び國領(1997b)によるインターネット碁サーバ(I

GS)の研究はネットワーク文化と商業文化との間の緊張関係を記録して

いる。インターネット上で囲碁対局ができるシステムであるIGSはアメ

リカの囲碁ファンの手によってシステムが開発された。ホストとなるコン

ピュータに対して、専用の端末用ソフトさえ載せれば世界中どこのコンピ

ュータからでも接続が可能であり、つながったコンピュータ同士で囲碁の

対局ができる。ホスト(インターネット上のホストをサーバと呼ぶ)は大

学のサーバに設置され、サービスは無料で公開された。

 

 IGSはネットワーク仲間の手作りのサービスとして発展したが、その

発展ゆえにボランティア的に面倒を見ている大学関係者のシステムに載せ

ることに限界が生じてきた。ボランティアの手だけで維持するにはコスト

も手間もかかり過ぎるほか、人間が流動する大学という環境のもとでは面

倒を見る人間が常に同じ場所にいるとは限らないため、サーバが移転を繰

り返し、サービスが安定しない心配があった。このIGSが韓国の商用イ

ンターネットサービス事業者に売却されたのは1995年のことである。

 

 以後日本においてはIGSサービスの日本におけるマーケティングを行

っている会社の手によって有償サービス化が進められたのだが、このプロ

セスがこの原稿を書いている段階で極めて激しいユーザの反発に遭遇して

いる。両者の論点についてはユーザからの公開質問状

(http://www.din.or.jp/~k_inoue/IGS/inquiry.htm:1997年5月11日現

在)と回答

(http://www.din.or.jp/~k_inoue/IGS/pandareply.htm :1997年5

月11日現在)という形でインターネット上に見られる。

 

 反発の原因に二つある。一方は日本のユーザにのみ有償化が行われよう

としており不公平だという点であるが、ここで取り上げたいのはもう一つ

の点、つまりユーザに「情報が公開」されないままに「もともとボランテ

ィアによって始められた」サービスを強制的に有料化したことに反発して

いる点である。ユーザからの投書にも発生する費用をユーザで負担するこ

と自体は肯定しながら、有料化のプロセスがサービス提供者が、コスト構

造を明らかにしないままに一方的に強制してきているものであることに反

発するものが多い。ボランティア的に作られてきたIGSの経緯に反する

ものである、という主張だ。

 

 これに対する日本におけるIGSの運営主体であるパンダネットの回答

も面白い。「私どもは株式会社でありますがこと囲碁の事業に関しまして

は『囲碁を』 そして特に『日本国内で』普及させたいと願いボランティ

アの精神で取り組んでおります。」と基本的な立場を表明しているのであ

る。その上で「小規模なうちはともかく少し規模が大きくなればボランテ

ィアだけで運営を続けるには費用の点からも困難なのです。」と主張して

いるが、そうであればユーザが主張するようにコストを公開し応分の分担

を求める、という形式を拒む必要はないように思われ、いささか分が悪い

と言わざるを得ない。

 

 この事例はユーザがクラブ的、互助的に発足させたサービスが次第に大

きくなり、大きな付加価値を生むとともに、費用も拡大する、というイン

ターネット上で極めて起こりやすい状況のもとで深刻なコンフリクトが生

じた例であり、今後ネットワーク化の進展とともに頻発する可能性があ

る。その意味で注目に値しよう。

 

 より概念的には、この事例はネットワーク上のサービスの価値生産にあ

たっての外部性を反映したものといえる。すなわちIGSの付加価値はユ

ーザがその上で囲碁を打つことであり、ユーザの参加なしにはネットワー

クの価値は全くない。逆にユーザは公共の場としてのネットワークの維持

に能動的に参加するインセンティブを持っている。たとえ物理的な設備の

所有権を業者が持っていようと「場」は自分達のものである、という意識

が働く。良く考えると、このような関係を維持するメカニズムはコンピュ

ータ・ネットワーク以前にもゴルフクラブなどの形で存在した。ネットワ

ークサービスにもそのような形態が今後見られるようになるのかもしれな

い。

 

<事例2>JW−CAD

 

