出典:中沢新一の「人類最古の哲学・・・カイエ・ソバジュ・」(2002年1月、講談社)
  

「熊の主題を めぐる変奏曲」

 


●プーさんの人気の秘密

 ヨーロッパの民話や童話の最大の人気者といえば、それは熊でしょう。いろいろな名前をもった、魅力的な熊たちが登場してきます。いちばんの人気者 はプーさんでしょうか、それともパディントン駅に降り立った、あのかばんを下げたかわいらしい熊さんでしょうか。どの熊も、とても魅力的な心の持ち主で す。ゆったりとして争いごとを好まず、子供のように無垢(むく)でありながら、賢い老人の智恵をあわせ持っています。

 民話や童話には、狐やウサギや犬や猫や、ほかの動物たちもたくさん登場してきますが、熊の存在感というのは、ちょっと格別です。狐は「ずるがしこ い」と言われるだけあって、人をだましたり、予想の裏をかいたりするのが得意ですし、直球ばかり投げているようなウサギは、とても可愛らしい行動をしま す。犬は忠実、猫はちょっと悪魔的な奥深さをもった動物として描かれます。ところが、熊だけは、そういう類型をはずれているのです。

 行動はゆったりとして、ときどき間が抜けているようにさえ見えますが、じつはその智恵の深さは人間の智恵をはるかに越えて、遠い古代にまで届いて いるようです。熊はまるで夢見ながら思考しているようです。人間たちが困っているときに、熊がのっそりとした口調でなにかを教えてくれます。その教えを聞 くと、私たちははっとします。外の世界のあわただしい出来事に振り回されて、すっかり本来の自分のこころのあり場所を忘れてしまった人間たちに、これらの 賢い熊たちは、「ドリームタイム(夢見の時間)」からの伝言を伝えてくれるのです。

 熊はヨーロッパでは、サーカスや大道芸の人気者でもありました。愛らしい姿で描かれる童話の場合とちがって、今度はお客さんたちの目の前に、生身 の熊が登場してきます。現実の熊はいくらかわいいと言っても、北方の世界では最強を誇る動物です。熊のパンチは強烈ですし、あのからだにのしかかられた ら、ひとたまりもありません。その熊が、調教師たちがたくみに誘導して、おとなしい猫のように甘えたり、大きなからだで子供用の自転車に乗ってみせたりす るのを見ては、私たちはとても楽しい気持ちになるのです。

 熊の中にはこのように最強の動物としての凶暴さや、瞬発的な攻撃力や、人間の幼児のようなからだつきや、太極拳でもやりそうなゆったりとした動作 や、いつも夢見ているような無垢さや、古代的な深い智恵などが一体になっています。そのために、動物園に行っても、パンダをはじめとする熊類の動物は、こ とに子供たちに人気がありますし、いまだに童話やアニメにはかかせない登場人物となっています。

 

 

●熊神話の環

 ヨーロッパばかりではなく、シベリア地方でも、北アメリカ大陸のイ ンディアン世界でも、人々は熊という動物には、きわめて古い時期から、格別の関 心をしめしていたようです。熊をとおして、人間は、自分に生きる糧(かて)をあたえてくれる自然との関係を、考えようとしてきました。また 巨大なからだと 強い力を持つ熊という動物について思いをめぐらすことで、人間は自分たちの能力をはるかに凌駕(りょうが)している「超越的なもの」について、思考しよう としてきました。熊はのちに民話や童話にすがたを変えていく神話の思考に、豊かな糧をあたえていたばかりではなく、「超越的なもの」をめぐる思考、すなわ ち宗教の発生にも深い関わりを持つ動物となったのです。

 そればかりではありません。熊は冬になると穴に籠(こ)もって冬眠をします。このときの冬眠用の穴は、地面を掘ってつくられた穴か、自然の洞穴な どが用いられます。そのために熊は「大地」の下にある世界と深い関わりがある動物だと考えられたり、「死」を身近に感じさせる動物であるとも、考えられる ことが多かったのです。

 いずれにしても、人間と動物の世界とのつながりを考える神話的思考にとって、熊は特別な動物でした。とくにユーラシア大陸の北部では、きわめて古 い時代、そう、旧石器時代の後期から、すでに熊は人間にとってもっとも重大な意味をもつ動物として、扱われていたようです。熊はまさに「自 然の王」「森の 王」でしたから、人間は熊を通して、自然や超越性について思考しました。そのために、熊に関わる神話は、動物との関わりを語る、いちばん古いタイプの神話 をかたちづくったのです。人間と山羊や羊やジャガーなどの関わりを語る物語は、多くの神話に語られていますが、そうした神話そのものの原型は、熊をめぐる 原神話(プロトミス)だったのではないでしょうか。

