私は、先の遊説報告で報告したように、「都市と農山村との共生」ということは、私の年来の主張であるが、最近小泉総理もお考えになっている。したがって、これはもう自民党の選挙公約といってよい。
私は、遊説の中で、大都市の論理で地方の切り捨てなってはならない、強者の論理で弱者の切捨てになってはならない、新しいものにばかり目が行って日本の伝統文化の切捨てになってはならないという・・・、三つの原理原則を訴えた。その原理原則の上に立って「都市と農山村との共生」を図る、・・・そのことを訴えた。
大都市の問題もさることながら地方の振興は大事であるし、地方都市の問題もさることながら農山村地域の活性化は大事である。大都市と地方、都市と農山村という二元性の中で、両義性をどう認識するか。要は認識論の問題だと思うが、大都市と地方をどう認識し、都市と農山村をどう認識するのか。
都市と農山村との共生というときの共生ということの意味は具体的のどういうことなのか。大都市の問題は大都市の問題であるが、なおかつ地方の問題である。都市の問題はもちろん都市の問題であるが、なおかつ農山村の問題でもある。このように認識できるかどうか。
遊説報告の中で報告したように、「交流」ということを考えたとき、これらの認識があながちトンチンカンなものではないということが判ると思うが、しからば、その「交流」ということが、双方にとって、社会経済的にどういう具体的意味を持っているのかということについては必ずしもはっきりしていないと思う。社会的或いは政治的なコンセンサスが得られていないと思う。現在は社会的或いは政治的にそういう議論すらほとんどないのではなかろうか。その中で、大沢真幸・京都大学助教授の問題提起(世界7月号、共同ルポルタージュ、過疎地の想像力)は私にとって大変心強い。以下に、その要点を紹介しておきたい。
「劇空間の経験」に、高村光太郎の宮沢賢治論が引用されている。内にコスモスを持つものは世界のどこの辺境にいても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たないものはどんな文化の中心にいても常に一地方的の存在として存在する。」東北の田舎にいた宮沢賢治は、コスモスの所持者として地方性を越えていた。(中略)移動性を内包するということは、ここにいる<私>が、自己自身から差異化していこうとする傾動を宿しているということ、つまり<他者性>を孕んでいるということである。
このことが含意しているのは、H・コーエンや田邊元が述べているように、無限小の点そのもののうちに、他(点)への向かう純粋な運動性が包蔵されているということである。つまり、外延的に静止しているように見える任意の点が、内包的な水準に運動性をかくしもっているのである。
移動性を宿した定住とは、<私>が<他者>を孕む、ということである。この自己である<他者>が、未来の夢見る他者という形態のうちに、具体的な反響の場を見出したのではないか。
通常、農山村の生活は、土地のもつ「遅さ」を身に帯びる。資本主義的なシステムのもとでは、この事実こそ、農山村の生活を魅力の乏しいものにする原因だ。だがわれわれが最後に見出したことは、農山村にあってなお、空間的にも時間的にも貨幣の活動領域をはるかにこえる視野を得ることもできる、ということである。農山村に定住しつつ、資本の功利的な目的から自由な交易の可能性に思いをはせることができ、また資本の循環の可能性とはまったく無縁な未来に視点を据えて、共同体の具体的なあり方を構想し、それを少しずつ実現に移していくこともできるのだ。
以上であるが、さすがに新進気鋭の学者である。大変示唆に富む指摘であり、私は大変心強く思う。今まで、私は、哲学的な意味での本格的な地域論にお目にかかったことはなく、目からうろこが落ちた思いである。地域論を語るとき、やはり文化的な視点と経済的な視点が大事であろう。現在大都市に住む人の幸せとどう関係し、現在の大都市経済とどう関係するのかということだ。
経済的な視点はこの際ちょっと横に置くことにしよう。とりあえず文化的な視点に絞って少し私の考えを述べておきたい。
金子勝さんが大沢さんとの共同ルポルタージュで言っておられるが、昨年6月の総選挙は、「一区現象」と呼ばれたように、都市と農山村との亀裂を露呈させた。都市と農山村とでは人々の生活実感なり人生観が違ってきているので、このような現象が生じてくるのであろう。私は、山本正和さんの「大分裂の時代(1998年、中央公論社)」じゃないけれど、都市と農山村との分裂が起こってきており、したがって文化についても深刻な分裂が起こってきているのではないかと思う。都市文化と農山村文化との分裂だ。
私の尊敬する三本木健治さん(明海大学・同大学院教授、国際水法学会理事)がその著書「国土の管理と利用(1999年、山海堂、p21)」で言っておらるように、明治の先覚者たちは、経験的・実証的精神をもって日本の国土を知り、大変革の中にあっても、必要に応じ、わが国の伝統文化を生かしてきた。わが国の伝統文化は農山村の風土の中にこそ色濃く残っている。今こそ農山村の風土の中にあるわが国の伝統文化をしっかりと認識しなければならない。
そしてより大事なことは、都市と農山村との境界の持つ重要性である。もちろんその境界とは時空を越えたものを言っており、都市生活者が農山村文化を体験することによって、或いは農山村生活者が都市文化を体験することによって、現れ出てくるところの世界である。山口昌男さんによれば(文化の両義性、2000年5月、岩波書店、p82)、「境界は多義的であるゆえ、そこには日常生活の中では位置をあたられないイメージがたち現れることができる。そこでは、イメージおよび象徴が、言葉になる以前に絶えず立ち現れ、増殖し、新しい統合をとげる。」・・・・どうだ。刺激的ではないか。都市と農山村の境界の中にこそいろんなイメージが立ち現れるのであり、そのことなくしてあたらしい文化の創造はない。
その境界はもちろん時空を越えたものではあるが、現実の体験としては、農山村というものの存在が不可欠である。私が農山村を守らなければならないと訴える理由はそこにある。都市と農山村との共生とは、都市と農山村との交流であり、都市と農山村の境界をさまようすることである。交流とはそういう両義性の体験である。旅とはそういう両義性の体験であり、あたらしい文化を創造するエネルギーである。
共同ルポの中で、金子勝さんが言っておらるが、私たちは、今、都市と農山村との対立を超えて、互いに自立と尊厳を支えあう関係を作り出さないかぎり、私たちは生きる価値を失わずに生きていくことはできない。農山村の問題は、決してマイナーな問題ではない。私たち自身の問題である。グローバル化の波に、改革の波にさらされている私たち日本人が今抱えている最も根源的な問題ではないか。私が、大都市の論理で地方の切捨てになってはならないとか、改革にだけ目が行ってわが国の伝統文化の切捨てになってはならないと・・・声高に言っているのはそのためである。