公共財事業のすすめ

 

 

                      平成15年1月17日

                      参議院議員 岩井國臣

 

 

はじめに

 今、青森県が燃えているようだ。新幹線が八戸まで開通したし、「縄文パワーで飛躍する青森」という本を読んでいると、まさに縄文パワーとしか言いようのない新たな息吹が感じられる。「もうひとつの日本・21世紀縄文型発展」というキャッチフレーズは、私も大賛成で、できれば建設業会のみなさんとそのための私的研究会を作れれば有り難い。

 

(高齢化社会をどう生きるか) 

 わが国は、世界に先駆けて高齢化社会になっていく。これはすばらしいことだ。これからのわが国における高齢化社会がどんな社会であるかは、もちろん、これからのやりようである。まさに私たちがどういう生き様を生きていくのか、そのことにかかっている。

私は、もうすぐ65歳になる。あと25年ほどは生きたいと願っているが、どうなることやら。しかし、希望は大きい。ゴルフもどうせやるのならエージシューターを狙いたいし、碁も6段ぐらいは取りたい。山にも行きたい。全国の神社仏閣も巡りたい。Juuu-Net(ジュウネット)を成功させたい。私の希望は多くてしかも大きい。欲深いのだろう。

私は、多くの人に希望はできるだけ多くしかも大きく持ってもらいたいと願っている。多くの人がそうすることによって、わが国の経済と社会は元気になる。生き生きとすると思うのだ。そういう意味で、これからのわが国における高齢化社会は、まさに私たちの生き様にかかっている。私たちが世界の地平を切り拓いていくのだ。実に楽しいことではないか。     

私たち老人も、生涯にわたって現役でなければならない。生涯にわたって勉強が必要だ。生涯現役。生涯学習。若い人を助けながら地域社会に貢献する・・・、こんな素晴らしいことがあるであろうか

(地場産業のビッグバーン)

 これからの地域社会は、都市も地方も、健康・福祉関連産業と観光等ビジター産業が主産業になる。どちらもサービス産業である。これらと建設業が一体化して公共財産業となるのかも・・・。ビジター産業には観光やリクレーション関係だけでなく、国際会議や国際交流などを含む。

 民間でやれるサービス産業は当然民間でやれば良い。しかし、民間でやれない介護や生活環境などのサービス産業は、行政でやらなければならない。道路や上下水道などの公共インフラは、当然、行政でやらなければならない。それら行政でやらなければならないサービスは、すべて公共財である。行政サービス資源と言っても良い。民間の経営資源は、いうまでもなく私的財であり、公共財とは峻別されるべきものである。峻別されるべきではあるが、公共財に民間の資金やノウハウを活用してはならないということではない。逆である。できるだけ地域にきめの細かいさ−ビスを提供するためには、民間の資金とノウハウを活用すべきなのである。それがPFIでありPPPなのだ。

 

 私は、公共事業という言い方はもうやめるべきだと考えている。公共財事業という言い方がいい。これからは介護や保育や環境などの生活関連の行政サービスが増えていく。建設業も、従来の道路や上下水道のインフラだけではなくて、そういった生活関連のソフトも含めた公共インフラ整備に乗り出すべきだと考えている。墓などの慰霊施設や矯正施設や教育施設なども、ソフトも含めて経営すればいいのではないか。そのソフトには地域の老人や婦人がNPOで参加する。ソフト含みの,NPO含みのPFIである。ソフト含みの,NPO含みのPPPである。

 

 

 

2、贈与経済の実践・・・NPO

 

(そもそも「ものとの同盟」とは? 世界は「東北」の出番を待っている。)

(PFIはどうなるか?)

(NPOと贈与経済)

 「モノとの同盟」とは、まあわかりやすくいえば、市場経済と贈与経済のドッキングである。株式会社のコンソーシアムが当然PFIの事業主体になるのであるが、地域プロジェクトには必ず地域の老人や婦人を含むNPOの活動できる分野をはめ込んでおく。株式社会の分野、それがもちろん大きい。それに比べて小さな分野かもしれないが、NPOの分野は、当然、贈与経済の世界である。これが大きい。これが人びとに精神的な充実を与えることができるのだ。私がかねがね言ってきた「活充」である。Juuu-Net(ジュウネット)は、「活充」の「充」をとって命名したネットワーク組織だ。

 

(21世紀の見通し)