 アメリカ大陸に豊かな文化を築き上げたインディアンと呼ばれた人々(ネイティブ・アメリカン)が、もともとは一万数千年前に、バイカル湖周辺から 移動してチェコト半島にまでたどり着き、そこから氷結したベーリング海峡を渡ってその大陸に入り込んだ人々の子孫であることは、よく知られている事実で す。彼らは北東アジアの故地で語られていた神話を携(たずさ)えて、ベーリング海峡を渡っていったことでしょう。そしてわずか数百年の間にアメリカ大陸を 縦断して、ついにはペンギンたちの群れている南米大陸の突端にまでたどり着いたのでした。

 アラスカから南極まで、じつに広大な領域を踏破していったものです。その間には、見知らぬ自然の景観と出会い、見たこともない動植物と出会ってき たことでしょう。とくに北緯四〇度をすぎたあたりからは、大型の熊は生息しなくなります。そのとき、インディアンの祖先たちは、自分たちがアジアから伝え てきた熊をめぐる重要な意味をもつ神話が、リアリティを持たなくなっている世界に入り込んで、はじめはさぞや当惑したことでしょう。

 しかし、彼らはすぐに気を取り直して、身の回りの動物や植物の世界を見渡して、ここにはもう熊はいないけれど、熊と同じ働きを神話の中で演じてく れそうな、山羊やジャガーがいるではないか、彼らを主人公にして、同じメッセージを伝えることのできる、新しい神話を作り出してみよう、と思い立ったはず です。もとの神話を変形することによって、つぎつぎと新しい魅惑的な神話が作られていきました。

 あるいは、こういうことがおこったのかも知れません。熊を主人公とする神話を通して、人間と自然の関係を思考してきた人々が、他の動物たちの生態 に目をつけて、もともとの熊神話を変形して、新しい神話をつくりだし、それによって、自分たちの知的財産である神話のレパートリーを豊かにしようとした- ---いずれにしても新石器時代に原型がつくられた神話にとって、熊はもっとも重要な位置をしめる動物だったので、そのあとにつくられたどんな神話も、熊 神話の構造からなんらかの影響を受けることになったのです。 

 こうして、たとえばサハリン(樺太)島のニヴフ族に伝えられている 熊神話が、かたちと登場人物を変えて、北米と南米のインディアンたちの間に、 ジャガーや蝶々を重要な登場者とする神話として見いだされることになるのです。

 

●ふたたび「鳥の巣あさり(Bird Nester)」神話へ

 ニヴフ族は熊を主人公にした、つぎのような神話を伝えています。

 

 ある村で一人の男が狩りに出かけて、熊の足跡を見つけた。村へ戻ってきて知らせた。足跡を追うために彼は人を集めた。そして人々は足跡をつけて 行った。熊は海へ向かい、下へ降りて、崖の下に巣穴をつくって棲んでいた。大変に険しい崖だった。人が降りることはできなかった。人々は崖っぷちに着く と、立ち止まった。「さあ、誰が下へおりるか。」一人が「じゃあ、私を縛って下ろしてくれ」と言った。そこで皮紐で彼を縛り、上から巣穴へ下ろすと皮紐を 手放し、彼の方へほうり投げた。人々はそれから村へ帰って行き、仲間を置き去りにした。仲間には食べるものが何もなかった。それで巣穴の傍にいて、腹を空 かせていた。それから皮紐を食べた。その後、ある時眠っていると、熊が「さあ、わたしのところに入って来なさい」と言っている夢を見た。それから目が覚め ると彼は熊の巣穴に入って行き、熊のそばに横たわった。眠ると夢で熊がこう言った。「もしお腹が空いたら、小指を吸いなさい。水が飲みたくなったら、もう 一方の小指を吸いなさい」と熊は言った。目が覚めると、「腹が空いた」と思った。そこで彼は熊の片足を持って吸いはじめ、存分に吸った。それから「水が飲 みたい」と思った。そこで熊のもう片方の足を持って吸うと渇きが癒された。