 綾部・國領(1995)はCAD(computer aided design)用フリーソフ

トであるJW−CADがソフトウエア業界に巻き起こした波紋について報

告している。官庁に勤める技術者の手によるこのソフトウエアは専門雑誌

による最優秀賞を二年連続して受賞するなど、商業ソフトウエアに優ると

いう評価を得たほどの高機能ソフトウエアである。これが、ニフティサー

ブ上で無料公開された。

 

 このソフトウエアの大きな特徴はユーザによる支持を得て、ボランティ

ア的なユーザサポートの輪を作ったことである。これは筆者が「顧客間イ

ンタラクション」(國領(1997a))と呼ぶもので、ネットワークの上では

かなり広範に見られる。製品の使い方についての疑問やトラブルへの対応

を、製品の製作者ではなく、ユーザがお互いを助け合う形で行う。ボラン

ティア的に提供されているものだけでなく、商業的に売られているものに

もこれがかなり大規模に発生していることがある。顧客間インタラクショ

ンによるユーザサポートはしばしば商業的な製品提供者のサポートを凌駕

する顧客満足を生む。結果としてフリーソフトなど、提供者が必ずしもき

ちんとしたサポート体制を取れないものでも、顧客間インタラクションが

存在することで、高い顧客満足が得られることがある。JW−CADはそ

の好例となっている。

 

 無償の優秀なソフトウエアの存在は既存のソフトウエア業者にとって

は、極めてやっかいなことであったことは想像に難くない。事実、JW−

CADに対しては業界団体を中心に問題として取り上げられた。しかし、

商業的なソフト業者が製品に品質保証がないなどの点を指摘してJW−C

ADに対する攻撃を強めると、ユーザコミュニティから強い反発が出た。

パソコン通信の会議室や雑誌の投稿欄などに反論が多く寄せられ、商業な

パッケージも計算結果に起因する損害は補償しないこと、顧客間インタラ

クションによるユーザサポートが商業的ソフト業者のサポートに必ずしも

劣るものではないことが浮き彫りにされ、JW−CADに対する攻撃は逆

にその優秀性を際立たせることになった。結局このコンフリクトはフリー

ソフトがほぼ全面的に受け入れられる、という結果になった。

 

 さらに話を複雑にしたのは、ある雑誌がJW−CAD特集を組み、この

ソフトの使い方を解説した上で、ソフトウエア自体をフロッピーで添付し

たことである。これは最近ではCD−ROMを用いてよく行われる現象だ

が、ネットワーク上では無償で流通しているソフトウエアを業者が物理的

な媒体に記録し、有償で配布する。この現象はネットワーク上のソフトウ

エア無償流通の性格を端的に表しているものといえよう。ネットワークで

流れる時、デジタル財の供給は提供者にとって変動費ゼロである。さら

に、ユーザが自家用に作成し、固定費を回収ずみの財については無料で公

開しても何の損失もない。これに対して物理的な媒体で流す場合には製造

コスト、流通コストなどの形で変動費が発生するので、たとえ利益を全く

求めていなくても、何らかの形で価格をつけ、無制限なただ乗りを防がな

くてはいけない。

 

6.3 新しい協働のアーキテクチャを求めて

 

 本章の冒頭に述べたように、ネットワーク上に展開されつつあるボラン

ティア経済と商業経済を対立的にとらえる見方が一般的であり、6.2項

の事例などを見ても二つの世界は時に激しい摩擦を起こすことが分かる。

この論文のロジックに即して言えば、IGSは、ユーザ同士のインタラクシ

ョンというネットワークの外部性をフルに活用する開発を行ってきたデジ

タル財に対して、価格をつけるとき、方法を間違えると、肝心のネットワ

ークの外部性をそこなってしまうことがあるという例と解釈できよう。JW

−CADは、開発費の回収が、内面的な価値によってまかなわれてしまうこ

とがあり、これが商業的に開発をしようとする事業者の利害と鋭く対立し

うることを示している。

 