 地域の建設業は、もちろん他の産業分野も巻き込んでコンソーシアムを作ってやるのだが、地域の建設業はNPOと連携して公共財事業をPPPでやればいい。地域サービスのNPOは、老人や婦人が主体であり、生活の知恵をはじめとしたさまざまな知恵がある。ノウハウがある。だから、地域の建設業と地域のNPOとが連携して行なう公共財事業は、ソフト面で随分きめの細かいサービスが提供できるはずである。建設業は、ここにおいて、地域サービス産業に大変身するのだ。

 

 これから21世紀のわが国の経済は、ビジター産業がリーディング産業となる。しかし、ビジター産業も、地域のサービス産業が成長しなことには、成長しない。地域のサービス産業と全国的ビジター産業は、共存共栄、密接不可分な関係にある。

 

(地域発展の核・町づくり型NPO) 

一方、NPOの立場で、その事業展開をどうすべきかを考えたい。まずは、既存のものでも新規のものでもいい、行政から補助が出ている公共的な事業、民間が事業主体の公共事業ということだが、そういう事業に焦点を当て、そのお手伝いをボランティアでやることを考える。ボランティアを基本とするので、それほど大きな活動資金はいらないが、それでもやはり活動資金が当然必要だ。

 

(NPOの資金集め)

@ いろんな人の意見を聞いて魅力的な事業計画を立てる。

A インターネットで資金を公募する。一口a円。n人。

B 必要額を超えた募金は次の事業に回す。

 

NPOの成功の鍵は資金集めにかかっており、それも結局は、どれだけ魅力的な事業計画がつくれるかということにかかってくる。しかし、それがNPOの本質というか贈与経済の本質であろう。そこに私たちは生きがいを見出していかなければならない。老人や婦人こそそれができる。要は地域のサービスなのである。地域のホスピタリティーなのである。

行政から補助金が出ている仕事において、関係者が地域の人々と一緒になって、花作りをしたり、ピクニックに出かけたりすればいい。音楽会などを開催したり、まあいろいろなことがあり得るのではないか。要は公的な仕事のお手伝いをするのだ。職員のお手伝いだってかまわない。また、そういう公的な仕事の宣伝をするのもいいかもしれないし、インターネットにおける全国ネットを使って情報のやり取りをするのもいいだろう。要は、公的な仕事というか社会的に意義のある仕事だから、地域の有志がそれをサポ−トするということなのである。

 

 

 

3、モノ的技術

 

(平和の技術としても性格)

 モノは、本来、タマとは別だが、タマより発生すると認識し、タマと一体のものだと考えるところから、「モノノケ」などタマの領域にあるモノを含んでいる。「モノ」は「モノノケ」と同じ認識にあるモノであり、「タマ」と同じ認識にあるモノである。そういう認識のもとでは、「モノ」をつくる技芸も「モノノケ」をコントロールする技芸も「タマ」を鎮める技芸も本質的には同じものである。

 すなわち、「モノづくり」の技術は、鎮魂の技(わざ)そのものでなければならないし、和魂(ニギタマ)の技(わざ)でなければならない。「平和の原理」にもとづくところの「平和の技術」でなければならない。すなわち、これからの技術というのは、「平和の原理」にもとづくものでなければならないのである。

 

(伝統技術としての性格)

 ハイデッガーの哲学、それは「光の哲学」ということだが、そういう現在の哲学が正しいかどうかということである。「立たせる力」とともに「立たせない力」というものがあるのではないか。中沢新一の「光と陰の哲学」のほうが正しいのではないかということだ。私たちは、今こそ、中沢新一の「光と陰の哲学」にもとづき今後の技術論を展開しなければならないのではなかろうか。ハイデッガーのいうところの「立たせる力」が余りにも急速にしかも力強く進んだために、その光に目が眩んでしまっているけれど、もともと「立たせない力」は存在するし、今も陰は薄いけれど「立たせない力」は働いている。私たちも含めて自然界にはこの「立たせる力」と「立たせない力」という二つの力が作用・反作用として働いているのではないか。この「立たせない力」という力をもっともっと働かせる技術開発をしていかなければならないのではないか。ハイデッガーの技術論ではなくて、中沢新一の「光と陰の哲学」にもとづく新技術論が今求められているのではないかということだ。