 とうとう春がきた。そして熊は外へ出ようとしていた。彼が眠ると夢で熊が言った。「わたしは明日起き上る。わたしが外に出たら、おまえはわたしに よじ上って私の背に乗っていなさい。そして、自分の村に帰ったら、三匹の犬を縛ってわたしのところに寄こしなさい」と熊は言った。翌日男の主人は外へ出 た。男も外へ出て、熊の背に馬乗りになった。すると、熊は崖の上に上がって、立ち止まった。それで男は降りて、自分の村に帰った。三匹の犬を縛って熊に 送った。一年扶養してもらったお礼に三匹の犬を送った(シュテルンベルク、 一九〇八年。荻原眞子『北方諸民族の世界観』草風館、一九九六年)。

 

 海岸べりの崖にある洞窟の入り口に、仲間から置き去りにされてしまった主人公は、しかたなく熊の巣穴に入っていきました。食べるもの飲むものを、 仲間は置いていってくれなかったので、飢えと渇きですっかり衰弱してしまいましたが、その巣穴で冬眠中だった熊に助けられて、春までそこで眠り続けて、命 拾いをします。熊が手のひらに塗りつけた蜜などをなめて、からだを養うことができたからです。冬眠からさめた熊は男を崖の上にまで運んでくれますが、この ときお礼に犬を三匹、自分に送って欲しいと頼みます。

 この神話にはいろいろは異文があります。いちばん問題になるところは、どうしてこの男が仲間によって熊穴のある崖に置き去りにされたか、と言うこ とでしょうが、これについては、男がけんか好きでしかも臆病でみんなから嫌われていたとか、いつも人に悪態ばかりついていやな奴だったからとか、その男の 妻に仲間の一人が横恋慕していたからだ、などと理由づけがされていますが、いずれにしても、神話的思考にとって重要なことは、男が社会から切り離されて、 陸地と海のちょうど中間にあたる崖の中程に、放置されてしまい、空腹に苦しんでいた、ということでしょう。

 

 

●調理の火

 さて、ここで私たちはサハリン島から数万キロも離れている、南米大陸のアマゾン川流域にすむティンビラ族のもとに、ひとっ飛びしてみます。驚くべ きことに、私たちはそこにこのニヴフ族の「親切な熊」の神話ときわめてよく似た、つぎのような神話を見いだすことになるのです。

 

 ある男がアララ鳥の巣を、険しく切り立った崖の中腹に見つけた。男はまだ少年である自分の妻の弟、つまり義弟を呼んできて、崖を登って鳥を捕って こさせようとした。アララ鳥の羽からは、よい飾りがつくれるからである。高い木を切って梯子(はしご)にして崖に立てかけ、少年はそれを伝ってがけの上に ある巣に登っていった。巣に近づいて手を伸ばすと、ひな鳥たちがいっせいに攻撃してきた。少年は怖くなって逃げようとした。怒った男は梯子をはずして、少 年を高い崖に置き去りにして、村に帰ってしまった。

 お腹がすいているし、のども渇いて、少年は死にそうに苦しかった。アララ鳥たちは少年の上に糞をして、少年を糞だらけにした。おかげで鳥たちは少 年のことを怖がらなくなった。

 そのとき、一匹のジャガーが崖の下を通りかかった。ジャガーは地面に少年の影を認めた。ジャガーは上を見上げて言った。「そんなところで何をして いるんだ」。少年は事情を説明した。「アララ鳥を捕まえて、わしに投げ下ろしてくれないか」。少年が言われた通りにすると、ジャガーは喜んで「わしの背中 に飛び降りてこい。助けてやろう」と言うのだった。はじめは怖がっていたが、思い切って少年はジャガーめがけて飛び降りた。ジャガーは両の手のひらで少年 をみごとに受け止めてくれ、背中に乗せて、ジャガーの村に連れていってくれた。

 ジャガーの村には、すばらしい調理の火があった。そのころはまだ人間は火を持っていなかった。ジャガーはその火で、炙(あぶ)った肉を食べてい た。ジャガーの妻は少年を嫌った。それというのも、少年が焼き肉を食べるときに、チューチューといううるさい音をたてるからだ。夫のジャガーが狩りに出た あいだ、妻のジャガーは少年を脅かし続けた。このことを夫のジャガーに話すと、弓矢を渡して、また妻が怒りだしたらこれで射ろと教えるのだった。

