高麗の郷(さと)

 

百済滅亡に引き続き、六六八年には高句麗が滅びて、朝鮮半島は新羅によって統一された。その際、高麗王若光(こまおうじゃっこう)は一族を引き連れて日本に亡命、朝廷の指示で大磯に上陸、各地に散在して、この地方の人たちに、鍛冶、建築、工芸など各種の技術を伝えた。若光は高徳の人で、文武(もんむ)天皇から従五位下の位と「王(こきし)」の性を賜った。若光の落ち着いた先が「高麗の郷」である。「高麗の郷」へは西武池袋線で行く。

 

それでは、「高麗の郷」へ参ろうか!

 参ろう!参ろう!

  

西武池袋線の高麗駅をおりればすぐに高麗の将軍標が迎えてくれる。

西武線を隔ててそれとは逆の方に歩いていくとすぐに国道199号線に出る。

それを少し右にいくと巾着田(きんちゃくだ)に向かう道に出るのだが、

わざと遠回りをして縄文時代の住居跡を見ることをお勧めする。

遺跡は、駅から歩いて10分か15分ぐらいのすぐのところにある。

国道のすぐ脇にあるからすぐに判るだろう。

4500年前の縄文時代中期の円形住居跡だ。柱を立てたのであろう穴跡が十数個ある。

 

高麗神社に行くには、巾着田のところから、いわゆる「かわせみ街道」をゆくといい。

左手に日和田山が見えてとてもいいハイキング道だ。

途中に、石碑があり、地蔵堂があり、とても感じのいい休憩所もある。

 

やがて、

右手の山麓に

 

聖天院(しょうてんいん)の大きな建物が見えてくる。

 

聖天院は、高麗一族の寺である。

高麗王若光(じゃっこう)の菩提寺として建てられたものである。

出世に御利益があるということで、

開運を願って訪れる人も多く、大きな駐車場がある。

駐車場には、例の将軍標がある。

 

堂々たる構えの山門は総ケヤキ造りである。

 

高麗神社もう近い。

やはり将軍標が駐車場にある。女将軍のお出迎えだ!

おお恐わ!

 

 

鳥居をくぐり、

長い参道を歩いていくと本殿に着く。

本殿は、

流れるような曲線を描いている屋根を持ち、

ともかく立派で、

随所に朝鮮文化を偲ぶことができる。

 

境内には、高麗家の住宅が建っている。

国の重要文化財に指定されている立派なものだ。

 

現在のものは

昭和51年に解体・復元されたものである。

茅葺きの屋根がいい!

 

 

八高線の高麗川駅までは結構長い田舎道を歩いていく。

高麗の郷が遠くに見える。

 

もうすぐに高麗川駅だ。