「いわき」で語るべき三つ目の重要テーマは「東北」の何たるかに少しでも迫ることである。「東北」である。「東北」の心である。「東北」のスピリットである。
21世紀における世界平和のために、私たちは「東北」の心を養わなければならない。私たちは、「東北」のスピリットを身体の中に取り入れて、それを薫習(くんじゅう)させながら、「平和の民」としての心を養わなければならないのである。「東北」のスピリットは、もっとも東北人らしい感性豊かな人から取り入れることができるだろう。もっとも東北人らしい感性豊かな人の代表は宮沢賢治や草野心平であろう。草野心平は「いわき」の人である。
草野心平は「いわき」の小川の人である。ちょうど今年が生誕100年で、それを記念して心平の詩の朗読会が、5月12日、小川町上小川の生家の前庭で開かれた。朗読会は、いわき市立草野心平記念文学館の主催で、地元の市民や茨城県北茨城市の女性グループなど約100 人が参加した。参加者自らが選んだ「上小川村」などの詩を次々と朗読。集まった人たちは静かに耳を傾けて、 “蛙(かえる)の詩人”の原風景を満喫したもよう。最後に・・・心平が1946年に作詞し、歌い継がれてきた「小川の歌」を全員で合唱した。草野心平を語る前にまずその「小川の歌」を紹介しておきたい。
作詞 草野心平
作曲 深井史郎
東北人らしい感性豊かな人は、言うまでもなく「平和の人」である。「平和の人」宮沢賢治と・・・・「平和の人」草野心平をもういちど思い出して欲しい。
宮沢賢治を世に出したのは草野心平である。草野心平が中国は広東市の嶺南大学の学生であた頃、その2、3年前から猛然と詩を書き始め、すでに手作りの薄い小冊子ではあるが何冊かの詩集を次々と作っていたし、詩を書く仲間もすこしづつできかかっていた。そういう彼のところに宮沢賢治の詩集「春の修羅」が送られてきたのである。いわき中学の後輩が送ってきてくれたのである。草野心平は、それを一読して激しい衝撃を受けた模様である。翌大正14年7月に日本に帰った草野心平は嶺南大学在学中に出し始めていたガリ版刷りの同人誌「銅鑼」へ、宮沢賢治の参加を求めた。宮沢賢治はこれに応じ、次々と同人誌「銅鑼」に自分の作品を発表している。全部で13編の詩である。
大正15年8月、草野心平は詩誌「詩神」で、果然、こう宣言する。
「現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私はその名誉ある天才は宮沢賢治だと言いたい。世界の一流詩人に伍しても彼は断然異常な光を放っている。彼の存在は私に力を与える。(中略)。私は今只、世間ではほとんど無名に近い一人のすばらしい詩人の存在を大声で叫びたいのである。(中略)。今後彼はどんな仕事をしていくか、恐るべき彼の未来を想うのは私にとって恐ろしいよろこびである。」
昭和6年7月の「詩神」にはかなり長文の宮沢賢治論を発表しているが、その中で彼は次のように言っている。
「宮沢賢治の芸術は世界の第一級の芸術の一つである。」
「次々に生まれてくる世界の古典が<ここにも仲間がいる>と宮沢の芸術に胸をドキツカセルだろう風景は思っただけでも嬉しいことである。」
そして、宮沢賢治の死後まもない昭和8年12月の「日本詩壇」に載った追悼文の末尾では、草野心平はこう書いている。
「最後に一言ドナラしてもらえるならば、日本の原始から未来への一つの貫かれた詩史線の上の一つの類まれなる大光芒で宮沢賢治があることはもう断じて誰の異義もはさめない一つのガンとした現実である。」
中沢新一の宮沢賢治論と合わせて読んでいただければ、宮沢賢治のすごさと、又それを見抜いた草野心平のすごさがよく理解できるだろう。草野心平はただ単なる「蛙の詩人」ではない。原始から未来への線上で大光芒を放つ詩人であり、世界に誇る哲学的詩人である。宮沢賢治と並ぶ・・・もう一人の「東北人らしい感性豊かな人の代表」であることはまちがいない。草野心平はただ単なる「蛙の詩人」ではない。偉大なる「蛙の詩人」である。

詩というものは、歌として歌われてその真価を発揮するという側面がある。良い作曲家に恵まれるということが必要だ。これからも、草野心平の詩にもとに、宇宙との響きあいを歌い込む作曲家が出てくるかも知れない。作詞家の詩が歌としてどのように歌われているのか。こういうホームページがあるので参考にされたい。なお、蛙のホームページはこれが良いのかも....。
「いわき」シリーズの目次
1、「いわき」と徳一
2、「いわき」は石城
3、潮目の海
5、高橋富雄の「いわき長谷寺考」その1:徳一に関する歴史感覚
6、いわき湯本温泉
7、高橋富雄の「いわき長谷寺伝説考」その2:徳一研究の要諦
9、いわき大国魂神社