 少年は自分に向かってきた女ジャガーに矢を射て、大急ぎで村に逃げ帰った。帰り道をジャガーが教えておいてくれたからである。村にたどり着いた少 年は父親に、ジャガーの村には調理の火があるんだよ、と告げた。そこで村いちばんの足の速い男を選んで、ヒキガエルと一緒にジャガーの村に送りだした。 ジャガーの家につくと、男ジャガーは狩りに出て留守で、女ジャガーしかいなかった。そこで人間の男は火を全部奪って逃げ出した。女ジャガーは、全部持って いかないでおくれ、と頼んだが、炉の火は全部奪われてしまった。こうして人間は火を手に入れたのである(クルト・ニムエンダジュ『東部ティンビラ族』一九 四六年)。

 

「調理の火の起源」を説明する神話を、アマゾン川流域のインディアンは、「崖の中腹に取り残される男」という、狩りの能力の獲得を説明するニヴフ族 の神話と同じ構造を利用して、語り出そうとしています。ニヴフ族では、熊狩りのために崖の中腹の巣穴に取り残された男を親切な熊が助けてくれます。ここで は、装飾品をつくるためにアララ鳥の羽を捕りに、崖の巣に登って取り残された少年は、下を通りかかった親切なジャガーに救われ、調理の火という貴重なもの を手に入れることになります。

 この神話にも、付近のインディアンたちのもとには、たくさんの異文があります。そこでは、どうして少年が崖に取り残されることになったのかを、い ろいろに説明しています。

 その一つで、近くのボロロ族は次のようにこの神話を語りだしています。

 

 ある日一人の女が森に入っていくと、息子の一人がこっそりとついて行って、彼女を犯した。夫はそのことに気づいて、復讐しようとして、息子に険し い崖の中腹にある金剛(こんごう)インコを捕まえにいこうと語り合った。父親は崖の麓(ふもと)に着くと、長い棒を架け渡して、それを伝って金剛インコの 巣まで上がってこい、と息子に命じた。息子が高い崖に登り着くと、父親は棒をはずして、息子をその場に取り残して、村に帰ってしまった。若者は飲み物も食 べ物もない、崖の巣に置き去りにされたのだ(レヴィ=ストロース『生のものと調理したもの』)。

 

 ここから少年の冒険がはじまります。少年は最後に(火ではなしに)水をコントロールする能力を手に入れることになります。ここでも、天界と地上の まんなかに置き去りにされた少年が、親切な動物たちの助けによって、超自然的な能力を獲得する、というエピソードが語られます。

 

 

●『神話論理』の開幕を告げる

 これはレヴィ=ストロースが著した全四巻におよぶ『神話論理』の第一巻『生のものと調理したもの』の冒頭の部分に、知的大冒険の開幕を告げる 「キー・ミス(鍵となる神話)」としておかれて有名になった、ボロロ族の神話です。この神話が、先ほど紹介したサハリン島のニヴフ族の神話と、とてもよく 似た構造を土台に用いてつくられていることは、すぐにわかります。おたがいの間には、つぎのような「変形」関係があります。

 北東アジアでは「熊の巣をあさる」話であったものが、アマゾン川流域では「鳥の巣をあさる」話になり、出てくる動物たちの種類も違えば、話の結末 も別のかたちに変わってはいますが、私たちのうちにそなわった「形態の類似性を認識する」直感力は、この二つの神話が同じ構造をもっていることを、はっき りとつかみとります。二つの神話は、とてつもない距離を隔てて発見されています。しかしこの類似性を偶然のものとして、片づけてしまうことはできそうにも ありません。

 北の動物である熊とジャングルの動物ジャガーの間には、たくさんの共通点があります。どちらもとても強大な力を持つ動物で、火や武器を持たないか ぎり、人間などがまともに立ち向かえる相手ではありません。それに北の世界にも南の世界にも、「シャーマン」と呼ばれる魂の専門家たちがいますが、この人 たちは熊やジャガーと特別なつながりがあると主張しています。シャーマンはトランス状態の中で、熊やジャガーに出会うと、それぞれの世界では語られていま すし、シャーマン自身が熊やジャガーに変身することができると信じられているのです。

 熊とジャガーは、どちらの世界でも、超自然的な力の領域の支配者である、と考えられています。神話の主人公はそういう動物たちと出会って、その好 意を得るためには、崖の中腹に取り残されたり、高い木のてっぺんに置き去りにされる必要があるようです。動物の「巣穴をあさる」ことには、どうも重大な意 味が隠されているようです。その好意が「媒介機能」を発揮して、動物の持つ超自然的な力との接触を、可能にしてくれるのです。