 新技術の開発とは、新しいものというか「立たせる力」により・・・今後ともよりどん欲に開発される新技術には安全の面、倫理の面からある程度の歯止めをかけ、逆に、古いものというか風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術についてはその保存と活用を図る・・・・、そういうものではなかろうか。前者を歯止め技術、後者を伝統技術と呼ぼう。

註:風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術の保全と活用を図るためには、もちろん今後の工学的進歩は必要であり、大いに力を入れなければならない工学分野として「風土工学」がある。「風土工学」については今までいろいろと書いてきたが、それらについては次を参照して下さい。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/dosekou.html

 

 

(モノ的技術の復権)

 このように考えていくと、これからの公共財事業において、株式会社が行なう補助事業を老人や婦人を主体とするNPOがソフト面で補完できる余地が随分あるのではなかろうか。人生豊かな老人や生活の知恵に富んだ婦人は、大いに子供や若者の先生になれるし、いろんなイベントでそれなりの重要な役割を担うことができる。これからは都市と農山村との交流或いは海外との国際交流が大事であり、それら交流にはお祭りやイベントがつきものだ。そういう祭りやイベントによって、国際交流を含むさまざまな交流が盛んになり、地域のサービス産業が潤うのである。人の往来の少ないところにサービス産業の発達はない。老人のことだけ言ってなんだけれど、人生豊かな老人の働く場所は地域のサービス産業にある。これからの老人の生きがいは地域のサービス産業にある。

 

 

 

4、モノとの同盟

 

(公共インフラの新展開)

 モノ的技術は、宗教の根源である「信」とか「礼」とか「善」など「心」の問題に深くかかわっている。今や「心」がおろそかになり、「物質的の増殖」はとどまるところを知らない。何とか「物質的な増殖」に歯止めをかけなければならない。むさぼらず、必要以上に奪うことなく、おおいなるもの(神)の前にはつつましく頭(こうべ)をたれなければならない。

 中沢新一が言うように、ネイティブ・アメリカンの精神的伝統やチベットの仏教的精神や神道の自然哲学に学ばなければならないのだ。大事なのは「祈り」だ!「心」だ!そういう「モノ的技術」は、公共インフラ(公共サービス)の分野で始めて可能になる。公共インフラは社会的正義に合ってないとダメである。公共サービスは人々の「心」に響かなければダメである。企業というのは儲かればいい。儲かれば悪いこともやりかねない。民間企業の本質はそんなもので、善もあれば悪もある。これからは、そういう「礼」とか「祈り」とか「心」のこもった公共インフラを整備していく、そのためのヴィジョンを考えなければならない。

 

(Civil Engeering(土木)の復権)

 今日の社会は、物があふれ、「物の増殖」がいよいよ勢いを増しているために、「礼」とか「祈り」とか「心」とか、「タマシイ」に属する部分はわが国でももはや陰が薄くなっている。物質主義と呼ぶ所以である。中沢新一が言うように、「今日の物質主義に精神なるものをもって対抗しても無駄なことだ!」・・・・「それよりも重要なことは物質でもなく精神でもないモノの深さを知って、それを体験することだ!」

 上述のように、モノ的技術、つまり商業主義を超えたところの技術、本来、技術の本質はそういうものであると思われるのだが、「タマシイ」のこもった技術を礼賛することを始めなければならない。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」ではなけれど、そういう陰翳の技術、タマシイの技術、鎮魂の技術にもう一度目を凝らさなければならない。それをなしうるのは、商業主義を超えたNonProfitOrganization(NPO)であろう。地域における公共サービスの部門、地域における公共インフラの部門にNPOが介在することによって、「モノとの同盟」が可能となる。先に「モノ的技術」が公共インフラ(公共サービス)の分野で始めて可能になると言ったのはそういうことだ。

 今後CivilEngineering(シビルエンジニアリング=土木)は、そういうCivilEngineering(シビルエンジニアリング=土木)の原点に立ち返えらなければならない。そいう意味で地域における建設業の大いなる変身が予定されていると思う。

 

 

おわりに

 世界の人びとは、日本においてそれを体験し、自国にその種を植え付けなければならない。それができれば、それが萌芽となって、世界レベルで「モノとの同盟」が行なわれていくのではなかろうか。 

 それが可能となれば人類の新たな文明が始まる。

 

 万象に天意を覚る者は幸いなり、国のため、人類のため。・・・青山士(あきら)

 

 

                              以上

 

 

 

Iwai-Kuniomi