 しかし、同時に現実のネットワークの上では二つの原理が奇妙に仲良く

同居している場合も多いことを最後に強調したい。これは特に応用ソフト

の領域で顕著である。前述のhttp://www.vector.co.jp (1997年4月

現在)を見ても、シェアウエアとフリーウエアが同列に並んでいる。どれ

がボランティア的なもので、どれが商業的なものかの区別はつかない。有

料のものでもコスト回収のみを目的とし、利益を追求しないタイプのもの

もあるように見受けられるし、無償のものでも将来の有償化や、抱き合わ

せなど別の形の利益を求めて提供されているものもある。

 

 さらには筆者が「顧客間インタラクション」という視点で研究している

事例の中には、顧客が商業的な商品をめぐって活発な相互扶助を行い、メ

ーカーを助けている場合が見られる。5.2.3で紹介したHP200L

Xの事例などでは、顧客が200LXの機能を向上させ、商品価値をあげ

るような日本語化キットを自主的に開発し、無料で公開してしまった。ハ

ードウエア(物財)をめぐる商業的な世界と、ソフトウエア(デジタル

財)をめぐるボランティア的な世界が相互補完的に隣り合わせになってい

る。

 

 ボランティア経済と商業経済を対立的にとらえる考え方では、無償ソフ

トなどの世界において、その二つの現象が共存し、ともに拡大する傾向に

あることがどうしても説明できない。筆者は二項対立的な見方に対して、

営利的な経済活動も、奉仕的な経済活動も、どちらもが人間が協働するメ

カニズムであり、その調整メカニズムが異なるに過ぎないと考える立場を

取っている。この二つの世界がどのような形で統合していくのか、まだ予

断を許さない状況である。

 

 無償供与の事例ではないが、プラネットの事例(竹田(1997))はネット

ワーク上においてボランティア的な要素と商業的な要素をうまく調和させ

ている例として注目に値する。プラネットは日用雑貨業界においてメーカ

ー/卸間の電子データ交換のインフラストラクチャを提供している会社で

ある。業界トップである花王が独自のネットワークを構築し、強力な流通

体制を構築したのに対抗して、他の大手メーカーが大同団結して作られた

という経緯を持つ。相対的に小さなマーケットシェアを持つ会社が共通で

オープンなネットワークを持つことによって、囲い込み型のシステムに打

ち勝とうというのだ。その意味で業界VANながらも厳しい競争原理にもさ

らされてきた。

 

 プラネットは経営の効率性と意思決定の迅速性を確保するために(他の

業界VANの多くが第三セクターなどの公的な形態を取っているのに中で)

あくまで民間出資の株式会社の形態をとっている。出資者はユーザである

メーカーと通信事業者である。必ずしも経営的に成功しているVANばかり

ではない中で、プラネットはかなり高い顧客満足と経営的成功を収めてい

る。1997年時点で参加メーカーの数が急激に増加し、最大のライバル

と目されていた花王がついにプラネットに参加する意思表明を行うところ

まできている。

 

 プラネットの大きな特徴が利益はユーザであり、出資者であるメーカー

に還元する方針をとっている。ユーザが出資者であるというガバナンスの

構造があるがゆえに取れる方針だが、営利的な目的を持つ会社がネットワ

ーク上で協調行動を取り、経済全体にとってより効率的なシステムの運用

を行いえている例と考えて良いだろう。奉仕的な原理と商業的な原理が組

み合わさり、関係者のほぼ全てに高い満足を与えていると評価できる。

 

 プラネットの事例はほんの一例であり、全てがそんなにうまくいくかど

うかは分からない。プラネット自身も微妙な力関係の均衡の上に成り立っ

ているともいえ、その成功が永遠に保証されているわけでもない。矛盾が

解決しているとはまだとてもいえない。

 

 そんなことを心配する前にこれがどれくらい大きな問題であるかもわか

らない。本章で分析したようなボランティア性と商業性の緊張関係はごく

一部の業界に見られる特殊な現象で取るに足らないと割り切ることもでき

る。ただ、筆者自身は今後、経済のソフト化が進むにつれて、本章に分析

したような既存のフレームワークでは捉え切れないような経済現象が増加

し、社会的に大きな意味を持つ日が来るであろうと予測している。この論

文がその日が来た時に慌てないように理論的な準備をするきっかけを作る

ことを祈念している。

 

 

 

 

 

<参考文献>

 

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