 

 

●北米インディアンはこう変形した

 そのことは、北米大陸インディアンに伝えられている、つぎのような神話をとりあげてみると、もっとはっきりするでしょう。これはクラマス族の語る 神話です。

 

 クムカムチ神にはアイシシュという息子がいた。クムカムチはその息子の美しい妻たちに横恋慕したのである。息子の妻たちを手に入れるために、高い ケナワの木に巣をつくっている鷲を取りに行くように、息子に命じた。アイシシュに着ているものを全部脱ぐように命じて、息子は素っ裸で木に登った。しか し、そこには鷲の巣などはなく、それどころかみるみるうちに木の幹は高く伸びて、とうとう降りられないほどになってしまった。

 クムカムチ神はそのあいだに息子の着ていたものを身につけて、そっくりになりすまして、妻たちのもとに出かけた。アイシシュの妻たちを手に入れよ うとしたが、彼女たちはニセモノと思って、相手にしなかった。

 木の中程の鳥の巣に取り残されたアイシシュは食べ物も飲み物もないので、すっかりやせ衰えてしまった。二匹の蝶々が鳥の巣の中でぐったりしている 彼をみつけた。親切な蝶々は水や食べ物を運んできてくれた。そして籠に入れて、彼を地上まで運びおろしてくれたのだ。こうしてアイシシュは村に帰ることが できた(クロード・レヴィ=ストロース『裸の人間』一九七一年)。

 

 このように、太平洋を取り囲むようにして、アジアとアメリカの広大な領域にまたがる三つの地域で、同じ構造を用いた神話が語られていたことがわか ります。一つは、南米のアマゾン川流域のジャングルの中にすむ人々によって、もうひとつは北米のカリフォルニア・インディアンと北西海岸部のインディアン のもとで、そしてもう一つはアムール川流域とサハリン島にまたがってすむ人々の記憶の中で。

 海に向かって落ちていく崖の中腹や、岩山にある崖の中腹、あるいはとてつもなく高い木の中程の鳥の巣などに、親族や仲間によって置き去りにされた 主人公が、いろいろな動物の助けによって地上に戻ってくることができるのですが、そのときには狩りの能力や火や水をコントロールする能力などを手に入れて いる---こういう構造上の一致は、そうそう偶然におこるものではありません。

  この三つの地帯で、同じ構造を用いた神話が見いだされるということには、とても大きな意味があります。一万数千年前アメリカ大陸に渡っていった 人々の原郷が、バイカル湖の周辺であったらしいことは、今日の考古学の研究によってあきらかになったことですが、そのうちの初期の移動によってこの大陸に 入り込んだ人々が持っていた、きわめて古いタイプの文化が、どうやらアマゾン川流域のジャングルに入り込んだ人々とカリフォルニア・インディアンのもと に、残されたらしいからです。アメリカ大陸を縦断する神話学の旅を敢行したレヴィ=ストロースが、アメリカ神話学の宇宙全体の出発点であり到達点である神 話を、例の「鳥の巣あさり」神話に設定したのは、そういう理由によるのです。

 そして、わがニヴフ族は、バイカル湖周辺に後期旧石器時代からいた人々の、直接の子孫たちです。私たちは、とてつもなく長い時間を隔(へだ)てな がらも変化しなかったものの、生きた実例を前にしているのではないでしょうか。モンゴロイドの長い長い旅の間、揺れて壊されたり、洪水や嵐に持ち去られた り、火に焼かれたりして、消え去ってしまう可能性はおおいにあったことでしょう。それにもかかわらず、壊れなかった構造が、いまも生き残っている---こ れはたしかに一つの仮説にすぎませんが、こうやって考えてみるとき、はじめて見えてくることがたくさんあることも事実です。

 

 

●「熊の王」から「鮭の王」への変形

 ここに、日本の東北に伝えられたつぎのような伝承をつけ加えてみる と、神話的思考の強靱な生命力に、さらに深い感銘を受けるにちがいありません。 東北から北海道にかけては、縄文時代以来、熊や鹿の狩猟とともに、鮭と鱒の漁労がさかんにおこなわれていました。これは、アムール川流域諸族や北亜アメリ カ北西海岸のインディアンの場合と、まったく同じ状況です。森の王者が熊ならば、さながら川の王者は鮭なのです。そのために、鮭についての神話の思考は、 熊について考えた場合と、とてもよく似たパターンを利用しています。ニヴフ族の熊が、ここでは鮭たちの王である「鮭の大助」に姿を変えて、 海上の島の巨大 な松の木にある鷲の巣に置き去りにされてしまった主人公を助けるのです。

 

 気仙郡竹駒村の相川と云ふ家に残る昔話である。此家の先祖は三州古河ノ城主であったが、織田信長との戦に負けて、遥々と奥州へ落ちのびて某所に棲 まつて居た。或日多くの牛を牧場に放して居ると、不意に大きな鷲が来て子牛を攫つて飛び去つた。主人は大に怒って、如何にしても彼の鷲を捕らへなくてはな らぬと言って、弓矢を執り、牛の皮を被り、牧場にうづくまって鷲の来るのを五六日の間待つて居た。其中に心身が疲れてとろとろつと睡ると、やにわに猛鷲が 飛び下り来て、主人をむんずと引つ提げたまま、杳冥遥かと運んで行つた。

 主人はどうとも為す術がないので体を縮め息を殺して、鷲のする通りになって居ると、遠くの海の方へ行く。そして或島の巨きな松の樹の巣の中へ投げ 込んだまま、また何処ともなく飛去つた。

 主人は鷲の巣の中に居て、はて如何かして助かりたいものだと思つて、周囲(あたり)を見回すと、巣の中に鳥の羽がたくさん積まれてあつた。そこで 其を集めて縄を綯(ぶ)つて松の木の枝に結びつけて漸(や)つと地上へ下りたが、それからは如何する事も出来ぬから、其の木の根元に腰をかけて、思案に暮 れて居た。

 其所から何処から来たのか一人の白髪の老翁が現はれて、お前は何処から此所へ来たのか、何の為に来られたか、難船にでも遭つたのなら兎にも角にも こんな所へ容易に来られるものではない。此所は玄界灘の中の離れ島であると言つた。主人は今までの事を物語つて、如何かして故郷へ帰りたいが、玄界灘と聞 くからには既に其望みも絶えてしまつたと歎くと、老翁は、お前がそんなに故郷へ帰りたいなら、俺の背中に乗れ。さうしたら、必ず帰国させて遣ろうと言つ た。主人は怪訝(けげん)に思つて、それではお前様は何人で、また何処へ行かれるのかと訊くと、俺は実は鮭ノ大助である。年々十月二十日にはお前の故郷、 今泉川の上流の角枯淵(つのがんぶち)へ行つては卵を生む者であるとのことであつた。そこで恐る恐る其の老翁の背中に乗ると、暫時(しばらく)にして自分 の故郷の今泉川に帰つてゐた。斯う謂う訳で、今でも毎年十月の二十日には礼を厚くして此羽縄に、御神酒供物を供へて今泉川の鮭漁場へ贈り、吉例に依って鮭 留数間を開ける事にすると謂ふのである(『佐々木喜善全集T』遠野市博物館、一九八六年)。

 

この話は大正十四年(一九二五年)の冬頃に、岩手県の未崎村という所で、民俗学者の佐々木喜善(ささききぜん)が、及川與惣治という人から聞いて、 『聴耳草紙』に載せたものです。この佐々木喜善という人は、岩手の生まれで、子供の頃からいろいろな昔話を老人から聞かされて育った人でした。上京してか らは柳田國男と知り合い、彼にたくさんの話を聞かせて、それをもとにして有名な『遠野物語』が書かれたのです。

 「鮭の大助」の話は、とても興味深いものです。話自体は、数百年前のご先祖が実際に体験した話を伝えているように語られていますが、「環太平洋」 をへめぐって、熊やジャガーをめぐる狩猟民の神話をかいまみてきた私たちは、この話がその程度の意味をもつものではなく、人類的な深い記憶の層から呼び出 されてきたものであることを、知っています。

 

 

●昔話から神話へ

 これを伝承している相川家は、この地方で古くから(縄文時代から!)盛んに行われてきた、鮭漁に深い関係を持っている一家です。産卵のために今泉 川を遡行してくる鮭の群れにたいして、「鮭留数間を開ける」ことによって、乱獲をしないようにいましめている話です。このあたりでは、「鮭の大助」と言え ば、鮭の大群を率いて、産卵のための困難な旅のリーダーとなって川を遡(さかのぼ)ってくる「鮭たちの王」だと考えられていました。

 一〇月の二〇日の前になると、この「鮭の大助」がすさまじい叫び声をあげながら、川を上ってきます。その叫び声を聞いた者は、即座に死んでしまう といわれていたこともあって、この日の夜には、みんな家に籠もって、外に出歩かないようにしていたほどでした。

 その鮭の王者との出会いを語るこの話は、外見は昔話風に変えられていますが、詳しく見てみるとわかるように、人々の生活や自然観察に密着した「具 体性の論理」としての、神話のはっきりとした特徴をそなえています。じっさいにこの地方で、縄文時代以来ずっと鮭漁をおこなってきた人々の思考から生み出 されてきたもので、けっして話し上手の芸人によってつくられたり、運ばれたりしてきたものではないと思います。話の芸人ではなく、「神話作者Myth Maker」が語り伝えてきたものとして「環太平洋」的な性格を、保存してきたのでしょう。

 まず、この話には二つのタイプの「狩猟」が語られています。一つは この話の背後にある「鮭漁」ですが、もう一つは鷲の狩りで、これはとても面白い 罠猟のやり方をとっています。狩人自身が、牛の皮をかぶって中に籠もり、それを鷲が襲ってくるのを待つのです。狩人自身が「餌」になって罠をかける、こう いうタイプの狩猟のやり方は、アメリカ・インディアンがもっとも得意としてきたものです。一例をあげましょう。平原部にすむマンダン族は、地面に大きな穴 を掘って、狩人はその中に身を隠し、上手にふたをして、その上にウサギの死体などを置きます。上空からこれを発見した鷲が急降下してきます。そして餌につ かみかかったところを見計らって、鷲の足をむんずとつかむのです。

 このタイプの狩りでは、狩人自身が「餌」や「死体」になります。すると大鷲は彼をさらって、大海の中の孤島に生えた巨大な松の木の上の巣に連れて いき、そこに放り込んだまま、何もせずに去っていきます。そこへ鮭の大助があらわれて、狩人を助けて故郷に連れ戻してくれます。本人が死人と同じ立場にな る、ということは短期間だけれども、狩人は社会から切り離されていることになります。

 これをマイナスの価値で表現すれば、みんなから「見捨てられる」ということになるでしょうが、そうすると、「鳥の巣あさり」神話では親切なジャ ガーや蝶々(これは死の生物です)があらわれて、主人公を救ってくれましたし、アムール川流域諸族の「慈悲深い熊」神話では、大地の穴に眠る「死の生き 物」である熊が、主人公を救って、崖の上まで送り届けてくれました。ですから、岩手の伝承に語られる鷲の狩りにも、それと同じ意味が、もともとはこめられ ていたのではないか、と推測することができます。

 とてつもなく遠いところにあるという「玄界灘」の孤島に生えた巨大な松、その枝につくられた鷲の巣。数奇な運命によってそこへ運ばれると、「鮭の 王」との出会いが果たされるのです。この伝承はどうやら、アムール川流域の 古いタイプのモンゴロイドたちが伝える「慈悲深い熊」の神話や、南北両アメリカ 大陸に伝わった「鳥の巣あさり」神話群と、密接な関係を持っていそうです。この地方で、鮭漁を古来からおこなってきた人々が伝えてきた神話が、近世になっ てもあまり手を加えられることのないままに、ついこの間まで、生き生きと伝承されていた---このような考えが正しいとすると、これはまことに重い意味を もった伝承ということになるでしょう。

 どうやら私たちは、「東北」とか「日本」とかいう概念を、いままで 考えられてきたことをはるかに超えて、思い切って拡大して考えていかなくてはな らないのではないでしょうか。少なくとも、神話についてだけ言えば、熊と鮭の生息していた「北方半球 Northern Hemisphere」は、ひとつながりの世界と考えなくてはならないようです。

 

 

●神話から歴史へ

 「鮭の大助」をめぐる岩手県気仙地方の言い伝えは、神話的思考の驚くほど強靱な生命力を思い知らせてくれます。一万数千年ほどの時間の厚みを蓄え 込んだ一つの思考が、歴史の時間をかいくぐって、たくみに変形や偽装をこらしながら、したたかにいきつづけてきたのですからね。しかし、遠野地方に伝えら れた次のような伝承を見ると、神話的思考の生命力というものに、あらためて驚くことになるのではないでしょうか。

 その話というのはこうです。さっきの話と同じ人物が主人公で、いわばその話の後日談になりますが、鮭の王様に助けられて今泉川のほとりの故郷に 戻ったこの男、才覚を認められて鮭漁場の「帳付」となりました。ということは、話の舞台は近世です。

 おりもおり、今泉と川ひとつ隔てた高田との間には、つねに鮭漁場の境界争いが絶えませんでした。ときには死人さえ出るしまつで、これまではなんと かこの男の仲裁でことなきをえていたのですが、ある年鮭が大変に不漁の年があり、人の気持ちもすさんで、いつもより境界争いも激しく、この男がいくら説得 しても、闘争はおさまらなくなりました。

 そのとき、この人は意を決して川のまんなかに進み出て、大音声でこう呼ばわりました。「今泉の衆も、高田の衆も、ようく聞いてくれ。今度ばかりは いくら俺ががんばっても、事態は少しもよくならないばかりか、こうして日夜喧嘩ばかりが続いている。そこで俺はこの場で死んで、争いを納めることとした い。皆様は俺の首の流れる方を今泉の漁場とし、胴体の流れる方を高田の漁場としてくれ。ではみなの衆、さようなら」。そう言うが早いか、男は刀で自分の首 を掻き落として亡くなりました。その男の自害したあとには中州ができて、自然と両村の境界となり、川争いもおさまったと言います(『聴耳草紙』)。

 鮭の漁場をめぐっての人々の争いをおさめるために、自分の首と胴体を切り離して、自己犠牲をとげるこの人こそ、みずからが鮭の大群を率いて川を遡 上し、産卵という種族の大業をみごとに指導してなしとげてきた「鮭の大助」、その人にほかなりません。「鮭の大助」に助けられたこの人は、自分が「帳付」 として監督する世界の危機に直面したとき、今度は自身が「鮭の大助」となって、偉大な自己犠牲の精神を発揮して、この世界を救おうとしたのです。まさに 「鮭のために生き鮭のために死んだ」と言えましょう。この先祖は、神話の力によって「鮭によって生き」たのですが、この神話の思考は歴史上の人物に姿を変 え(たぶん、これとよく似た実話があったのでしょうね)、今度は「鮭のために死ぬ」ことによって、人々を生きさせようとしたわけです。

 熊を主題とする神話的思考のさまざまな変奏曲は、北東アジア(ここ には、日本の東北地方や北海道を加えることができます)から南北アメリカ大陸に わたる広大な地理的空間にまたがって、モンゴロイドたちの思考をとおして奏(かな)でられてきましたが、またそれは歴史的時間の中にまで潜り込んで、一万 年以上もの時間を隔てながら、人間と自然の奥深いつながりを 歌いあげるその調べを、私たちのもとへ届けてくれているのです(二〇〇二年一月二一日 於中央 大学大学院)。

 

 

又兵衛人形と又兵衛の祭壇

(谷川健一編集『鮭・鱒の民俗』三一書房)

「変形」のプロセスはまだ続く。神話的思考はさらに深く歴史の現実の中に侵入して、いまもつづいている一風変わったお祭りまで、つくりだす。岩手県 宮古市津軽石では、「又兵衛人形」なる藁人形をこしらえて、その周りで「又兵衛祭」をおこなっているが、それはこんな「歴史」に由来している。「津軽藩が この地方の鮭漁を経営していた頃、役人に来た後藤又兵衛は、鮭は豊漁なのに米は凶作続きで、餓死者まで出るさまをみて、禁令をおかして自由に住民に鮭を捕 らせた。そのために逆さはりつけの極刑にされた。彼の人間愛を銘記するために。住民は刑死した又兵衛の姿を藁人形につくって祀り、豊漁を祈念する祭りをは じめた」(神野喜治「鮭の精霊とエビス信仰」)。「鮭の大助」伝承が歴史化されるとき、自らの命を人間に贈与してくれる動物霊は、人間愛によって悲劇的な 運命に見舞われた恩人に変形されていくのである。

 



注:以上は、私たちの勉強のため、 中沢新一の「人類最古の哲学・・・カイエ・ソバジュ・」(2002年1月、講談社)から引用させていただきました。中沢新一先生に深く感謝します。